第一生命経済研究所 首席エコノミスト・熊野英生氏の提言「投資不足社会」

デフレが終わるというオピニオンをよく耳にする。物価がインフレ状態になって、もう後戻りしそうにないからデフレ終結なのだという説明はわかりやすい。しかし、そこで敢えて筆者が言いたいのは、デフレ構造と呼べるものはインフレ時代に変わってもいくつか残っているという事実だ。1980年代までのインフレ時代に戻っている訳ではなく、新しくインフレとデフレが混じり合った経済に変わっているのだ。

 そこで問題視したいのは、企業の設備投資不足である。わかりやすく言えば、企業が投資余力をすべてつぎ込んで投資をしたいと思うような分野がないという点だ。株式市場では、コーポレートガバナンス改革が叫ばれ、PBR(株価純資産倍率)が1倍割れの企業に改善が求められている。企業が保有する金融資産をもっと収益性の上がる投資先に投資していれば、株価は上昇してPBRも上がるだろうという理屈だ。

 企業側からは、収益性の上がる投資先などはそう簡単に見つからないという反論が聞こえて来そうだ。求められる投資先は、圧倒的に不足している。だから、金あまりと言われて久しいのだ。

 では、有望な投資先は存在しないのか。この分野ならば必ず成長が見込めるという先はあるのか。AI、半導体、ブロックチェーン、クラウドなど、テクノロジー分野では、成長分野として語られる先がいくつもある。しかし、聞き心地のよい成長分野の名前の先では、すでに先行投資をしている企業が多く、遅れて参入しても得られるものは少ない。評論家的な「成長分野」は、必ずしも有望な投資先ではない。

 そう断った上で、有望な分野について考えると、企業にとって有望な分野がない訳ではない。多忙を極めるコンサルタント企業の経営者に話を聞くと、日本企業には顧客取引先の情報をデータベース化して、しかるべくマーケティングをすれば需要を掘り起こせる機会が山ほど眠っているという。外部の人間でなければそうしたチャンスに気が付きにくく、かつデータベース化やマーケティングも当事者ではできないという。既存の発想を変革するメソッドとして、オズボーンの法則があり、「他からアイディアを借りられないか?」とか、「役割を入れ替えられないか?」といった発想転換が求められる。身内の人材から、そうした意見が出にくいことが企業の新しい投資を妨げていると、コンサルタントの経営者は語っていた。

 この点は筆者も100%同意する。要するに、先見的に有望な投資先などは見えない。だから、それを掘り起こす努力と地道な活動が足らないのではないかと思うことがある。投資先を発見する能力が低下している。もう一言を加えると、そうした機会にお金を使えない、使わせないようにしている企業の体制も大問題だと思う。