連載『経済ニュースの"ここがツボ"』では、日本経済新聞記者、編集委員を経てテレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長などを歴任、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーとして活躍、現在大阪経済大学客員教授の岡田 晃(おかだ あきら)氏が、旬の経済ニュースを解説しながら、「経済ニュースを見る視点」を皆さんとともに考えていきます。
イエメンでイスラム教シーア派系勢力「フーシ」が反政府武装闘争
サウジアラビアが、内戦が深刻化している隣国・イエメンへの軍事介入に踏み切り、中東情勢は一段と混迷を深めています。これを受けて一時、原油価格が急騰、株価が下落するなど、世界経済にとって新たな波乱要因となってきました。
イエメンといって馴染みがあまりないと思いますが、実は中東情勢の縮図のような国なのです。アラビア半島の南端、サウジアラビアと国境を接する人口2400万人の国で、原油や天然ガスを生産しています。しかし他の中東産油国と比べて産出量は少ないため経済力は弱く、貧困国の一つに数えられています。
同国は1990年に南北統一によって現在のイエメン共和国が発足して以来、11年間にわたってサヘラ大統領がトップの座にありましたが、2011年に「アラブの春」が波及し、1年近い混乱の末に同大統領は退陣しました。代わって2012年に副大統領だったハディ氏が大統領に就任し、新体制づくりを進めてきました。ところが今度は、2014年頃からイスラム教シーア派系勢力「フーシ」が反政府武装闘争を開始したのです。フーシは勢力を拡大して首都サヌアに侵攻、今年2月には一方的に政権掌握を宣言しました。これに対しハディ大統領は南部の都市・アデンに逃れましたが、フーシはなおも南進しアデンに迫る勢いと伝えられています。
こうした事態からハディ氏がサウジアラビアなどアラブ諸国に対し軍事介入を要請し、サウジ、カタール、クウェート、バーレーン、UAE(アラブ首長国連合)の湾岸5カ国が3月25日に「イエメンを守る」との共同声明を発表、26日にサウジアラビアがフーシに対する空爆を開始したというのが、今回の経過です。
サウジの軍事介入の背景にイスラム教のシーア派とスンニ派の対立
これを受けて、26日のNY市場では1バレル=40ドル台に下落していた原油が51ドル台まで急騰し、1か月半ぶりの高値をつけました。株価もNYダウが下落、27日の日経平均株価も185円安の1万9285円となり、2万円大台乗せが遠のく一因となりました。
今回のサウジの軍事介入の背景にはイスラム教のシーア派とスンニ派の対立があります。前述のように、イエメンの反政府武装組織・フーシはシーア派系勢力で、背後で同じシーア派のイランが支援していると言われています。これに対し、サウジなど湾岸諸国とハディ氏側はスンニ派です。
スンニ派とシーア派の対立は歴史的に根が深いものがあります。たとえば1979年のイラン革命によってシーア派主導の国家となったイランと、スンニ派だった隣国・イラクのフセイン政権が対立し、1980年から10年近くにおよぶイラン・イラク戦争が起きました。イランはその後もシーア派の勢力拡大を図っていると言われており、フセイン亡き後のイラク政権はシーア派になっています。
私たちは中東情勢と言えばイスラエルとイスラム諸国の対立という図式を思い浮かべますが、それと同時にイスラム諸国の中にもスンニ派とシーア派の対立があるということを頭に入れておく必要があります。
最近の原油価格の下落、イランに打撃を与える思惑も
実は最近の原油価格下落も、両派の対立が隠れた背景となっているのです。この連載で以前に「原油価格下落の最大の要因はサウジアラビアと米国のシェール・オイルのシェア争い」と書きましたが、そのほかにサウジにはイランに打撃を与えるという思惑があると見られます。OPEC(石油輸出国機構)は昨年11月の総会で減産を見送ったことが原油価格の急落のきっかけになったのですが、その際にイランは減産を主張したものの、サウジが主導して減産見送りを決定したのでした。
サウジは原油生産コストが低いため価格が下落しても十分耐えられますが、イランは生産コストが高いため価格が下落すると苦しくなります。イランをそのような状況に追い込むことが、サウジのもう一つの狙いのようなのです。この駆け引きの背後には、スンニ派の盟主を自認するサウジと、シーア派の中心であるイランとの対立があるわけです。
