交差する杵(きね)の真ん中に、「力」という字が書かれた暖簾(のれん)を掲げるレトロなたたずまいの商店。大阪や京都に長く住んでいる者なら、お店に入ったことはなくても名前は知っている人も多い。
同時に、「和菓子屋? 食堂?」と疑問に感じている人も少なくないはずだ。また、そのような暖簾がかかる似たようなお店を、全く別の場所で何度となく見かけるため、「あれはチェーン店なのか?」といった疑問を抱くこともある。
明治22年に饅頭屋として創業
その暖簾を掲げるお店とは「力餅食堂」だ。試しにGoogleマップで「力餅食堂」と入力して検索すれば、京都、大阪を中心にかなりの数の赤ピンが表示されるはずである。現在、「力餅食堂」は京阪神に約100店舗も存在している。
首都圏に存在しないとはいえ、それだけのお店を展開していれば、もう少し全国的に名が知れていても良さそうなものだが……。なぜそうなっていないのか。それはこれらのお店がチェーン店ではないからだ。つまり、巨大外食グループとはちょっと違うのである。
そもそもは明治22年(1889)、池口力造という人物が兵庫県豊岡市に開店した饅頭(まんじゅう)屋に始まる。この饅頭屋は数年後に閉店となるのだが、池口氏は再起を図って京都・寺町六角にて改めて開業。当時、日清戦争の勝利に沸く日本の世相にあやかり、「勝利饅頭」という名前で売り出した。
その京都のお店も経営状態は苦しく、またも閉店の危機が迫っていた頃、出入り業者の酒屋の主人が資金援助を申し出る。池口氏はこの資金で最後の勝負として、リニューアルを試みた。饅頭を餅に変更し、名前から力の一文字を取って「名物力餅」という屋号に改め、店舗も大改装。京都市内で大々的に宣伝を始める。
このリニューアルオープンが成功し、売り上げは上昇。経営は完全に軌道に乗り、数年後には餅専門から様々な献立を扱う食堂となり、京都はもちろん大阪、神戸でも評判のお店となる。
暖簾分け制度で受け継がれる名物おはぎ
大阪や神戸からの需要も出てきた力餅食堂は、大正3年(1914)に大阪市天神橋3丁目、大正7年(1918)には神戸市小野柄通に開業。その後もお店の数は増えていき、最盛期には京阪神を中心に約180店を数えるに至る。
この新店を開業するときに取られた手法が、「8年以上働いて親方の信頼を得たら独立できる」という暖簾分け制度。屋号や商標は同じでも、それぞれのお店が1軒の個人経営商店であったため、巨大外食グループ企業のような知名度にはならなかったのである。
各々が独立経営とはいえ、受け継がれているものもある。それが「おはぎ」と「赤飯」だ。やはり創業時がお餅屋だっただけに、おはぎや赤飯の出来栄えや味が認められた者に、屋号の使用が認められたのであろうか。多くの力餅食堂においておはぎ・赤飯が名物メニューとなっており、店頭販売もされている。
一際異彩を放つ中崎店のユニークメニュー
一方、独立形態ゆえに独自のメニューを打ち出す店舗も当然ある。中でもユニークなのが大阪の中崎商店街にある力餅食堂。カレーを練り込んだ「黄金カレー麺」なるものを考案し、それをおツユでいただく「カレー麺ざる」(550円)というメニューがある。
さらに、コーヒーを練り込んだコーヒー麺というのもあり、それとカレー麺、そして普通のソバを交互にざるに並べ、その色合いのコントラストから「虎ざる」(550円)と名付けられたメニューもある。阪神タイガースの地元であることも相まって、マスコミで取り上げられたりもしているのだ。
軸となる伝統は引き継がれつつ、各店がマニュアル化・均一化されず独自性も打ち出せる。それが暖簾分け制度のいいところだ。しかし、近年はマニュアル化された外食チェーン店の勢いに押され、更に後継者不足という暖簾分けならではの問題も生じ、店舗は減少しつつある。
それでも現在約100店もの力餅食堂が存続。うどんやカレー、丼モノといった定番メニューに、おはぎなどの甘味もいただけ、店内は庶民的で落ち着ける雰囲気。そんな昔ながらの下町の食堂として、力餅食堂は今後も長く存在し続けていただきたい。
●information
力餅食堂 中崎店
大阪市北区中崎1-9-2