3DプリンタとFPGAの共通点と相違点

先日、経済誌に3Dプリンタに関する興味深い記事が載っていた。積層造形と呼ばれる現在の3Dプリンタの基礎技術はなんと日本人であったらしい。その原案は1980年代に考えられ、1990年代に実用化されたとされる。世界の3Dプリンタの出荷量は2015年で約19万台であったのが市場調査会社の予想によると2019年には200万台を超す勢いだという。初期にはフィギュアなどの趣味レベル程度であったものが、今では巨大なものも登場し、使用できる材料の改良によっていろいろなアプリケーションを取り込んでいる。現在では住宅を3Dプリンタで建ててしまうようなプロジェクトもあるという。不思議なことであるが、この記事を見てFPGAの事を考えた。この2つには共通点がたくさんあるのだ。

  • 3Dプリンタも半導体デバイスのFPGAもどちらも印刷という技術をベースにしている。
  • どちらも、エンドユーザーの要求にクイックに対応できるように製品仕様を柔軟に変えることができ、その仕様を込めた製品を短期間に制作することができる。
  • 基本的にカスタム仕様という概念なのではじめはコストが高いが、不断のコスト低減の努力で大量生産に移っても十分ペイするくらいになっている。

FPGAの発展過程は私も早い時期から見ているので大変に面白い。FPGAの発想は私がAMDで勤務した時代にメインに扱ったCPUとは違うが、微細加工の技術を駆使しながら高機能を小さなシリコンチップに集積し続けるという半導体の発展そのものを具現化している。かつてAMDもFPGAの原型となったPAL(Programmable Array Logic)というものをやっていて、その技術の取り込みにMMI(Monolithic Memory Inc)という会社を買収したことがあった。もともとは基板上でCPU、メモリ、I/Oなどの主要デバイスをつなげるための糊のような存在であったTTL(Transistor Transistor Logic)が高集積化しPALになった。

それがさらに大規模に、しかも高速化したものがFPGAである。3Dプリンタの記事を見てなぜFPGAの事が頭に浮かんだのかと考えていたらふと思い出した。昨年Lattice Semiconductorに対して買収工作をはかった中国系ファンドのCanyon BridgeにCFIUS(対米外国投資委員会)が待ったをかけたという事件について記事を書いた時に、Latticeの競合の一社であるX社の関係者に話を聞いた時のことが私の頭に残っていたのであろう。今ではFPGAはAI、ADASなどの先進アプリケーションに積極的に採用されている。

さて3Dプリンタであるが、これは破壊的なポテンシャルを持っていると私は考えている。FPGAはもともとデジタル半導体の世界でデジタル技術がいろいろなアプリケーションを取り込んでいく過程で発展した技術であるが、3Dプリンタはデジタル技術が一気にアナログの職人の世界の在り方を一変させてしまうような革命的な技術であると考えられる。一番大きい変化はサプライチェーンに現れるであろう。住宅を3Dプリンタで作ってしまう例を考えると、仕様の決定→設計→材料の確保→建設工事→完成という住宅建設に関わる非常に広範囲にわたるサプライチェーンの多くの部分にとって代わる破壊的な可能性があり、その経済的なインパクトには計り知れないものがある。データをやり取りするだけであらゆるものの製造を可能とする3Dプリンタの技術は、今では一見まったく関係ないと思われる"大工の匠の技"の強力な対抗軸となる可能性だってあるのである。

  • Am386を設計するエンジニアの著者所蔵写真

    Am386を設計するエンジニアの著者所蔵写真。AMDはIntelの80386CPUの回路拡大写真からロジック設計を目視で読み出し、Intelの設計情報なしに独自設計を行う所謂リバース・エンジニアリングの手法を用いて完ぺきな互換性を持つAm386を1から開発した

かつてのAMDに存在した匠 - CPUデザイン・エンジニア

匠の技と言えば、私には忘れられない思い出がある。AMDがIntelから80386のライセンスを受けられず、最後の手段としてリバース・エンジニアリングで独自の回路設計による互換品Am386を開発した時のCPUデザイン・エンジニアたちである。この辺の諸事情は過去に書いた私の記事に詳細が載っているので、興味のある方はそちらもぜひ、お読みいただければと思う

記録によるとAm386の集積トランジスタ数は27万5000個、当時のプロセスルールは0.8μm(800nm)であるから現在のものとはまったく比較にならないほどのレベルであるが当時としては最先端のCMOSロジックプロセスであった。リバース・エンジニアリングというのは公開された情報に基づいて独自の方法で同じものを再現するという技法である。そこでAMDの匠エンジニアたちがやったことというのは、なんとIntelの80386のチップの各レイヤーを1つひとつ引っぺがして、部分・部分の顕微鏡拡大写真を撮り(もちろんアナログ写真である)それを大きな体育館のようなところに敷き詰めて、端から端までゲートの組み合わせを目視して記録していくという途方もないプロジェクトであった。

そうして解析したロジック設計を独自のCPU設計に落として、CPUデザインを完成させるというものであるから、まったく呆れた話であるが、AMDの匠エンジニアたちはこれを立派にやってのけた。IntelとAMDのプロセスは勿論違うものであるから、Intel80386とAm386の中身はまったく違うものであるが、PGAパッケージから出ている132のピンを通してやり取りされるイン・アウトの信号には寸分の違いがない。クロック周波数が現在のCPUのGHz台のスピードではなく、最高で40MHzであったからと言ってウィンドウズOSのどのアプリケーションを動かしても何の問題もなかったというのは驚きである。

  • チップ拡大写真からロジックを読み取ろうとするAMDの匠エンジニアたち

    チップ拡大写真からロジックを読み取ろうとするAMDの匠エンジニアたち (著者所蔵写真)

3Dプリンタの話からいきなりAMDの昔話に飛躍してしまったが、ガチガチにデジタルな世界でも人間のアナログの能力、心意気というものは創造の現場には必ず必要なものであることに変わりはない。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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