2014年7月1日。時間は正午を少し過ぎていた。VAIO株式会社の関取高行社長と、赤羽良介副社長が乗った長野新幹線は、まもなく東京駅に滑り込むところだった。

この日は、VAIO株式会社の設立日だ。

長野県安曇野市のVAIO本社で、午前9時からの入社式を終えて、新幹線に飛び乗った2人は、午後3時から都内で開催する設立記者会見の会場に向かうため、車中でも慌ただしい時間を過ごしていた。

東京・新橋のVAIO東京オフィスでは、12時30分にも到着する予定の2人を、花里隆志執行役員が待ち構えていた。打ち合わせ後、そこから移動して、今度は、設立記者会見会場となる内幸町のイイノホールでリハーサルを行い、午後3時からの会見に臨むという強行軍だ。会見後には、そのまま報道関係者との懇親会も予定されている。

本来ならば、花里執行役員も安曇野本社での入社式に出席する予定であったが、万が一、アクシデントが発生し、2人のトップが東京に来られなくなった場合にも現場で対応できる役員として、花里執行役員だけは東京に残っていた。

2014年7月1日に東京・内幸町のイイノホール&カンファレンスで開催された記者会見の様子

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VAIO株式会社は、ソニーが2014年2月6日に発表したPC事業の売却を受けて、5月2日に、投資ファンドの日本産業パートナーズ株式会社(JIP)への譲渡に関して正式契約したことを発表。その後、新会社スタートに向けて準備を進めてきた。

資本金は10億円。JIPが95%を出資し、残り5%をソニーが出資。社員はソニーおよびソニー・イーエムシーエスから移籍した約240人体制。社長にはソニー出身の関取高行氏、副社長には同じく赤羽良介氏が就任した。

この日、関取社長は、新調した「勝色(かちいろ)」のスーツとネクタイを身にまとっていた。勝色とは、紺色の一種で、藍色よりも深い色合いが特徴だ。そして、勝色はVAIOの新たなイメージカラーになる。

勝色のスーツとネクタイで記者会見に臨んだ関取高行社長

関取社長は、「理性を示すカラーが青。これに、VAIOが培ってきた感性を示すカラーである紫を組み合わせた色が『勝色』になる」と位置づける。

強制したものではなかったが、この日の記者会見では、多くの社員が、「勝色」を意識したものを身に着けた。VAIOの新たなイメージカラーを全員で演出してみせたのだ。

理性の青と、VAIOが持つ感性の紫を合わせると勝色になる

午後3時から東京・内幸町のイイノホール&カンファレンスセンターで行われた記者会見で、最初に登壇した関取社長は次のように切り出した。

「みなさんこんにちは。VAIO株式会社の関取高行でございます。ようやくこの設立会見に臨むことができ、スタートラインに立つことができました」。関取社長の会見での言葉は、かなりゆっくりとした口調だった。

関取社長は、「とくに意識したわけではなかったが、気持ちを込めて伝えたいという姿勢が、ゆっくりとした口調に表れたのかもしれない」と、その時を振り返る。そして、「晴れ晴れとした気持ちというよりも、伝える使命感の方が強かった」とも語る。

会見では、ソニー時代からの継続製品を投入すること明らかにしたが、新製品の発表はなかった。また、将来に向けた具体的な戦略も発表されなかった。将来に向けてのコメントは、新製品は同社の年度末となる2015年5月末までに発売し、2015年度には30~35万台のPCを国内出荷するといったことぐらいだろう。

では、関取社長は、「気持ちを込めて」、なにを「伝えたかった」のだろうか。

「ひとことでいえば、すべてをリセットするのがこの日である、ということに尽きる」。

後日、関取社長は、会見で伝えたかった内容を「リセット」という言葉に集約してみせた。そして、「気持ちを込めて」伝えたかったこの内容は、会見前に安曇野本社で行われた入社式でも同じだったという。