(※ ただ両派ともに、同じ宗派の国やグループの間でも対立することもしばしばです。たとえば、「イスラム国(ISIL)」もスンニ派ですが、サウジなどスンニ派諸国と敵対しています)
イエメンはハディ政権側、シーア派武装組織・フーシ、AQAP、ISILの4つ巴
しかし、イエメン情勢の背景にあるのはスンニ派とシーア派の対立だけではありません。もともとイエメンには、国際テロ組織アルカイダ系の武装組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」の拠点が多数あり、イエメンが「テロの温床になっている」とも言われるほどです。このため、米軍はハディ政権と連携して同組織の掃討作戦を展開していました。しかしシーア派・フーシの攻勢激化によって米軍部隊が撤退を余儀なくされる事態となっており、AQAPの掃討作戦にも支障が出ている状況となっています。
そのうえ、今度は「イスラム国(ISIL)」が活動を活発化させている気配が出てきました。3月20日に、フーシが制圧している首都・サヌアでシーア派のモスク(礼拝施設)で140人以上が死亡する自爆テロが起きましたが、ISILが犯行声明を出したのです。イスラム国はスンニ派です。このように、今やイエメンはハディ政権側、シーア派武装組織・フーシ、AQAP、ISILの4つ巴となっているのです。
こうしたことが事態を一層複雑なものにし、混乱の収拾を困難にしています。イエメンはもともと北イエメンと南イエメンの二つの国に分かれて対立していましたが、1990年に統合して現在のイエメンが成立したという歴史を持っています。しかしその後も内戦が起きるなど南北対立は残っており、今回の事態で分裂状態が広がる恐れがあります。
したがって陸続きであるサウジの危機感は相当なもので、これが今回の軍事介入に到った背景です。すでにサウジの周辺では、イラクとシリア国内を中心とする地域でISILが勢力を拡大しており、これに対抗するため、米軍と他の中東諸国とともにISILへの空爆作戦に参加しています。イエメン情勢はまさにこのような中東情勢の混迷が拡大しつつあることを示しているわけで、ヘタをすれば「第2、第3のイラク、シリア」になる恐れが強まっています。
イエメンの混乱が続けば船舶の航行にも支障、世界経済に重大な影響与える恐れ
イエメン情勢が世界から懸念されるもう一つの理由があります。それはイエメンの地理的条件です。イエメンはサウジの南隣、アラビア半島の南端にありますが、そこはインド用と紅海をつなぐ出入口に当たり、インド洋から紅海、スエズ運河を経て地中海に到る海の大動脈なのです。イエメンの混乱が続けば、船舶の航行にも支障が起きかねず、万が一そのような事態になれば世界経済に重大な影響を与える恐れがあります。もちろん日本への影響も大きなものになるでしょう。
過去を振り返ると、これまで中東情勢の緊迫は直接的には原油価格の高騰を招いてきました。古くは1973年、イスラエルとアラブ諸国との中東戦争をきっかけに第1次石油危機が起きましたが、1979~1980年には前述のイラン革命とそれに続くイラン・イラク戦争によって第2次石油危機、1990年にはイラク・フセイン政権のクェート侵攻による湾岸危機と湾岸戦争、2003年の米国の対イラク戦争などが代表例ですが、その他にもイランの核疑惑問題でも原油価格が上昇する場面がありました。
今回のイエメン情勢でも原油価格が一時上昇しました。ただ最近では原油価格の下落基調が続いているため、過去のように大幅上昇という状況にはなっていません。当面は一段の下落に歯止めをかける効果にとどまりそうですが、今後もしイエメン情勢がさらに悪化し中東各地に混乱が拡大するような事態となれば原油価格の上昇要因となる可能性はあるでしょう。このような懸念を「地政学リスク」と呼びます。今回の原油価格下落では、急激な下落による影響を心配して価格安定を望む声が強まっていましたが、地政学リスクの高まりで原油価格下落に歯止めがかかるとすれば、何とも皮肉です。
いずれにしてもサウジなどの軍事介入がイエメン情勢の安定につながるのかどうか、見守っていく必要があるでしょう。
執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。