あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

こんなに小さくてもMS-DOSや表計算ソフトが動いたんです

「HP-200LX」(写真提供:日本ヒューレット・パッカード)

1994年(平成6年)9月6日、横河・ヒューレット・パッカード(以下、YHP。現在の日本ヒューレット・パッカード)は、同社3代目のパームトップPC「HP-200LX」を発表しました。のちに、HP-200LXの代わりに値する製品がないと、ユーザーたちに言わしめる手のひらサイズPCの誕生です。

CGA互換FTN液晶(640×200ドット/80文字/25行/モノクロ)、CPUにはIntel 80C186(7.91MHz)、3MBのROM、1MB RAM(F1060モデル)を搭載していました。IBM PC-XT互換機でありながら、重さは312g。これは単3形乾電池×2本と、ボタン電池のCR2032を含めた重量ですから驚きです。さらに、単3形乾電池×2本で約2カ月間も使えて(当時の広報資料より)、本体サイズはW160×D86.4mm×H25.4mm(高さ)。3枚の名刺を並べた程度のフットプリントに、テンキー付きのキーボードを装備しています。

プリインストールOSは、MS-DOS Ver5.0英語版です。ROMアプリケーションとしては、表計算ソフトの「Lotus 1-2-3」やメールソフトの「CC:Mail」、「HP金融電卓」、「Databaseエディタ」、そのほか通信ソフトなどが、多彩にプリインストールされていました。

HP-200LXの価格は、メモリが1MBのモデルで79,800円、2MBのモデルで99,800円、販売目標は年間6万台でした。前モデル「HP 100LX」(2MBモデルは1994年2月発表)の、実に6倍という販売目標ですので、いかに注力していた製品かが分かります。

写真左は「HP-95LX」、写真右は「HP-100LX」(写真提供:日本ヒューレット・パッカード)

日本のユーザーに長く愛され、育てられる名機へ

時間を少し戻して、1991年5月に発表された、YHPの初代パームトップPC「HP-95LX」からの歩みを振り返ってみましょう。当時、世界で台頭してきた日本製品との競争に打ち勝ちたいと考えていたジョン・ヤング氏(米HPのCEO)と、世界で1,400万人いたLotus 1-2-3ユーザーのモバイル化を模索していたレオン・ナビッカス氏(米ロータス・デベロップメント R&D GM)は、思惑が合致。両社の共同によって、強靱なきょう体を持ちながら重さが312gと軽いHP-95LXを、15カ月足らずで開発します。

かつてスーパースターと言われた、米HPの電卓「HP-65」(1974年発表)と同じ重さでした。HP-65は、米HP創業者の1人、ウィリアム・ヒューレット氏の情熱で開発された「ポケットに入るサイズ」の電卓です。アポロ・ソユーズテスト計画(1975年)にて、宇宙を最初に旅し、世界初の磁気ディスクに記憶可能なプログラム電卓でした。HP-65とHP-95LXの重さにピタリと合わせたことからも、作り手の気迫が伝わって来ようというものです。

編集Hのコレクションより、完動品のHP-200LX。パッケージもそろっています。日本語ユーザーガイドが分厚い!(写真右)

唯一、日本ユーザーにとって残念だったのは、日本語が扱えなかったこと。YHPが当初用意したのは、クイックスタートガイド(63ページ)の日本語マニュアルのみでした。

そこでパワーユーザーたちが立ち上がります。パソコン通信の「日経MIX」や「NIFTY-Serve」などのフォーラムで、有志たちが日本語環境を開発し、ソースコードを公開していきました。その内容は、日本語エディタ、日本語システムマネージャ(キー1つでアプリケーションを切り替える機能など)、さらには日本語フォントにまでおよびます。まさに、ユーザーの手によって、日本市場に合う製品へと成長していきます。

HP-200LX本体(写真左)と、右側面(写真中央/右)。右側面の黒いカバーを外して、バックアップ電池のCR2032をセットします

左側面にはPCカードスロットがあります。ここにフラッシュメモリカードを装着して使うのがお約束でした。今でいうSDメモリーカードみたいなものです。写真のフラッシュメモリカードは緑電子製で、ほぼ名刺サイズで容量は10MBです。10GBじゃなくて10MBですよ。編集Hいわく、2万円ちょっと(!!)で買ったそうです。今では考えられない値段ですね

