はじめに

いま多くの企業では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響を受けたことで、これまで想定していなかった事業上のリスクが高まっている。従業員の仕事の仕方は大きく様変わりし、多くの企業で在宅勤務や出張規制を余儀なくされている。

一方、海外ではCOVID-19を、むしろビジネス上の好機と捉えている企業も少なくない。マッキンゼー社の調査1)では、企業はCOVID-19によってIT投資を当初の計画よりも3~4年ほど前倒ししているという。

つまり、導入が急がれる様々なITを適切に使いこなし、迅速に業務に反映させる技術者の力が、ますます重要になっている。常に、現場の設備や製品と向き合いながら作業する技術者は、COVID-19をきっかけに一変した労働環境下で、果たしてどのような働き方を追い求めるべきか。本稿では、リモートワークが日常となった技術者を支えるITシステムをテーマに、特に海外企業のデジタル活用事例を概説する。

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製品開発における在宅設計とクラウド環境

マサチューセッツ工科大学の研究者らの調査結果によれば、2020年4月1日から4日間のCOVID-19パンデミック第1波のアメリカでは、企業に勤めている従業員の66%がリモートワークを実践していた2)。そのとき企業は、リモートワークを支えるための対策として、既存ITシステムのインフラ強化が急務であったが、41%の企業はその対策が追い付かず、ITリソースに大きな負担がかかっていたという3)。このようなパンデミックの中で、インドの倉庫用搬送ロボットメーカーのGrey Orange社では、クラウド型のPLMシステムを導入している。

同社の設計者は、Webブラウザさえあれば、いつでもどこでもリモートで製品データにアクセスできる環境を手に入れたので、在宅からでも出社時と変わらない作業環境によって、デザイン確認や出図業務が遅延することなく行われた。

また、スイスの自動車サプライヤーのGarrett Motion社では、COVID-19によって世界各地の事業所が閉鎖されてしまい、設計作業を物理的に社外へ分散せざるを得ない非常事態となっていた。そこで同社は、完全SaaS対応のCADソフトを活用し、たとえ在宅勤務であっても社内にある高性能なCADシステムで仕事をしているような感覚で、ストレスの無いCAD操作環境を設計者に提供している。

一般に、社内で利用しているCADシステムは、社外からアクセスすると処理速度の低下や遅延等の問題が発生する可能性があるので、今後はSaaS型CADシステムがリモート設計環境で重要な役割を担うといわれている。IDC社の調査では、この数年以内に製造業の70%が、外部との共同開発にSaaS環境を利用すると予測している4)

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設計データの企業間連携時のデータセキュリティ

現在、社会や企業のサプライチェーンは非常に複雑化している。例えば、自動車産業では約125万社とのサプライヤーネットワークを形成しているので、安全なセキュリティ環境の設計データ交換の仕組みが欠かせない。そのとき各社は、同じバージョンのソフトをそれぞれにインストールし、すべてのユーザーが相互に問題なく運用できる状態を維持しなければならない。

ところが、コロナ禍によって企業間の相互連携のためのシステム管理の維持が大きな課題となっている。ドイツの電気自動車ベンチャー企業e.GO社のケースでは、サプライヤーとの設計データ授受は、完全なSaaS環境上で展開する取り組みに着手している。例えば、車両のCADデータをe.GO社からサプライヤーへオンラインで提供する場合、CADデータの複製を相手先に渡すのではなく、あくまでもデータへのアクセス権のみを与え、CAD操作はすべてSasS上で行わせる仕組みに注目した。また、SaaSにログインしたすべてのユーザーのCADデータに対するアクセス履歴は、e.GO社がリモート監視することができるので、設計IP漏洩の抑止力にもつながっているという。

