• あけましておめでとうございます。2022年も、本連載をどうぞよろしくお願いいたします

2022年がやってきた。過去においての年初は、北米で開催される恒例のCESイベント取材の慌ただしさの中で、今年はどんな年になるのだろうと頭の中でいろんなことが飛び交うのが通例なのだが、そのCES取材は今年も断念し、自宅に引きこもってのオンライン取材になっている。

次に海外にいけるのはいったいいつなんだろうと思いながら、この2年間に、本当ならリアルで取材したであろうオンラインイベントの数々を思い起こしつつ、なんとその様子が印象に残っていないかということに自分自身でびっくりする。

フリーランスのライターは、経験がメシのタネだ。経験を言葉に変え、文章やトークにして報酬を得ている。その一人の自分としては、その経験を得るために、いろんな努力をする。取材対象である関係者にさまざまな経験を提供してもらえるようにするのが最初の一歩だ。ヒト、コト、モノ、データ、ゲンバ。さまざまな事象が経験の対象であり、その結果として情報を得る。

VRやAR、MR、さらには今、トレンドのメタバースは、これらの経験をデジタル化し、データの往来によってイベントを具現化するのだが、果たしてそれは同じ場所、時間に同席する必要があるリアルイベントと同等の経験を提供することができているのだろうか。

デジタルで送られる情報は微妙にズレる

この正月は、毎年恒例の箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)を見た。狭い我が家では別室にあるテレビの音声が聞こえるし、その気になれば両方の映像を見ることができる。

両方のテレビで同じチャンネルを受信していても、両者のコンテンツには微妙なズレがある。片方がほんの少しだが遅れて再生されるのだ。0.5秒は遅れていない。もう少し短い。でも、明らかに片方が遅れている。

生放送のはずなのだが放送局でのエンコード、受信機でのデコードなどの処理によりリアルタイムではないことがわかる。大事なことは複数のコンテンツ再生がなければ、そのギャップに気がつくことはないということだ。

暮れにはジャニーズカウントダウンを見た。これも、ライブだったが2022年の到来をカウントダウンするのに、手元の時計とは数秒ちがっていた。日本国民の何人がリアルタイムで年明けをカウントダウンできたのだろうか。どの時計を信じればいいのだろうか。

そもそも、時空間の共有という点で、ぼくらはリアルイベントを本当にリアルタイムで見ているのではないということがよくわかる。

こういうことを経験すると、「今」という空間の時刻はいったい何時何分何秒なのかということに対して疑り深くなっていく。たとえ、コンマ数秒の違いとはいえ、リアルタイムではないのだ。

電波を使う放送でさえこうなのだ。YouTubeなどで提供されるいわゆるライブ配信などは、もっとタイムラグがある。数秒どころか分単位で違う。

でも、ZoomやTeamsといったオンライン会議アプリは、参加者に対して、それぞれが同時に同じ映像、音声を得られるように工夫している。だからリアルタイムっぽい会議ができるのだ。参加者ごとにコンマ数秒のラグがあったとしたら、コミュニケーションは破綻するだろう。

ただ、実際に使っていて、参加者同士が同時にしゃべってしまうということに対する配慮についてはとまどうことも多い。たとえば電話での会話であれば、双方が同時にしゃべっても、なんとなくコミュニケーションは成立する。

だが、オンライン会議のときには、相手がしゃべったと気がついたら、どちらかが黙る必要がある。マナーとしては当たり前だが、そこで、同じ空間を共有しているイメージが、ちょっとだけ崩壊してしまう。リアルの会議に出席するときと、そこが大きく違う。

イベントのオンライン化で得られる「体験」の違い

こうしたオンライン会議ツールにおける細かい面の違和感は、これからどんどん改良されていくに違いない。リアルの会議で同席しているのと遜色のない臨場感が得られるようになるだろう。

ただ、それは気のせいでもある。個々の参加者が使っているデバイスはスマホかもしれないし、ノートパソコンかもしれない。専用の会議システムのような大画面のスクリーンと高品位なオーディオ再生装置で武装しているかもしれない。こうした異なる装備を参加者めいめいが使っていれば、その体験が異なるものになるのは当たり前だ。

大きなイベントのオンライン化も、基本的には同様の事情によって、参加者の印象を異なるものにしているように思う。そしてそれが、イベントのオンライン化の弊害となってあらわれている。

これから出てくるデバイスの多くは、こうした、ちょっといびつなコミュニケーションの結果として生まれたものにならざるをえない。むしろそのほうがいいという考え方もある。それでも2020年に生まれた製品と、2022年に生まれる製品には、ちょっとした違いを感じることがあるかもしれない。それが何かを知るということも大事な経験のひとつだ。

今後も、いろんなレポートがメディアを通して届けられるだろう。そして、その多くがオンライン体験のレポートだったりする。受け手としては、そのことを覚悟して情報を咀嚼する必要がある。それがこの時代のリテラシーの新しい当たり前でもある。