出会い

ある日、総務部から電話が回ってきた。"これ受けていただけないでしょうか?営業部、技術部のだれも担当外だと言って受けてくれないんです"。嫌な予感がした。顧客からだったら当然営業に、技術的な質問であれば技術部に回るはずであるが、マーケティング部長の私に回ってくるというのは、誰もかかわりたくない、あるいはビジネスには直接関係ないややこしい話か、クレーマーなどのケースが多いからだ。

しかし電話を取ってみると、あちこちたらい回しされた電話の場合にありがちな"お宅の会社はいったいどうなっているんだ!!"などという雰囲気ではなかった。紳士的な声の主は、"東工大の松岡と申します。今回、私の研究室でスーパークラスターのプロジェクトがございましてメインCPUにAMDのCPUを検討しています。サンプルをご検討願えませんでしょうか?"と素性と要件を簡潔に語った。

至極簡潔な説明があって電話の主は私の反応を待っている。私は大いに混乱した。東工大?スパークラスター?間違い電話ではないのか?そこで私は"確認いたしますが、弊社AMDのCPUは主にパソコンのアプリケーションに使われていますが、間違いはございませんか?"、とだけやっと言うと、"はい御社AMDに間違いはございません。Athlon MPのお願いです"、と言う話である。そこでハタと気が付いた。当時K7コアのAthlonはほとんどがパソコン用に販売されていたが、その派生製品でサーバー用のAthlon MPという製品も販売していた。しかし、Athlon MPには販売実績は全くなく、本社もあまりプッシュしていなかった。日本では1社だけ小さな先端技術に強いコンサルタント会社がAthlon MPを音楽コンサートのストリーム配信用のサーバーに使っている実績があっただけだ。要するに、我々AMD自身がAthlon MPおよび、サーバー市場の要件を全く理解していなかったわけである。

PalominoコアのAthlon MP、この写真からは判別しにくいがおそらく2GHzくらいの周波数(編注:実際は1.2GHzとのこと) (写真提供:長本尚志氏)

Athlon MPはK7コアでAMDがサーバー、ワークステーション向けに開発した製品である。対応するチップセットとの組み合わせでマルチプロセッサ環境をサポートしたこの分野でのAMDの最初の製品である。私は"了解しました。とりあえず先生の研究室に伺います。お話を聞かせてください"と答えて電話を切った。その時は、これがその後大規模なOpteronのプロジェクトに発展する重要な松岡先生との出会いになるとは露程にも考えなかった。

PRESTO III

電話から程なくして、私は東京都・大岡山にある東工大のキャンパスにある松岡研究室を訪れた。

時期は確か2001年の後半くらいだったと思う。Opteronの発表のはるか前だ。大学卒業後は就職してひたすら働いていた私にとって、長らく吸っていなかった大学キャンパスの自由な空気はたいへん新鮮に感じられた。今思うと、今年の3月に還暦を迎えたのを機に仕事を辞めて大学生に戻った私の考えは、この時から無意識に頭の中に刷り込まれていたのかもしれない。

大講堂を過ぎ、学食を横目に見て右側に降りる坂の途中に松岡研究室はあった。秘書の方に通された研究室の先生の部屋は、本やPCボード、部品などが乱雑に積まれた典型的な大学教授の個室で、その奥から松岡先生は私を招き入れた。手渡された名刺には、東京工業大学 学術国際情報センター 教授 松岡聡と記されている。 私が椅子に座るや否や先生は一気にプロジェクトについて話し出した。何しろスーパーコンピューター(スパコン)とその世界について知識が皆無である私には先生の話はちんぷんかんぷんであったが、どうやら次のことのようであるらしい。

  • グリッド・コンピューティングと呼ばれる分散処理技術を推進し、その構成要素として大規模なデータ処理に加えて、定型・非定型な並列処理を高速に行うスパコンを構築したい。
  • それまでかなり高コストのスパコンの方式を大きく変えて、既存の市場で手に入るシステムのクラスター化で低コスト、低電力、スケーラブルなスパコンを構築したい。
  • そのスパコンの使用については高速ネットワークを通して、できるだけ多くのユーザーに開放し、生体分子化学、物性物理、素粒子物理、計算科学、人工知能などの高速処理の要求が高まっている広い分野での実際の研究への貢献を狙いたい。

私はその考えは何となく理解したが、いまだに電話の要件のAMD・Athlon MPとの関係がわからずにいた。"そもそもなぜ私がここにいるのだろう?"という怪訝な顔をしている私の気持ちを察してか、先生は教授室の隣にあるラボ室に私を招き入れた。

そこで私はやっと合点がいった。そのラボ室には秋葉原でパーツを買ってきて組み立てたノンブランドのPCが何段ものラックに整然と積まれ、背面は無数のケーブルで接続されていて、何台もの扇風機が忙しく首を振りながらごうごうと風を送っている。その中で研究室の学生が作業をしている。

私がそこで見たものは東工大松岡研究室が構築したPCクラスターマシンのPRESTO IIIであった。 松岡研究室は1996年から本格的にPCクラスターマシンの制作に取り掛かり、それまでCluster I、Cluster II、PRESOTO I(インテルPentium IIベース)、PRESTO II(インテルPentium IIIベース)とどんどん性能を上げていき、現在PRESTO IIIの制作に取り掛かっているのだという。

東工大松岡研究室のPRESTO IIIの当時の様子

松岡先生はAMDのAthlon MPの性能の高さに注目していた。このプロジェクトでは2個のAthlon MPを搭載したPCを256個クラスター接続して(CPUの総数は512)ピーク性能1.6テラFlopsを目指すのだという。インテルCPUではなくAMDのCPUを使用するということに私のテンションは大いに上がったが、先生には大きな目標があった。このマシンで世界のスパコン性能ランキングである「Top500」に応募し100位入賞を目指すことだ。

当時、スパコンの世界のキープレーヤーは日立、NEC、富士通などベクター型の専用CPU(そのスパコンに搭載することだけを目的にして設計される非常に高価なフルカスタムのCPU)を搭載した大手コンピューター・メーカーか、Cray、SGIなどのUSのスパコンベンダーと組んだエネルギー省やNSFの研究機関などであった。そこに、日本の東工大チームが市販のCPU、その他のパーツを組み合わせたマシンで勝負に出るという。あくまで冷静ではあるがその話を熱く語る先生を前にして、私の心は決まった。"了解しました。全面的に協力させていただきます。早速サポートについて本社と協議いたします"と答えて東工大を後にした。

帰り道、車を運転しながら、松岡先生の話を反芻した。まだスパコンについての知識が極端に足りなかった私は、このプロジェクトの含意、重要性、勝算については正直なところ半信半疑であったが、何か面白いことが起こるという予感がした。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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