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生産現場の作業トレーニングに有効な拡張現実

今やWeb会議ツールを使えば、デスクワーカーは平時と変わらずに遠隔地の相手と共同作業ができる時代となった。コロナ禍でテレワークは業務の日常風景として定着化した。

しかし、企業活動を支えている労働力の約75%は、最前線で仕事をしている労働者や従業員、いわゆるフロントラインワーカーである6)。彼らは物理的な労働環境で仕事をしているため、デスクワーカーのように在宅勤務では業務が成立しない。そこで、アメリカのロックウェルオートメーション社では、顧客先の工場での対面作業を極力減らすために、拡張現実(AR)のリモートアシスタンス機能を活用している。

現地で作業している顧客の技術者は、タブレットやスマートフォンなどを用いて同社の社員とリモート接続し、互いにビデオ映像やARデータを共有しながら、物理的に離れていてもリアルタイムな問題解決を実践している。また、イギリスのスミスメディカル社は、政府主導のCOVID-19対策7)として、医療機器の製造に不慣れであった航空宇宙自動車サプライヤーGKN社の工場作業員向けに、人工呼吸器の組立手順や生産工程をARデータ化した教育支援ツールを提供した。これにより、医療機器の専門メーカーのみならず、様々な分野の製造企業が人工呼吸器の製造に取り組むことが可能となり、より多くの人命が救われる結果をもたらした。

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製品の稼働状態のリモートモニタリング

自社製品をもつ製造企業は、製品の安定稼働を保証するために、製品の保守契約に基づいた定期的な点検サービスを顧客に提供している。しかし、コロナ禍では物理的な点検作業が十分に実施できない事態も散見されている。稼働中の自社製品に対する物理的な点検が滞ることで、もし突然の異常停止や想定外の不具合が発生した場合、企業は顧客の信用を一瞬にして失い、莫大な特別損失を計上する状況になりかねない。

スウェーデンの医療機器メーカーのElekta社のケースでは、医療機器のリモートモニタリングと産業用IoT技術を組み合わせ、ダウンタイムを劇的に減らす取り組みを実践している。これにより、同社ではサービス技術者が現地を訪問しなくても、約50%のダウンタイムがリモートで解決できるようになっている8)

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おわりに

本稿では、リモートワークが日常となった技術者を支えるITシステムについて、特にCOVID-19による被害が甚大であった海外の製造企業の経験や教訓を考察しながら、クラウド環境、企業間データセキュリティ、教育支援の拡張現実、リモートモニタリングの4つの視点で概説した。

企業は、たとえ今日のような不確実で困難な時代であっても、事業継続やレジリエンスを強化するために、本稿で紹介したようなICTシステムやデジタルテクノロジーを活用したリモートワークを実践していくことが、企業競争力の強化策の1つとして必要不可欠ではないだろうか。

現在、日本でもデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するための専門組織を設置する企業が非常に多くなっている。本稿を執筆するにあたり、海外のビジネスパーソンらとDX推進に関する意見交換をしたが、彼らが主張していたDXの成功のポイントは「Time to Value」だという。当然、企業によってDX戦略は異なるが、ひとたびDX推進部門が編成されたのであれば、会社が一丸となって一気呵成にスピード感をもちながら、その価値の獲得に全集中することを推奨したい。

参考文献

1) McKinsey & Company, “How COVID-19 has pushed companies over the technology tipping point—and transformed business forever”
2) Brynjolfsson, et al, “Covid-19 and remote work: An early look at us data (No. w27344),” National Bureau of Economic Research (2020)
3) L. Eagle, “Digital Pulse Coronavirus Flash Survey March 2020,” 451 Voice of the Enterprise, S&P Global (2020)
4) IDC Future Scape: Worldwide Digital Transformation 2020 Predictions,
5) B. Canis,“Motor vehicle supply chain: effects of the Japanese earthquake and tsunami,” Diane Publishing (2011)
6) M. Porter, J. Heppelmann, “AR and How We Work: The New Normal,” Manufacturing Leadership Council (2020)
7) Ventilator Challenge UK
8) PTC Inc, “Elekta Advances Connected Service and Product Offerings”