近年、高層マンションや大型商業施設が次々と建設された東京・豊洲地区。築地市場の移転や、2020年東京オリンピック開催にともなう再開発でますます脚光を浴びつつあるエリアだが、ここと隣接する晴海地区との間に、周囲の風景にミスマッチな鉄橋がある。
錆びきった円弧調のローゼ橋と、両岸をつなぐ古びたコンクリートでできた鉄道橋。周囲に建ち並ぶ近未来的な高層ビルやショッピングモール、きれいに整備された護岸の風景にそぐわないこと甚だしい……という印象さえある。調べてみると、この橋は「晴海橋梁」という名前で、かつて「東京都港湾局専用線」という貨物線が通っていたそうだ。
越中島貨物駅付近から晴海橋梁まで歩く - レールが残る場所も
この東京都港湾局専用線は、産業用に使用されていた東京湾の埋立地を結ぶ貨物線で、豊洲地区を経由する路線は、「豊洲線(深川線)」「晴海線」に大別できるようだ。晴海橋梁は豊洲で分岐し、晴海へ向かう晴海線の一部ということになる。起点は東京都江東区塩浜にある越中島貨物駅で、ここから全国へとつながっていた。
豊洲線が開業したのは1953(昭和28)年、晴海線の開業は1957(昭和32)年。それぞれ石炭埠頭、晴海埠頭にアクセスしており、東京港に荷揚げされた荷物を全国に運ぶ役割を担っていたようだ。当時の航空写真でも、豊洲・晴海周辺の路線網を確認できる。
だが自動車輸送の隆盛で次第に扱い量が減少。1989(平成元)年に全廃された。近年の航空写真を見ると、当時とはすっかり様変わりした様子がうかがえる。
今回、この豊洲線・深川線の跡地周辺を徒歩でたどることにした。起点となる越中島貨物駅は現在、貨物駅としてはさほど機能していないようだが、工事車両などが運用されることも。この日、隣を京葉線の電車が走る中、工事用と思われる車両が動いていた。
越中島貨物駅を背に進むと、折返し用と思われる線路が伸びている。車止めで途切れた先は空き地になっているが、ところどころにレールが残されている。三ッ目通りの手前には、かつてホームだったと思われるものも。
三ッ目通りの先も、レールはないものの、空地が広がっていた。都有地であることが、かつてここに東京都港湾局の線路があったことをうかがわせる。その先もマンションの間を縫うように空地が伸び、レールや線路脇の機器類と思われるものも残されていた。
しばらく続いていた空地は、運河を越えた先で高くそびえる真新しいマンションに遮られる。しかし、その先は再び都有地に。ここからは空き地ではなく、駐車場として活用されていた。再び運河にさしかかり、ここでは橋脚の跡を発見できた。間違いなくここに鉄道が通っていたことを示すものに、ようやく出会えた。