地球シミュレーターの時代
当時のスパコン事情は今とかなり違っていた。当時のスパコンの世界では富士通、NEC、日立、といった日本勢とIBM、Cray、HPといったUS勢がしのぎを削っていた。これらのコンピューター・ベンダーは国の研究開発機関、特にUSの場合はアカデミアだけでなく、エネルギー省や軍関係の研究機関からスパコンのシステムを受注して大きな投資をしながらその性能を競い合っていた。
その開発競争の結果はスパコンのオリンピックと言われるTop500で年に2回発表される世界ランキングで明かされる。Top500はスパコンの技術者、および業界関係者にとっては一番エキサイティングなイベントで、いつぞやどこかの政党の議員が"どうしても一番でなくてはいけないのですか?"と言って物議をかもしたあれである。その問題について議論することはここでは控えるが、当時スパコンの世界で圧倒的な存在感を持っていたのは海洋学研究機構(JAMSTEC)とNECが先導した地球シミュレーターである。
地球上のあらゆる気象現象をコンピューター上でシミュレーションすると豪語した地球シミュレーターは事実上、当時のスパコン業界に君臨する王者であった。地球シミュレーターがTop500に登場したのは2002年の6月である。LINPACKベンチマークで実行性能35.86テラFlopsを記録し第2位のIBM ASCI Whiteに性能で実に5倍の差をつけてぶっちぎりでトップに立った。それ以来2004年11月にIBM Blue Geneに首位を明け渡すまで実に5期連続のチャンピオンとなる快挙であった。
2003年当時のTop500の状況を見てみよう。
・Top500 ランキング(2003年6月)
順位 | 国 | システム名 オーナー |
ベンダー | CPU |
---|---|---|---|---|
1位 | 日本 | 地球シミュレーター JAMSTEC |
NEC | カスタム |
2位 | US | ASCI Q - AlphaServer SC45, 1.25 GHz ロス・アラモス国立研究所 |
HP | Alpha |
3位 | US | MCR Linux Cluster Xeon 2.4 GHz - Quadrics ローレンス・リバモア国立研究所 |
IBM | Xeon |
4位 | US | Seaborg - SP Power3 375 MHz 16 way DOE/SC/LBNL/NERSC |
IBM | Power |
5位 | US | ASCI White, SP Power3 375 MHz ローレンス・リバモア国立研究所 |
IBM | Power |
6位 | US | xSeries Cluster Xeon 2.4 GHz - Quadrics ローレンス・リバモア国立研究所 |
IBM | Xeon |
7位 | 日本 | PRIMEPOWER HPC2500 (1.3 GHz) 航空宇宙技術研究所 |
富士通 | SPARC64 |
8位 | US | Cluster Platform 6000 rx2600 Itanium2 1 GHz Cluster - Quadrics DOE/SC/Pacific Northwest National Laboratory |
HP | Itanium2 |
9位 | US | AlphaServer SC45, 1 GHz ピッツバーグ・スーパーコンピューティングセンター |
HP | Alpha |
10位 | フランス | AlphaServer SC45, 1 GHz Commissariat a l'Energie Atomique |
HP | Alpha |
ご覧のとおり、トップ10はUSと日本のNEC、富士通、IBM、HPという名だたる企業がしのぎを削っている。CPUの種類を見るとトップの地球シミュレーターはフルカスタムの専用チップ、他はAlpha、Power、SPARC64などのハイエンドサーバー用チップであるが、スパコン用の専用チップと性能あたりの単価はそれほど変わらないかなり高価なものである。
このようなスパコンの開発競争にも時代が進むにつれていろいろなチャレンジが生じてきた。
- 各国の研究開発にかける予算がひっ迫してくる中、従来の絶対性能だけを上げる方向性に経済的な考慮が加えられるようになった。
- スパコンの開発費用もさることながら、性能向上につれて級数的に上昇する電気代を主とする維持費(スパコンはシステムを動かすのにも非常に大きな電力が必要だが、そのシステムを冷却するためにも相当な電力を消費する)も考慮する必要がある。しかも消費電力の低減化は地球温暖化などの環境への配慮とも関係してくる重要事項。
- 膨大な開発費を裏付けるしっかりとした使用目的を明示する必要性と経済性。
などである。これらはいずれも時代とともに重要性を増してきた要件であり、スパコンの開発現場に突き付けられた課題となっていた。
松岡教授のTSUBAME構想
さて、この前の話で述べたように、私はAthlon MPの件で東工大の松岡先生と出会い、松岡チームはPRESTO IIIを完成させた。PRESTO IIIは地球シミュレーターが世界の頂点に立った同じ年の2002年6月のTop500でみごと47位のランクインを果たした。その後、何度か先生とは面会をしたが、ある日先生の大プロジェクトの話を聞いた(多分時期は2003年のOpteronの発表後間もないことだったと記憶している)。先生の話によれば、松岡研究室の成果を応用して、東工大の計算科学のバックボーンとなる大規模PCクラスター型のスパコンTSUBAMEの構築プロジェクトを立ち上げる予定であるという。TSUBAMEはTokyo-tech Supercomputer and Ubiquitously Accessible Mass-storage Environmentの略で、東工大の校章にも使われている燕に掛けている。この命名からも分かるように、松岡先生のTSUBAMEのコンセプトは非常に先進的、かつ現実的であった。
- 計算能力をできるだけ多くのユーザーが使えるように開放型にする。学内外のすそ野の広いユーザーにサービスを提供することにより経済効果を上げる。
- TSUBAMEの発表時に可能となる汎用品の最先端技術をグローバルに集め、絶対性能を犠牲にすることなく開発、維持コストの圧縮に努める。
- 2006年のTop500でのトップ10入りを目指し、地球シミュレータを抜いて日本トップのスパコンとする。
この一大プロジェクトを先生はいつも通りの平然とした口調で飄々と語るのだが、その目は熱く燃えていた。しかも先生はこのコンセプトを広めるために"みんなのスパコン"という非常にわかりやすいマーケティングメッセージまで用意していた。さらに肝心なCPUの話になった。「国立大学の調達案件であるので全て公開入札で行われなければならないが、現在発表されている各社の各ソリューションの情報を収集すると、2006年時点で本格稼働する大規模システムに使える最先端部品の中でデュアルコアOpteronにはかなり注目している。その理由は…」と先生はまだAMDが正式発表してもいないデュアルコアOpteronの技術的詳細、その技術の他製品との比較での優位性をとうとうと述べ始めた。私はただ先生の話を聞いて頷いているだけであった。松岡先生は、それまでにAMDのウェブサイト、学会での発表などすべてに目を通しており、これから2-3年の業界の地図をすべて頭に入れている風であった。まさにおそるべしである。
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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