この時期のインドの最大の話題はディワリである。インドの新年を「光の祭典」で祝う。日本の正月もそうだが、この日のために買い物をし、着飾り、正月を祝う。直前の「ディワリ商戦」は商店にとっての最大の稼ぎ時である。ディワリが始まる時には実家に帰り、家族で新年を祝う。ここまでは日本の正月も中国の春節も同じである。しかしインドのディワリは「光の祭典」である。元々は敬虔かつ宗教的な儀式だったのだと思うのだが、我々のような外国人にとっては1年で最も危険な時期となる。路地という路地で爆竹が鳴り、空にはロケット弾が飛び交う。いや、飛び交うのならまだいいのだが、そのうちロケット弾の水平射撃が始まる。それも四方八方からである。

ディワリで飛び交うロケット弾

総スカン状態の中でのF1インドGP開催

インドファンの筆者といえど、この時期だけはインドには行きたくない。

10年前に一度だけディワリを経験した。街に行ってもレストランはどこも閉まっている、仕方がなくて帰ろうとしたが、爆竹と花火(の束)の爆発で車が通れない、やっと着いたと思うと横からロケット弾が飛んでくる。何とか8階の自分の部屋に逃げ込んだが、今度はロケット弾が部屋の窓にガンガンと当たり、火薬の臭いの中で震えていた。ちょうどアフガン戦争の時期、米軍の爆撃とタリバンの高射砲を見ているようであった。

しかしそれは筆者が外国人だからである。インドの人々にとっては大事な祭りである。花火と爆竹を買い込み、次々と火をつける。嬉々としてやっているのだから文句もつけようがない。いや、文句をつけるという考えが間違っているか。インドにとっては大事な祭りである。

しかし今年は少し違った。同じこの時期、多くのインド人にとって「歓迎されざる祭り」も始まった。10月28日から始まったインドで初となる自動車F1シリーズのグランプリ(GP)である。

10月28日、デリー郊外・グルガオンのブッダ・インターナショナル・サーキットでF1インドGPが始まった。

昨年の英連邦協議会(コモンウェルスゲーム)の時と同様に、施設建設が間に合うのか否か、本当に開催できるのかどうかが問題となったが、ハード面は何とか間に合ったようだ。関係者をぎりぎりまで心配させ、最後の最後には間に合わす。やはり同じインドである。

もっとも、レースが始まって5分後には野良犬までレースに飛び込みで参加したとのことであり、「完成」と言えるのかどうかは疑問が残る。昨年の英連邦競技会でも選手村の中を野良犬が走り回っていたのだから、同じレベルの「完成度」であろう。牛が参加するのよりはまだマシである。

しかし、野良犬の件は笑い話ですむが、これほど「歓迎されざるF1」も珍しいだろう。

レース場の土地取得に関する疑惑で住民の妨害が心配され、映像の配信を巡って直前までメディアのボイコットが心配された。それだけではない。最大の問題はインド政府の支援をまったく受けられなかったことである。

多くの新しい開催国では国の資金援助等を受けているのに対して、インドでは全く逆となった。

機材の搬入に関しては関税をかけ、年間の賞金に対しては所得税をかけるとした。さらに娯楽税免税の結論が出るまでは入場券売り上げの25%を供託する最高裁判所命令まで出された。

理由は簡単である。F1は「国家的な重要イベント」とはみなされず、「上流階級向けの娯楽」とされてしまったからだ。

もちろんF1を歓迎する人達もいる。インド人初のF1ドライバー、ナレイン・カーティケヤン選手も出場するし、インドチーム「フォース・インディア」も出場する。一部の若者の間では盛り上がっているのだろう。

筆者が最初にF1インドGPの計画を聞いたのは、たしか2007年だったか。

当時の計画では2009年開催と聞いた。別のメディアのコラムで「2年で間に合うわけはない」と書いたし、インドにF1はいらないと書いた。理由は簡単である。

実はインドでは、以前から"F1レース"が開催されている。深夜ともなれば公道で若者によるレースが行われ、昼間は昼間で「殺人バス」によるカーチェイスが行われている。それを見習うのが「運転者道」と信じている一般のドライバーの何と多いことか。正式なF1の開催によって、これがさらに盛り上がってほしくないだけである。

