正確な時代考証に裏付けられた、リアリティあるフィクション要素

「キングダム」のもう一つの魅力は、"正確な時代考証と、逸脱し過ぎないフィクション要素"だ。

先ほども書いた通り、歴史物はゴールとおおまかなストーリーが最初から決まっている。しかし、逆にいえばそれは"ゴールとおおまかなストーリー以外は決まっていない"ということでもある。誰がいつ何をしたかはわかっていても、そこで実際にどんな会話があったのか、戦いにおいて誰がどう活躍したのかといった細かい点については、記録に残っていないことがほとんどだ。歴史物を面白くできるかどうかは、この隙間部分をいかに魅力的なエピソードで埋められるかにかかっている。この点でも、「キングダム」は秀逸だ。

たとえば現在、本誌で進行中の「函谷関(かんこくかん)の戦い」は天下分け目の大合戦であり、「三国志」でいうなら「赤壁の戦い」にあたる物語中盤の山場である。

おそらく単行本数冊分にはなるだろう大合戦だが、例によって結末は決まっている。ここでは詳しくは書かないが、検索してみればどちらが勝者でどちらが敗者になるのかはすぐにわかるし、私も知っている。知っていてもなお、続きが待ち遠しくて仕方がないのだ。

『キングダム』は、歴史の教科書であれば一行でまとめられてしまう出来事を、単行本数冊分かけて綿密にじっくりと描き出す。想像力を巡らせて、複雑な人間模様を、狡猾な罠を、スリリングな一騎打ちを演出する。むろん、それらのほとんどは作者の空想の産物であり、あくまでも史実をなぞるために生み出された虚構のエピソードにすぎない。しかし、前述したように"人間"を丁寧に描写しているからこそ、そこには圧倒的な説得力が生まれる。これこそが『キングダム』最大の魅力であり、作者・原泰久の筆力がなせるわざなのだ。

リアリティあるフィクションを織り交ぜる一方で、「キングダム」の時代考証はかなり正確である。歴史物には時折、設定と舞台だけを借りて別物にしてしまう作品も見受けられるが、『キングダム』はそうではない。確かにフィクション要素も多々あるし(そもそも主人公自体が実在の武将をモデルにした架空の人物である)、出てくる用語などはわかりやすさを重視して史実から若干変更されているところもある。

しかし、それでも全体としての流れは限りなく史実に忠実だ。戦いの結末が史実からひっくり返されることはないし、死ぬはずの武将が人気があるという理由で生き残ることもない。歴史の闇に隠れてはっきりしないところは自由に想像力を働かせて描くが、すでにこうだと決まっている部分を無理やり曲げることはない。

歴史物において、史実はとは"制約"であり"ルール"である。「キングダム」はルールを絶対に破らない。なればこそ、読者は安心してフィクション部分を思い切り楽しめるのだ

歴史物のルールに則り、徹底的に人間を描き出すことで、「キングダム」は他に類を見ない傑作となった。一つだけケチをつけるとしたら、それは"まだ当分は完結しない"ことだろうか。何しろ「次の巻はいつ出るのか」というこのやきもきした気持ちを抱えて生きていくことを、私は『キングダム』に宿命付けられてしまったのだから。

『キングダム』DVD第2巻

熱い戦いは紙面を飛び出しアニメーションの世界へ

さて、そんな『キングダム』だが、本稿前半でも述べた通り、毎週月曜夜18:30からBSプレミアムにてアニメが放送中である。このアニメがまた、漫画に負けじと非常に熱いのだ! 信や歴戦の猛将たちによる一騎打ちはもちろん、何万という軍勢が真っ向からぶつかり合う大人数の合戦シーンは、ディスプレイから飛び出さんばかりのド迫力で見る者に迫ってくる。

感心したのは、一つ一つのシーンに対して漫画と同じくらい、いやそれ以上に熱い演出が施されているところだ。雄大かつエモーショナルな楽曲と、丁寧に作りこまれた作画、そして実力派声優たちによるこん身の演技――漫画版とはまた違ったアニメならではの高揚感は一度体験してみる価値がある。

アニメは現在放送中だが、DVDが発売・レンタルされているので、これから見てみようという方はぜひそちらをゲットし、第一話から腰を据えてご覧いただきたい。きっとあなたが遠い昔に置き忘れてきた、熱くたぎった気持ちを取り戻すことができるはずだ。

(c)原泰久・集英社/NHK・総合ビジョン・ぴえろ