高良「やっぱりこの二人の関係を友情か否かと答えるのは難しいですね。ただ、この距離感てわりとよくあるものだと思うんですよ。正二は九州から上京して専門学校に入り、日雇いのバイトにつきます。そこで自分とタメの貫多と出会い親しくなる。その一方で、毎日学校にも通っているわけですから、そっちの友達も増えてくる。結果的には、ある意味で貫多より付き合いやすい、自分と似た境遇の学校の友人と会う機会のほうが頻繁になる―。僕も親の転勤でよく転校していたんですけど、新しい学校で最初に話しかけてきてもらえる好意的に感じるし、その人とは友達になるけど、何カ月かするとより自分に近い人と親密になることが多かったですからね。正二も初めての日雇いバイトの現場で自分と同い年の貫多と出会えたのはうれしかったでしょう。それで自然につるむようになったけど、貫多が正二に対して感じていた友情とは違うものだったかもしれません。ただ、貫多のエネルギーって、下を向かせない力があるんですよ」

森山「なにがしかのネガティブさを持ってはいるんだけど、人と話をする時に相手の目を見ない…というような暗さは持ってない。気持ちの向きということだけじゃなく、実際に下を向かないように心掛けて演じていましたね」

高良「たしかにそうだったなぁ」

森山「ただ、人の目を見て話すという行為の意味はいくつかあると思うんですよ。相手に対して誠実である場合と、相手の心をうかがいながらその目を見ている場合と。貫多は後者だと思うんです。うかがったり、粘着質に相手の言葉や反応を求めている形という感じで」

高良「実際に求められてましたよ(笑)。『家賃を貸してくれ』っていうセリフなんかは特に。呪いというか、"なぁいいだろ?"、"いいだろ?"、"いいだろ?"って絡みついてくるような」

森山「(笑)」

高良「そうかも。あれで本当は入るつもりのなかったのぞき部屋にも…いや、それは違うな。正二はむっつりだから、本当は入りたい気持ちが強かったんですよ(笑)」

森山「貫多と正二はそこでつながっていた部分も大きいですよ。結局、二人とも"雄"なんですよね」

――その辺の友情感は男同志ならではという感じですが、この作品は男性と女性で見え方がだいぶ違ってくるように思います。どんな反応を予想していますか?

高良「カップルで映画館に入ったりすると、彼氏のほうは『面白かった!』って言いづらいかもしれない」

森山「そうかもね。貫多は康子のことは"異性"としか見ていないしね。一人で見ていたら『面白かった!』って思えても、彼女の反応を見てそう言えない男性は多いかもしれない。それどころか映画館から出てくる時にちょっと気まづいくらいの雰囲気になるかもしれない(笑)」

高良「確かに。でも…何て言うか…元気でますよ。この作品を見たら」

森山「そう感じてもらえると嬉しいね。以前に別のインタビューを受けた時に、『主婦やそのお子さんも見たりする雑誌なんですけど、そういう方にもアピールできる見どころは?』と聞かれ、正直かなり悩んだんです(笑)。それで、その時に出たのが『これは"花粉症対策映画"です』という言葉で」

高良「おーっ! なるほど~」

森山「今の時代はきたないものには触らせない、危ないものには近づかないということにかなり過敏になっていますよね。抗菌、滅菌が当たり前の世の中で、公園のブランコでさえ"危険だ"という理由で撤去されたというニュースを見たことがあります。子供を持つ親としては当然のことかもしれないけど、そういう生活を続けていると免疫ができないですよね。地球上に存在する菌をすべて排除できるわけではないし、ある程度そういうものに触れて免疫を作る必要もあると思うんです。だから、人間社会の中に割とありふれているものに対してアレルギー反応を起こしたくない人は、ぜひ見てほしい。免疫力がつきますから」

高良「この映画、菌類なのかな(笑)」

森山「(笑)。そういうわけではないけど、かつて"3K"と呼ばれていた肉体労働の世界に対してそういう感覚を持っている人は多いでしょう。でも、そういうものがあるからこそ、世の中は動き、美しいものがちゃんと美しくみえたりするんだと思うんですよ」

高良「とっさに出た割にはものすごい説得力がある(笑)」

森山「(笑)」

高良「ただ、貫多に触発され過ぎるのはまずいかも」

森山「結論としては、いろいろ考え過ぎずに触れてみたほうがいい経験になることもある、ってことじゃないかと。寺山修司さんが言うところの『書を捨てよ、町へでよう』という感じかな。ただ、この作品の貫多は『書を捨てずに、町へも出た』という描かれ方をしているので、ある意味で理想的なのかもしれないですね」