しかし公道でのF1よりもっと怖いニュースが飛び込んできた。それも日本政府からである。

インドに新幹線は必要か

報道によると、日印原子力協定締結の協議が再開されるとのことである。原子力発電所の問題については、すでにこのコラムで2回ほど書いた。最初は東日本大震災の前に書いた第10回「『保守』が苦手なインドに原発を供給してもいいのか?」である。

次が第18回「インドの原発はフクシマと同じ道を歩むのか」でも書いた。その後、ますます反対運動は盛り上がっているようだが、その件は別の機会に書こう。もう一件は、国土交通省がインドの高速鉄道建設建設への新幹線採用に向けて、官民一体での売り込み活動を行うとの報道である。

インド政府は2020年までに国内6路線の高速鉄道を整備する計画を立てているが、すでに4路線の予備的調査の入札では欧州勢が落札し、日本は出遅れている。これに対して官民一体で巻き返しを狙うとのことである。これは、一見するともっともな話である。

しかし、インドに新幹線は本当に必要なのか。このコラムでも何回も書いているが、必要なのは新幹線よりも「水」である。「農業大国・インド」を支える水資源の確保が最も緊急性が高い。

では新幹線そのものはどうか。

必要性はあるのだろうが、筆者の考えでは現在のインドに新幹線は無理である。いや、筆者の考えというより、誰が考えても無理だろう。筆者はインドの科学技術力が劣るなどと考えたことはない。自前でスーパーコンピュータを開発し、アジアで最初に独自技術で原子炉を稼動させた国である。それに比べれば新幹線などは簡単であろう。やる気になれば外国の技術を導入しなくてもできるはずである。

「高速鉄道」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、今夏の中国における衝突事故である。詳細な事故原因については聞いていないが、根底にあるのは「急ぎ過ぎ」であろう。安全を軽視し、早く作れ、速く走らせろの結果であろう。あっという間に全国に高速鉄道網を敷き、世界最高速の列車を動かした。

昨年、筆者も上海から南京まで高速鉄道に乗った。発車9分で時速330kmに達したが、乗り心地は良かった。日本の新幹線より揺れも少なかった。驚いたのは、定刻1分前に発車したことである。運転手まで急ぎ過ぎている。「世界の工場・中国」の技術をもってしても、安全技術は真似できなかった。

筆者が乗った南京行きの高速列車 和諧号

ではインドはどうだろう。

インドでは列車事故が多発している

9月には筆者が拠点としているチェンナイ郊外で、信号待ちで停車していた列車に後続の別の列車が追突する事故があり、15人が死亡した。7月には北部のウッタルプラデシュ州で脱線事故があり、69人が死亡した。また、インド東部・西ベンガル州でも2本の旅客列車が衝突し、60人以上が死亡した。こんな事故が年に何回も発生している。

インドの過去最悪の鉄道事故は、1981年に東部ビハール州で列車が川に転落した事故で、推計で800人が死亡したらしい。

インド国内での鉄道事故は2001~2011年の10年間で2,431件だった。脱線事故は1,410件である。1年で141件の脱線事故、実に月に12件の割合で脱線事故が発生している。

主な要因は人為的ミスである。インド国鉄従業員140万人に対する安全訓練強化が何よりも急務である。

そのような状態で、2020年までに6路線の高速鉄道網を作るらしい。作るのは簡単だろう。しかしその線路の上を時速300km以上の高速列車を走らせていいものだろうか。まずは在来線の安全性を高めるのが先であろう。

映画「スラムドッグ$ミリオネア」で、列車の屋根の上に乗って旅をするシーンがあった。インドでは珍しくもない光景だ。2020年には時速300km以上で走る列車の屋根の上に乗客を乗せるということか……考えるだに恐ろしい話である。

いくら自国の経済のためとはいえ、こんな売り込みは悪魔の為せる業である。売り込むべきは140万人の従業員教育と安全設備である。高速鉄道はその次の段階の話である。

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。

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