大阪府と奈良県の県境にある生駒(いこま)山。この山の大阪側山裾に位置する石切劔箭(いしきりつるぎや)神社は、デキモノ・腫れ物の神様として、石切神社または石切さんと呼ばれ親しまれている。そして、その参道に広がる石切参道商店街には、立ち止まらずにいられない「ツッコミ待ち」な雰囲気が漂っているのだ。
その神社から山の中腹近くまでのびる参道には、婦人衣料品や薬局、和菓子店やつくだ煮店などが多く建ち並び、「東の巣鴨、西の石切」という言葉もあるように、巣鴨地蔵通り商店街に似た雰囲気となっている。
だが、何屋さんなのかよく分からない店の“雑多”具合や、珍スポットの多さでは石切参道商店街の方が上かもしれない。今回その参道を訪ね、気になるモノを集めてみた。
参道の至るところに豊八という屋号
山の中腹側から参道を歩いていくと、まず気づくのが「豊八」という屋号の多さ。衣料品、占い、カラオケ、はては猫カフェなどなど、とにかく参道の至るところで“豊八”の名が入った看板やテントが目に付く。手広く商売を展開しているようだが、そもそも本業は何なのだろう?
特にインパクト大なのが、「豊八大黒殿」と「占いはん豊八 占いの館村七福神」。どちらも占いや悩み相談を受け付けているところのようだが、「豊八大黒殿」では2体の狛犬に守られる形で大黒様の石像が鎮座しており、その足元には「賽銭箱」も設けられている。
「占いの館村七福神」は何名かの占い師のブースがあり、更に館内奥に入ると、やはり七福神の石像がある。石像だけでなく、木像の七福神や、鶴、亀、二宮尊徳、福助、ガマ、招き猫の石像がぎっしりと並べられている。加えて、鳥居やたくさんの鉢植えの植物も置かれているなど、ちょっとカオスな空間が広がっているのだ。
石切大仏と阪本昌胤という人物
石切神社参道の中間地点辺りまで行くと、そこにそびえているのが「石切大仏」。脇に掲げられている説明書きによると、日本で3番目に大きな大仏とのことで、高岡大仏や岐阜大仏などと同様に、ここも「日本三大仏」を名乗っている大仏のひとつのようだ。
その説明書きの末尾には、「管長 阪本昌胤」という文字がある。この阪本昌胤という名前も、石切神社周辺のそこら中で随所に目にする名前だ。
神社の向かいには「阪本昌胤記念館」なる施設があり、また先の大仏の脇には「約壹億圓 東大阪市へ個人寄付 阪本昌胤」と刻まれた記念碑が。そして神社の鳥居や手水舎の柱にも「勲五等 四世 阪本昌胤」と記されている。
実はこの阪本昌胤という人物、精力ドリンク・赤まむしなどを製造・販売しているサカンポー(元阪本漢方製薬)の四代目当主。この製薬会社の起こりが東大阪市石切町であり、四代目の阪本昌胤氏は創業地であるこの地に大仏を建立し、これを宗教法人にして自らその管長に就任。また、石切神社を始め、東大阪市や石切町に多くの寄付もされているようなのだ。
占い・厄ばらいのメッカ
先述の豊八に限らず、この参道はとにかく占いの類が多いことでも有名。占い専門のお店だけでなく、衣料品店や飲食店でも店先に「手相見ます」や「結婚相談」と謳(うた)っているところがある。また、「陰陽師占い」といった珍しい占いまである。
本尊がゆるキャラ風な石切神社
さて、肝心の石切神社だが、この神社は伊勢神宮を本宗とする神社本庁には入らず、神道石切教という独自の宗教を開いている。参道からずっと山側へ上がった、石切神社上之宮のすぐそばに「石切夢観音堂」という施設があるのだが、これはその神道石切教のものだ。
堂前の両脇にそびえるのは、なぜかギリシア神話の伝説の天馬・ペガサス。神武天皇の時代に創建された古式ゆかしき神社に関連する建造物とはとても思えない。衝撃的なのは、ここに祀られている本尊・石切夢観音様の造形。見た目は神々しいのだが、ちょっとゆるキャラ調である。
館内には「純粋無垢な幼児が、自分の名前をやっと書くことができた喜びで、初めて拝んだ千手観音を思い出し、さっと描いた絵に夢を託して夢観音と名付けました」と説明がある。この造形はそういうコンセプトからきているようだ。
このように町全体が珍スポットとも言える石切神社周辺。しかし、神社や参道のお店には、平日でも訪れる人が見受けられる。ちょっと異世界なこの参道をのんびり散歩してみるのも、意外な発見があって面白いかもしれない。