最初の作品『赤毛のアン』で動画を担当

――日本アニメーションでの最初の作品は?

佐藤氏「最初は『赤毛のアン』の動画ですね。当時は、周りの人たちとひとつの作品を作っていく達成感がすごく楽しかった。本当に周りの人が良かったんだと思います。とにかく、足手まといにだけはなりたくなかった。先輩たちに追いつかなきゃって」

――自分の描いた絵が初めてテレビに映ったときはいかがでしたか?

佐藤氏「恥ずかしいような、うれしいような(笑)。作画監督の近藤(喜文)さんが描いた絵をなぞっていただけなんですけど、それでもやっぱり自分が描いた絵なんだっていう自負はありました。ただ、とにかく当時はスケジュールが大変で、自分の描いた絵を初めて観るのがテレビ放送という状態でした」

――毎週放送されますから、スケジュールはかなり大変ですよね

佐藤氏「朝会社に行くと、自分がその日にやらなければならないカットが渡されるんですけど、それを何とか仕上げても、翌朝行くと、動画チェックの方からのリテイクが机の上に置いてある。そうなると、その日にやらなければいけない仕事にリテイク分が増えるわけですよ。リテイク分がなかなか通らないと、だんだん焦ってきて……。量をこなせばいいだけではなく、当然、上手く描かないといけない。上手く描けていないからリテイクがくるわけですから。良い先輩に恵まれていたので教えてもらったりもするんですけど、先輩たちもみんな自分の仕事に追われている。もう申し訳ないやら、本当に終わるのかなって切羽詰るやら……。今でもあの感覚は怖いです」

――その感覚は今でもありますか?

佐藤氏「さすがにそこまで描けないという感覚はないです。やはり、新人だったからというのが一番大きいですね。自分でデッサンを埋めたりするのがなかなか上手くできない。自分では指示通りに描いているつもりなので、リテイクがくるともうどうしていいのかわからないんですよ。本当にどうしようもない状態で……つらい時代でしたね」

『トム・ソーヤーの冒険』で原画デビュー

――動画から原画になったタイミングは?

佐藤氏「僕が原画をやったのは、『赤毛のアン』で作画監督とキャラクターデザインをやっていた近藤さんが、『トム・ソーヤーの冒険』のときに、育てるつもりで分けてくれたのが最初なんですよ。だから、原画マンとしてのデビューではなく、動画のときに原画もやったのが最初だったんですけど、すごくうれしかった記憶があります。それは、原画をやれたことよりも、近藤さんがこんなに近くで教えてくれた、ということのほうが強かったです。だから今は、自分も人に教えることがあるんですけど、近藤さんが自分にやってくれたように、自分もやらなきゃいけないという気持ちがあります」

――動画から原画になると、また違った苦労があったのでしょうか?

佐藤氏「そこは結局変わらない気がします。原画はまっさらなところに、絵コンテにあわせて芝居をつけながら、実際には役者さんがやるようなことを絵にしていくわけですが…………やっぱり上手く描けないんですよ(笑)。原画の場合は、演出の方にチェックしてもらうんですけど、翌日会社に行くと同じようにリテイクが置いてある。もうそれの繰り返し。このスケジュールの中、この段階でリテイクなんかもらっていて間に合うんだろうかって」

――原画だと発想力も要求されますよね

佐藤氏「発想力もそうですが、やっぱり絵の下手さが問題。発想力はあっても、それを絵にできないんですよ。アニメーターというのは、決めポーズだけを描くのではなく、普通は描かないような絵を描かないといけない。それが原画になったときにぶつかった壁でした。動画をやっていて、自分ではけっこう描けるようになっていると思っていたんですよ。でも、動画って原画があるから描けるわけで、何もない白い紙の上だと全然描けない」

――大きな壁ですね

佐藤氏「さらにちょうどその頃、僕の先生だった近藤さんが会社を移ってしまったので、教えてくれる先輩もいない。動画時代の先輩もいたんですけど、その方たちも原画の経験はあまりなかったので、自分たちのことで精一杯。みんな良い方なので、描けないといえば教えてくれるんですけど、さすがに全カットそういうわけにはいかないじゃないですか(笑)。原画マンの場合、一話でだいたい20~30カットくらい描くんですけど、その内の半分くらいが描けなかったらどういうことになるか……本当に鍛えられましたね」

――今、その当時の作品をあらためて観ると?

佐藤氏「動画時代の『赤毛のアン』は全然恥ずかしくないんですけど、原画や作画監督をやった作品は正直観たくないです(笑)」