――1984年に公開された『風の谷のナウシカ』の続編はこの先作る予定、作りたいというお考えは?

宮崎監督:それはありません。

――(韓国記者)韓国にも宮崎監督のファンがいっぱいいます。ファンに一言お願いします。また、今話題になっているゼロ戦についての問題についてどう思っていますか?

宮崎監督:映画を見ていただければわかると思っているのですが、色々な言葉にだまされないで、今度の映画も見ていただけたらいいなと思います。色々な国の方々が私たちの作品を見てくださっていることは非常にうれしく思っています。同時に作品のモチーフそのものが、国の軍国主義が破滅に向かっている時代を舞台にしていますので、色々な疑問が私の家族からも、自分自身からも、スタッフからも出ました。それにどういうふうに答えるかということで映画を作りました。ですから映画を観ていただければわかると思います。映画を観ないで論じてもはじまらないと思いますので、ぜひお金を払って観ていただけるとうれしいです(笑)。

――今後ジブリの若手監督の監修やアイディアを提供したり、脚本を書いたり、関与するお考えは?

宮崎監督:ありません。

――「今回は本気です」ということですが、今までとは何が違うのでしょうか。

宮崎監督:『風立ちぬ』は『ポニョ』から5年かかっています。その間映画を作り続けたわけじゃなくて、シナリオを書いたり自分の道楽の漫画を書いたり、美術館の短編をやるとか色々なことをやっていますが、やはり5年かかるんです。今、次の作品を考え始めますと、たぶん5年ではすまないでしょうね。この年齢ですから。すると次は6年かかるか、7年かかるか。あと3カ月もすれば私は73歳になりますから、それから7年かかると80歳になってしまう。この前、文藝春秋の元編集長だった半藤一利さんという方とお話ししました、その方は83歳でしたが、背筋が伸びて頭もはっきりしてて本当にいい先輩です。僕も83歳になってこうなれたらいいなと思います。あと10年は仕事を続けますと言っているだけで、続けられたらいいなと思いますが、今までの延長の部分には自分の仕事はないだろうと。そういうわけで、僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わったんだと、もし自分がやりたいと思っても、それは年寄りの世迷い事であるということで片づけようと決めています。

鈴木敏夫プロデューサー

――引退を鈴木さんと正式に決めたタイミングは?

宮崎監督:よく覚えてないんですけど。もうダメだって言った途端に鈴木さんが「そうですか」と。何度もやってきたことなんで、その時鈴木さんが信用したかどうかはわかりませんが、ジブリを立ち上げた時に、こんなに長く続ける気がなかったことは確かです。何度ももう引き時ではないのか、やめようという話は2人でやってきましたので、今回は本当に「次は7年かかるかもしれない」ということに、鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。

鈴木プロデューサー:正確に覚えているわけではありませんが、『風立ちぬ』の初号(試写)があったのが6月19日。その直後だったと思います。宮さんの方からそういうお話があった時、確かにこれまでの色々な作品で「これが最後だ、これが最後だと思ってやっている」そういうお話が色々ありました。具体的には忘れましたが、今回は本気だなと僕も感じざるを得ませんでした。というのも、僕自身が『ナウシカ』から数えると今年がちょうど30年目にあたり、ジブリを続けていく間で色々ありました。これ以上やるのはよくないのではないか、やめようかやめまいか、など色々な話がありました。僕もこれまでの30年間、ずっと緊張の糸があったと思います。宮さんにそのことを言われた時、緊張の糸が少し揺れたんですよね。変な言い方ですが、僕自身少しほっとするみたいなところがあったんですよ。

だから僕はね、若い時だったら留めさせようとか色々な気持ちが働いたと思いますが、自分の気持ちの中で、括弧つきなんですけど「ご苦労様でした」っていう気分があった。そういうこともある気がするんです。ただ僕自身は、何しろ引き続いて『かぐや姫の物語』を公開しなければならないので、途切れかかった糸をもう一回しばって仕事をしている最中です。それを皆さんにこうやってお伝えする前に、いつ、どうやって、それ(引退発表)をするのかを話し合いました。その中で、皆さんの前にまず言わなければ(いけないのは)、やはりスタジオで働くスタッフだったんですよ。それをいつ伝えるのか。ちょうど『風立ちぬ』の公開がありましたから、映画の公開前に、映画ができてすぐ引退なんて発表したら話がややこしくなると思いました。だから映画を公開して落ち着いた時期、社内では8月5日にみんな(スタッフ)へ伝えることにしました。映画の公開が一段落した時期、皆さんにも発表できるかなと。色々考えたんですけど、時期としては9月頭です。そんなふうに考えたことは確かです。

――(台湾記者)台湾の観光客は、日本に旅行すると「ジブリ美術館」は外せない観光名所になっています。台湾のファンから監督の引退を残念がる声がいっぱいあります。引退後は時間がたっぷりあるので、海外への旅行も兼ねてファンと交流する予定はありますか。

宮崎監督:「ジブリの美術館」の展示については私は関わらせてもらいたいと思っています。ボランティアでという形になるかもしれません。自分が展示品になってしまうかもしれませんが(笑)、ぜひ美術館にお越しいただけるとうれしいです。……続きを読む