まず手始めに、自己紹介がわりに私自身が「どうして結婚できないのか」を考えてみたいと思います。なんかこう、自らの身をペーパーナイフでチクチク苛むような作業ですが、少しでもみなさんのご参考になればと思って、がんばってチクチクやってみます……。

つい最近、私はお見合いをしました。相手の男性は、申し分のない方でした。年齢は近いし、名の通った企業にお勤めだし、お話しした感じも誠実な印象です。実家も、私の実家と同じ九州で読書好きと共通点もあり、本当にいい方と言う以外にないような方でした。でも、ふとした流れで彼がこう言ったのです。「子供を育てるなら、東京よりも九州のほうがいいと思います」。

私は、それを聞いた瞬間「無理だなぁ」と思ってしまいました。東京に住んでいたいし、自分が仕事をするには、今のところ東京にいるのがベストです。そのうえ、子供を産めるかどうかなんて、正直自分もわからない。覚悟も決まってないし、絶対に産みたいという意志もありません。「結婚となると、当たり前のように出産や子供のための引っ越しとかを考えなきゃいけないんだな」。結婚している人にとっては当然のことを今さら実感して、きついなぁと思いました。

実は「結婚」がしたいわけじゃない

自由を捨てたくなければ、結婚しなければいい。その通りです。でも、もしこれが、好きな相手と結婚する場合ならどうだろうと考えてみると「無理」とは思わないんです。「東京じゃないところに住む」と言われれば、考えます。福岡ぐらいなら一緒に行ってもいいし、海外でもついて行く気はあります。そりゃあ、だって一緒にいたいですから。そのためなら、できる限りの努力はするし、それを努力とも感じないでしょう。

私は「結婚」をどうしてもしたい、というわけではなく、あくまでも「恋愛をして、その結果としての恋愛結婚」をしたいんだなぁと実感しました。

「結婚がしたい」なら、まだ条件で相手を探せます。でも「恋愛がしたい」場合、条件で相手は探せない。恋愛結婚を望む人の婚期が遠のく大きな理由がここにあります。「結婚」なら、まだ「こういう相手とこういう結婚がしたい」というビジョンを描くことは可能でしょう。しかし「恋愛」は「ピンと来た相手なら誰でも」みたいな、よくわからない条件から始まり、しかも目指すゴールが同じとは限らないんです。

こんな状態で、無事にゴールにたどり着ける可能性が、一体どのくらいあるのでしょうか。これってもしかして「富士山から見る夜明けってキレイらしいね☆」と、ただ期待とときめきだけを胸に何の装備もなしに富士山に登り始めるような無謀さなんじゃないのか……?自分で書いていておそろしさに震え上がってきましたが、実際そんなもんのような気もしてきました。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