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【答え】ランボルギーニ「ミウラ」(Miura)
ランボルギーニ「ミウラ」は1966年から1973年にかけて製造・販売された2シーターのミッドシップスポーツカーであり、世界初のスーパーカーとして知られています。
このミウラは、誰もが認める名車中の名車です。しかし、フェルッチオ・ランボルギーニ(ランボルギーニの創業者)は、上質な「GT」が欲しいという理由から、当初は同モデルの開発に難色を示していました。それが事実であることを示すように、この時期のランボルギーニからは「350GT」「400GT2+2」という2台の「GT」が登場しています。
実は、ミウラ開発プロジェクトの発案者は、のちに「レジェンド」と称されるジャンパオロ・ダラーラでした。ちなみに、発案者のダラーラは「ダラーラ・アウトモビリ S.p.A.」の創業者としても有名です。そのダラーラ社は現在、世界中で行われているほとんどのフォーミュラカーレースにシャーシを供給しています。つまり、ジャンパオロ・ダラーラはとんでもない天才であり、この設計者がいたからこそ1960年代にスーパーカーが誕生したと言えるのです。
ミウラの初登場は1965年11月の「トリノショー」でした。その際にはシャーシとエンジンのみのコンセプトモデル「TP400」として展示されました。
この時はボディのデザインも決まっておらず、「ミウラ」という名前すら付けられていませんでした。そして、1966年3月の「ジュネーブショー」で、ボディが架装された「ミウラP400」が登場します。当初、フェルッチオ・ランボルギーニはミウラを30台程度の限定車として考えていましたが、予想をはるかに超える100件以上のオーダーが殺到しました。そのため、生産化に踏み切らざるを得なくなったのです。
ミウラの特徴は、なんといってもV型12気筒エンジンを横置きミッドシップに搭載していることです。日本で唯一のスーパーカーと呼ばれた初代「NSX」(ホンダ)も横置きミッドシップですが、ミウラの半分のV型6気筒エンジンです。
ジャンパオロ・ダラーラはこれを実現するために「イシゴニス式」を採用します。つまり、「ミニ」(MINI)の真似をしたのです。
MINIの生みの親であるアレック・イシゴニスにちなむイシゴニス式は、エンジンの下にあるオイルパンの中にギアボックスとデフを組み込む2階建て構造になっているのが特徴です。しかし、ミニのレイアウトをそのまま流用するとパワーユニットの重心があまりにも高くなってしまうため、ミウラはトランスミッションをエンジンの横に移動させました。
ただし、ミウラのトランスミッションは、現在のクルマと比べて非常にコンパクトでした。イシゴニス式の採用だけが、V型12気筒エンジンの横置きミッドシップ化を可能にした理由とは言い切れないのです。
ミウラはこれだけでも十分にすごいクルマだと言えるのですが、ボディのデザインにも「とんでもエピソード」が残されています。
フェルッチオ・ランボルギーニは、ミウラのボディを「カロッツェリア・ベルトーネ」に依頼します。デザインだけでなく、製作も含めた依頼でした。ところがこのタイミングで、チーフデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが、2代目社長のヌッチオ・ベルトーネの待遇の悪さに怒りを爆発させて退職してしまいます。そして、後任にはなんと、ゼロからクルマを完成させた経験が一度もない新人デザイナーのマルチェロ・ガンディーニが抜擢されます。
これはギャンブルといっても過言ではない判断でしたが、のちに歴史に名を残すことになるミッションをガンディーニは見事に敢行してしまうのです。
ガンディーニのデザインは、ジウジアーロが残したミッドシップレイアウトを想定したいくつかのアイディアがベースになっていると言われています。これを「ミウラ論争」と呼ぶこともあるようですが、少なくとも2人の天才が関わったことは間違いないようです。
ランボルギーニのミウラについて改めて考えてみると、「フェルッチオ・ランボルギーニ」「ジャンパオロ・ダラーラ」「ジョルジェット・ジウジアーロ」「マルチェロ・ガンディーニ」という4人の天才によって生み出されたスーパーカーと言えるかもしれません。
それでは、次回をお楽しみに!
監修: 旧車王(https://www.qsha-oh.com/)
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