3Dのグラフィックデザインを学ぶために、19歳で日本へ。現在はクリエイターとして、宣伝ポスター、Webデザイン、アニメーション、アート製作などを手がけるタン・ジェシー(TANJC)さん。仕事の幅は広く、大学講師や企業のコンサルタントとしても活躍しています。その実力を養ったのは、興味のある分野をとことん追求する飽くなき探求心。そして、外国人であるがゆえに見ることができる、日本の真の姿にありました。

タン・ジェシーさん/マレーシア・ジョホール州出身/39歳/美術作家、デザイナー

■これまでのキャリアの経緯を教えてください。

19歳のとき、マレーシアから日本へ。東京で日本語学校に1年通ったあと、3次元コンピューターグラフィックス(3DCG)を学ぶために、山形の東北芸術工科大学に留学。卒業後、恩師の「日本の本当の姿を見たいなら、都会、田舎、そして都に行きなさい」という言葉が忘れられず、日本の都である京都へ。京都精華大学の大学院に入学し、博士課程まですすみました。

大学院で僕が取り組んでいた現代アートは、作品ごとに表現方法も違えば、必要なスキルも違います。デザイン、映像、彫刻といった専門コースの枠を飛び越えたものだったので、僕ひとりのために「ファインアート」というコースを大学側が用意してくれました。この大学での学びが、今の僕の活動の基礎になっています。

現在は、フリーランスで活動しています。プロフィールには美術作家、デザイナーと記しましたが、手がけている仕事は多岐にわたります。グラフィックデザイン、アニメーション、映画、Web製作、雑誌デザインなど。定期的に大学で講義もしています。最近では「白沙村荘 橋本関雪記念館」の企画展のポスター、チラシ、図録のデザインを担当。また「エア・フローティング・メディア」という、映像が空中浮遊する装置を共同開発しています。

神戸ファッション美術館で発表したプロジェクションマッピング作品「軟体都市」

京都に住んで15年です。出会って1カ月で電撃結婚した日本人の妻と2人の子どもの4人暮らし。家は、鴨川のすぐ近く。木造の2階建てで、畳の部屋があり、妻の作った和食を毎日食べています。

■現在のお給料について教えてください。

プロジェクトごとに報酬は様々です。なかには1時間の作業で30万という仕事もありました。ただこの仕事、割はよかったのですが、かなりハード。ポスター、チラシ、看板をすべてデザインし、1時間後に印刷所に入稿という超特急のスケジュール。ゼロから作り上げるクリエイターの仕事で、1時間という時間制限はかなり厳しい。でも、それまで様々な仕事で経験を積んでいたので、クライアントの要望に応えることができました。

毎月決まった給料制ではないので収入にバラつきはありますが、家族4人を養えているので、問題ありません。

■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?

家族と一緒に多くの時間を過ごせること。また、日本人ではない僕の視点をいかすことができること。

そのことに気付かせてくれたのは大学2年のとき。CG作品のコンペで優勝したんです。このときのテーマは「東北の風土と文化」。日本人ではない僕は、東北のことをよく知りません。なので作品を作り始める前に、僕なりに1カ月かけて取材をしました。山形の民家に訪問し、お年寄りから話を聞き、昔の邦画もたくさんみました。その結果、審査員に「CGの技術はまだ低いが、雪国の厳しい暮らしと、そこで暮らす人の温もりがよく表現されている。満場一致で決定だった」と言ってもらえたんです。

僕は外国人なので、先入観なしに取材相手の言葉を聞くことができる。取材相手も、外国人の僕だから、シンプルな言葉でていねいに説明してくれる。そのことが純度の高い情報を得ることができた理由だと思います。この経験は、僕の活動の原点です。