HP-200LXの背面(写真左)。単3形電池×2本をセットしますが、電池カバーのツメが折れやすいのが困りものでした

およそ3年後の1994年、HP-200LXの製品発表と同時にYHPは、HP-200LXで日本語表示を可能にする「HP 200LX 日本語化キット」を案内します。このキットは、ISV(Independent Software Vendor、独立系ソフトウェアベンダ)のオカヤシステムウェアが発表、販売していました。

YHPは、自社ではなく、パートナーの力を借りて、HP 200LX 日本語化キットの開発と販売、およびサポートを行う戦略を選んだのです。このパートナーシップは見事に成功し、HP-200LXで動作する日本語アプリケーションの開発が加速していきます。もちろん、ユーザーフォーラムの輪もさらに広がり、数々のフリーウェアとシェアウェア、ユーザー好みのカスタマイズ例が披露されます。

オカヤシステムウェアの「HP 200LX 日本語化キット」(フルセット版)。ドライバ関連や日本語フォントに加えて、フルセット版には日本語入力プログラムの「WXII+」とテキストエディタ「MIFES-mini」が同梱されていました

HP-200LXの発表から5年後、1999年に同シリーズの生産終了が案内されると、代替に値する製品がないとの理由で、生産中止に反対する署名運動が起こるほどでした(余談ですが、HP-200LXの日本語ユーザーガイドと日本語クイック・スタート・ガイドは、現在も日本HPの公式サイトからダウンロードできます)。

HP-200LXのスタート画面(写真左)とキーボード(写真右)。キーボードはQWERTY配列で、テンキーと各種ファンクションキーを備えています。記号は主にSHIFTキーとの組み合わせで入力します。多くのユーザーは、ゲーム機のニンテンドー3DSを持つようなスタイルで使っていましたが、両手の親指だけでも意外と早くタイピングできるものです。また、ヒンジがゆるくなりやすいところが不満の1つでした。画面を見やすい角度にして机の上などに置いても、画面が奥の方へと倒れてしまうのです

筆者は今でも、単3形乾電池×2本で2カ月も動き、必要なアプリケーションがすぐ立ち上がり、テンキー付きの押しやすいキーボードを装備し、重さが312gでしかも堅牢な、通信もできる手のひらサイズのPCがあれば、ぜひ欲しいと思います。

HP-95LXからHP-200LXの歴史は、優れたハードウェア基本設計の重要性とともに、ローカライズの大切さ、そして日本で成功した展開方法の一例を示しているでしょう。今後の米HP、日本HPでも、ユーザーたちに長く愛される名機と呼ばれる製品の登場を、心から期待します。

ランチャ/タスクマネージャ的な役割の「システムマネージャ」からは、アプリケーションをすぐに起動できます(写真左)。ファイル管理の「ファイラー」も使いやすかったですね(写真中央)。簡単なテキストエディタの「メモ」は、日本語化キットを導入することで、日本語の文章も書けるようになります(写真右)

表計算ソフトの「Lotus 1-2-3」は、本体のROMに収録されていましたが、メニューの日本語化と日本語入力が可能でした(写真左)。簡単なゲームもプリインストールしていました(写真中央/右)

1994年9月、あの日あの時

1994年9月は、カプコンの格闘アーケードゲーム「ストリートファイター」を原作とした長編アニメ、「ストリートファイターII MOVIE」(1994年8月公開)が大ヒットを飛ばしていました。その主題歌、篠原涼子 with t.komuro が歌う「恋しさと せつなさと 心強さと」が、9月に週間オリコンチャート1位となり、200万枚を越す売上を記録しました。

当時、ストリートファイターに登場するキャラクターの技、春麗の「百裂脚」やリュウ(ケン)の「波動拳」「昇竜拳」などを、町の小さなゲームセンターで楽しんだ方も多いのではないでしょうか。1994年は、店舗あたりのゲーム機が20台以下のゲームセンターが80%のシェアを占めていたものの、それから15年で半減します(日本アミューズメント産業協会の資料より)。アミューズメント施設が大規模化していくのは仕方のない一面があり、風紀上や治安上の問題が多少なりともあったことを承知のうえで言いますが、町の小さなゲームセンターがなくなるのは寂しくも感じますね。

また、これも大人気を博したバスケットボールアニメ「SLAM DUNK」のエンディングテーマ、WANDSの「世界が終わるまでは…」もヒットします(1994年6月発売)。登場キャラクターの中で筆者は、挫折を経験している三井寿に感情移入し、彼のターニングポイントである「安西先生、バスケがしたいです」というセリフのシーンと流れるこの曲に感動して、何度もビデオで見たものです。

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