リセットするという意味は、VAIO株式会社が、独り立ちして歩き出すという、いわば当たり前のことを指す。

「外から見ると、ソニー株式会社からVAIO株式会社に、自動的にPC事業が移管されたように見えるかもしれない。だが、自動的に移管したものはなにひとつない。ひとつひとつの作業を自分たちで行い、自分たちで作り上げていかなくてはならない。これまでのソニーという大企業のなかでは、様々な専門部署があり、専門職の人たちがいた。総務や人事といったこともそれぞれの専門の人たちがやってくれた。だが、7月1日からはそうしたサポートもなくなる。社員の一人ひとりが多能工となって、幅広く仕事をカバーしなければ、新会社は成り立たない」

例えば、6月30日までソニーに籍を置いていた社員は、ソニーのネットワーク環境を利用して、新会社スタートに向けた準備を進めてきた。しかし、7月1日になるとすべてのPCがこのネットワークから遮断され、VAIO株式会社のネットワーク環境へと移行しなくてはならなかった。ドメインの利用も同じだ。そして、保険や福利厚生などについても、ソニーからは完全に切り離された環境で新たに契約しなおした。もちろん外部との契約も同じだ。すべてが、新会社として、新たに取引契約を結ばなくてはならない。

関取社長は、「ソニーという大きな会社のなかにいたからこそ経験しないで済んでいたことがこんなにあったのかということを実感した」と語る。会社設立時までには、経理、人事、総務といった部門の作業が増えると予想していたが、その作業量の多さは予想外だったという。

一方、ある開発部門の社員は、自ら知財管理について勉強をはじめ、その分野もあわせて担当することになったという。実は、こうしたことがVAIO社内のあちこちで起こっている。

VAIO マーケティング・セールス/商品企画担当の花里隆志執行役員は、「社員全員が複数の仕事をこなして、なんでもやろうとしている。これは、VAIOの事業がスタートした1996年当時の雰囲気に近い」と語る。

だがその一方で、「すべての作業や判断に、ソニーという大きな会社の後ろ盾がない。ひとつひとつの判断をドキドキしながらやっている。大企業にはない緊張感を感じている」と続ける。すべてを自分たちで判断するという緊張感は、まさに本音だろう。

関取社長がいう「リセット」を表現したのが、7月1日の朝刊に、VAIO株式会社が掲載した広告だ。「自由だ。変えよう。」というキャッチフレーズを前面に打ち出した広告は、VAIO株式会社の姿勢を示したものだ。

前日となる6月30日夕方、関取社長は、VAIO株式会社に移籍する全社員に対してメールを送信したことを明かす。

「私は社員に向けて、『これは変わった広告だが、みんながリセットするという気持ちを表したこと、そして、この広告を通じて、その意味を家族に伝えてほしい』という内容のメールを出した」。

つまり、この広告には、7月1日からVAIO株式会社になってリセットするという意思を、社員に対して、改めて発信するという狙いがあったともいえよう。

広告にはこう記されていた。

「VAIOはもう終わった、という人がいる。単なる事業整理だ、という人がいる。たしかに、メンバーはたったの240人。大きな集団は、小さなPCメーカーになった。しかし。いや、たからこそ。我々の目の前には今、無限の地平が広がっている。ここにはかつてVAIOの遺伝子だったものがある。ここには、野心と技術と、確かな熱量が息づいている。我々は、ピュアでひたむきなチャレンジャーだ。あらゆるものから自由になった今こそ、思い切った決断ができる。VAIOの未来に必要なものを見きわめること。そこにすべての力を集中し、PCにはびこる固定観念を変えること。このチームなら、それができる。きっと。自由だ。変えよう。」

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2014年7月1日からスタートしたVAIO株式会社。ソニーのPC事業のDNAを受け継いだ新たなPCメーカーがいま誕生したといえる。果たして、VAIOとはどんなPCメーカーなのか。そして、これからどこを目指していくのか。これから連載を通じて、VAIO株式会社のいまの姿を明らかにしていきたい。

VAIO株式会社が7月1日付で掲載した新聞広告