最後に、基調講演とADA授賞式を覗いてみての、アップルのある種の政治的展望について触れてみたい。先ほどのアクセシビリティ開発の話から続けると、まず一つ考えているのは社会包摂であろうなということだ。障碍者権利運動の流れを汲むこの動きは、具体的には先ほど指摘した通り、アクセシビリティに関わる開発メンバーに障碍のある人々を起用していることからも伺える。これはPCという面から正しいというだけでなく、実際に彼らでないと恐らく解決できない、あるいは理解できない問題を顕在化させるという点で実利もあるアクションであると評価できるだろう。

基調講演では、PCを持ち込むという局面での具体的な取り組みを垣間見ることができた。登壇した人々の性別、人種に着目して欲しい。ここ何度かのアップルのスペシャルイベントでは、女性の登壇者が増えた。これもPC的には正しい。が、急に増えたのは何故か? この件に関してはYoichi Yamashita氏が2014年にアップルが発表した社員構成データを元に、緻密な分析を行っているので参考にして頂きたいのだが、背景としては、まず、シリコンバレー企業の多くが人種的多様性に欠く採用活動を行っていたという問題があった。

批判に晒されないよう、各社ともに社員構成データを発表したり、アップルのようにイベントで女性の役員を登場させ、不平等なくやっていますよとアピールする必要があったことは言うまでもない。固より、何故偏った従業員構成になるのかということについても、先ほどの記事でYoichi Yamashita氏が言及しているが、要はそうしないと競争力が失われるからである。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが女性は男性との関係性で定義され差異化されると指摘したように、WWDCの会場を見渡した際、女性が少ないのではないかと嘆き訴えることは間違いではないが、そうした事態を齎した歴史的条件とはいかなるものであるかを、まず、問わなければならない。そしてまた、そう問うことがシリコンバレー企業、ひいてはIT業界全体が纏うハビトゥスが如何なるものであるかといった研究を進めることにもなる。

ジェンダー関係から、人種の多様性の話題に移ろう。WWDC 2016の基調講演に登壇した顔触れはアフリカ系、ヒスパニック、アジア系と様々な人種で構成されていた。今年3月のスペシャルイベントあたりまでは、今回ほどではなかったというイメージがあるのだが如何だろう。とは言え、カリフォルニア州における人種構成で見た場合、比率はそれでいいのかという指摘もあるかもしれない。が、筆者は、真っ当に取り組んだ結果、こういうメンバーになったという印象を受けた。PCという観点ではなく、アファーマティブ・アクションという視点から考察してみよう。

PCが時に、表面的な取り繕いだけで、実質を伴わないと批判される以上に、アファーマティブ・アクションについては、より厳しい評価が下されることがある。筆者も正にその通りと思うことがあり、積極的に不公平を是正しようとした結果、それがあまりに恣意的だったり、特定のイデオロギーと結びつくことで、当初起こっていた問題とは異なる不平等を生み出す状況があり得るからだ。そうした時に必要なのは、適正な文脈でアファーマティブ・アクションを導入することなのである。例えば、米国の人種比率が、白人5割、アジア系2割、ヒスパニック2割、アフリカ系1割だったとして、この割合に当て嵌めて役員登用を構成するとしたら、組織はまともに機能するだろうか。無理矢理、その比率に当て嵌めることで、より有能な人材が外され、実際には起用に値しない人物が選出することが想定されないだろうか。俯瞰して見れば、アップルの人材起用法は、そうした正しくないアファーマティブ・アクションには基づいていないことが分かるはずだ。

さらに、アップルが本気で多様化を目指している証左として、基調講演で発表されたSwift Playgroundsを挙げておきたい。アップルは有能な人材が多様化するべく、学校教育の段階から介入、支援を行うという方策を採ったのだ(この件についてもYoichi Yamashita氏が前述の記事で指摘)。これによって、ここまで述べてきた社会包摂、ジェンダー差別の問題、人種差別の問題を一気に解決する道が開けるようになるのである。

マーケット自体の多様化ということを考えれば、これらの施策は至極、当然のことであるように思われる。世界中の誰もがアップル製品を使うという状況に即しているからだ。春先のiPhoneロック解除を巡る司法省との争いも、そうした多様なユーザーに向き合ってのことだと考えればすんなり理解できる(もはや米国内だけの問題ではない。プライバシー保護については機会があれば改めて考察を進めてみたい)。

となれば、極端な排外主義的思想を開陳する人物が大統領になってしまうような状況は好ましくないということになっていくのである。共和党の党大会への協賛を見送るのもまた当然の措置と言える。

今年のWWDCでは、こういったアップルの政治観、展望がより鮮明になったという点でも、歴史が動き始めてるという感触があった。筆者は、これまでスペックシートを繋ぎあわせただけの記事を掲載することが多かったことを反省するとともに、企業が抱いている思想の理解に努めることが肝要であると痛感した。単に製品の機能やサービスの概要を追うだけでは窺い知れないことも多く、これからの自分の執筆活動を、今一度、検証し直す必要に迫られている。ADAの表彰取材を通じて、そんなことを考えたのであった。