ずっと愛用している焼き締めの器

10年ほど前から、使いつづけている酒器がある。大磯のギャラリーで見つけた、肌触りザラザラの黒っぽい焼き締め。本来は湯呑みらしいが、うちではお茶ではなく日本酒や焼酎をついで、大振りなぐい呑みとして使っている。

右側が約10年使いつづけている琵琶鉄焼きの器。左側も山本さんの作品だ

昔から酒器が好きで、焼き物が盛んな地方へ取材で出かけると、できるだけ窯元や陶器店へ足を運び、ぐい呑みや銚子、片口などを探すことにしている。自宅の食器棚の一郭は、そうした全国各地の酒器で埋まっているのだが、いざ酒を飲むとなると、結局はいつもこの焼き締めのぐい呑みを選んでしまう。

なぜ、このぐい呑みなのか。持ったときに何となくしっくりくる、唇にあてたときに丁度いい感じがする…そんなあやふやな理由しか思い浮かばないが、そもそも、あやふやな気分になるために飲むのが酒なのだからそれでいいのだ、なんてあやふやに考えてみたり。

焼き締めとは、備前焼や信楽焼などによく見られる技法で、釉薬を使わずに、じっくりと高温で時間をかけて焼成するのが特徴だ。窯の中で置かれた場所、炎のあたり方、灰の飛び散り方など、さまざまな環境や条件によって、表面の色や模様、形などに変化が生じる。炎の直接あたった部分が赤褐色となる「窯変(ようへん)」のように、作者も予想していない偶然が、芸術を生む。

憧れの窯元を見るために山の上へ

さて、この焼き締めの器を作った陶芸家が、山本安朗さん(49歳)という方だということは、もちろん知っていた。足柄のどこかの山中に工房があることも聞いていた。いつか工房を訪ねて、大好きな器が作られた空間を自分の目で見てみたい。作り手の山本さんともお話ししてみたい。もう何年も、そんなことを漠然と考えていた。

ところが先日、ウェブサイト「おまいり日和」に山本さんのインタビュー記事が掲載されているのを発見。喜んで読んでいると、何とそこに「今春から工房をギャラリーとして公開」と書いてあるではないか。ついにチャンス到来。さっそく山本さんへ連絡をとり、工房「龍の背窯(たつのせがま)」内のギャラリー「びあん(琵安)」を訪問することにした。

工房の場所は、足柄上郡松田町にある松田山の中腹。二宮町からは約40分かかるが、東名高速道路を利用すれば、大井松田インターからは5分ほどの距離だ。ちなみに電車の場合は、小田急小田原線の新松田駅からタクシーで約10分。

国道246号線から山道へ入り、曲がりくねった坂を進んでいくと、間もなく「龍の背窯」と書かれた木の看板が姿を現す。駐車場に車を置いて、森の中へつづく坂道を上がっていくと、やがて2階建ての木造家屋が見えてくる。扉が開き、ギャラリーの主である山本さんが、さわやかな笑顔で迎えてくれた。

「龍の背窯」の山本安朗さん。20歳のときに憧れていた小川富士夫氏の弟子にあたる京都の陶芸家に師事

部屋の中に陳列された作品を眺めながら、「龍の背窯」の成り立ちなどを伺う。山本さんがこの地に窯を構えたのは、1984年のこと。松田町の隣の秦野市で生まれ、幼いころから山里暮らしが大好きだったという。

「山の尾根に沿うように広がった敷地が、龍のようなイメージだったので、龍の背窯と名付けたんです。この建物は2階がギャラリー、1階が蹴ろくろのある作業場になっています。譲り受けた廃材を利用して建てたんですが、それまでは大工仕事なんて、ほとんどやったことがなかったんですよ」。敷地内に点在する建物や歩道、階段などはすべて、山本さんがひとりで作り上げたそうだ。

大工仕事に不慣れな人が建てたとは信じられない立派な工房

ギャラリー「びあん」の入り口に掲げられたメッセージは宮沢賢治の世界

「びあん」には作品がずらり。見学は必ず電話にて予約すること

工房のすぐ下の斜面に設置された全長8mの蛇窯は、平安時代の窯をモデルにしたもの。もちろん手作りで、使われたレンガの数は、何と8000枚以上。山の斜面を何百回と往復しながら、それだけのレンガをひとりで運んだ苦労たるや、想像を絶する。

手作りの器で手打ちそば

一般に焼き締めの陶器は「南蛮焼き」と呼ばれるが、山本さんは自分の作品を「琵琶鉄焼き」と名付けている。これは、焼き物に用いる原料が、琵琶湖近くで掘り出した鉄分豊富な赤土であることから。琵琶鉄焼きに絶対に欠かせない原料ゆえ、今後30年間は使える量の土をすでに運び込んであるという。

山本さんは「土を使うときは、まず石やゴミなどの不純物を取り除きながら練るんです」と、事もなげに口にするが、そうして何度も練り上げた土の塊を、最後には針金で薄くスライスして、さらに細かい不純物まで見つけ出すらしい。なるほど、そうした繊細なる作業の果てに我が家の酒器も生まれたのか、としみじみ。

今年はすでに個展をいくつか終えて、現在は、そろそろ来年の窯焼きの準備をはじめようかというところ。窯に火を入れると、1週間ほど泊まり込みながら、内部の温度を1100~1200度に保つために薪をくべつづける。この薪の使用量は約10トン。松や杉の間伐材をナタで割りながら積み上げていく薪割り作業だけでも、4カ月前後かかるそうだ。

陶芸の世界には、何代目何衛門のような世襲制の窯元も多いが、20歳でこの道へ入った山本さんには何のしがらみもない。ゆえに、さまざまな流派の家元を含めた名だたる華道家たちと共に、全国各地で花と器の個展を開催するなど、自由に軽やかに創作活動を繰り広げている。

今回の訪問時、ギャラリーの中央に置かれた囲炉裏には自作の器が並べられ、山本さんはお茶や手打ちそばで、もてなしてくれた。聞けば、これまで20年以上、そば打ちを趣味としてきたそうで、こうしてギャラリーにやって来た人のために打つこともしばしばあるとか。「今日のそば粉は北海道産。そば粉を取り扱う地元の問屋で挽いてもらって、今朝早くに打っておいたんですよ」。

さすが手先の器用な山本さん、その二八そばは見るからに本格派で、いかにもおいしそうな佇まいだった。口に含めば香りよしコシよし、ツユの風味まで完璧で、まさに玄人はだしとは、このことだろう。

手作りの器に手際よくそばを盛りつけてくれる

山中の工房を訪れた客を、手作りのそばと器でもてなす。ギャラリーではもちろん作品の販売もしているが、「びあんに来たら何かしら買わないといけない、とは思ってほしくないので、基本的に初対面の人には作品を売らないことにしています」というこだわりも山本安朗流。

「まずは作品を見たり触れたりしながら、のんびりと山の空気を吸っていただいて、こんなに気持ちよい場所があるんだ、と心をほどいていただきたいんです。そして、もし気に入ってくださって再び来られることがあれば、そのときにお買い物をしていただければ、と思っています」。

いやはや何と不思議な魅力にあふれる人物なのだろう。我が愛用の酒器はどうしていつまでも飽きないのか、その秘密の一端がわかったような気がした。

来年の窯焼きに向けて薪を割る作業が今後もつづく