東京大学は5月7日、石川県立大学、University of Western Australia、京都大学、近畿大学との共同研究により、ビフィズス菌の表面にある酵素「ラクトNビオシダーゼ」の3次元構造をX線結晶構造解析により明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院 農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 博士課程3年の伊藤佑氏、同・鈴木龍一郎博士研究員(当時)、同・若木高善教授(当時)、同・伏信進矢教授、石川県立大 生物資源工学研究所の片山高嶺准教授、同・櫻間晴子博士研究員(当時)、同・山本憲二教授、西オーストラリア大学の大学院生のMitchell Hattie氏、同・Keith A. Stubbs准教授、京大大学院 生命科学研究科 博士課程の和田潤氏(当時)、近畿大 生物理工学部の芦田久教授らによるもの。研究の詳細な内容は、3月11日付けで「The Journal of Biological Chemistry」に掲載済みだ。

ビフィズス菌は、ヒトにとって有益な善玉の腸内細菌であることは多くの人が知るところである。また、母乳栄養乳児の腸内にはビフィズス菌が速やかに定着することも古くから知られていた。ヒトの母乳には10~20g/L程度の複雑な構造の「ヒトミルクオリゴ糖」が含まれており、これにビフィズス菌を増殖させる因子が含まれていることがわかっていたが、近年までその実体は不明だったのである。

そうした中、2005年に、農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所の北岡本光博士らにより発見されたのが、ビフィズス菌からヒトミルクオリゴ糖に含まれる、「ガラクトース」と「N-アセチルグルコサミン」がβ1,3-結合した二糖である「ラクトNビオース」を分解する一連の酵素の遺伝子だ。その後の研究で、ラクトNビオースはビフィズス菌を選択的に増殖させる因子であることも明らかになったのである。

また帯広畜産大学の浦島匡教授らは、ヒトミルクオリゴ糖にはラクトNビオースが含まれるタイプのオリゴ糖が多く含まれており、ほかのほ乳類の乳では、類人猿においてさえも、ラクトNビオースが含まれるタイプのオリゴ糖はまったく含まれないか、あったとしても少量であることを明らかにした。すなわち、ヒトの乳幼児の腸管に生息するビフィズス菌は母乳に豊富に含まれるラクトNビオースを栄養源として利用していると推測されるのである。

しかしヒトミルクオリゴ糖には、ラクトNビオースの二糖そのものは含まれておらず、かならずほかの糖と結合した形でしか存在していない。そのような背景のもと、2008年に、京大(当時)の山本憲二教授らによって、ビフィズス菌からヒトミルクオリゴ糖のラクトNビオース部分だけを切り出すラクトNビオシダーゼが発見された。つまりこの酵素は、ビフィズス菌がヒトミルクオリゴ糖から増殖因子であるラクトNビオースを切り出す重要な酵素だというわけだ(画像1)。

画像1は、ビフィズス菌のヒトミルクオリゴ糖代謝経路(概念図)。ビフィズス菌(B. bifidum JCM1254株)の菌体外にはヒトミルクオリゴ糖を切断する酵素が複数発見されているが、その内、ラクトNビオシダーゼ(赤色)は、ラクトNビオース(緑色)を切り出す酵素である。さらに、ビフィズス菌は、遊離したラクトNビオースを菌体内に取り込むトランスポーターと、菌体内でラクトNビオースを分解代謝する一連の酵素を持つことがわかっている。

画像1。ビフィズス菌のヒトミルクオリゴ糖代謝経路(概念図)

今回の研究では、ラクトNビオシダーゼの3次元構造を、高エネルギー加速器研究機構の「フォトンファクトリー」のビームライン「BL-17A」を利用し、X線結晶構造解析の技術を用いて高分解能で明らかにした。その結果、ラクトNビオシダーゼの中央には、ラクトNビオースの2つの糖がぴったりとはまるポケットがあることが判明。

そして、ラクトNビオースと、強力な阻害剤「ラクトNビオース-チアゾリン」(2011年に豪州・西オーストラリア大学のKeith A. Stubbs准教授らが開発)が、そのポケットに結合した構造を高分解能で決定することに成功した。また、ラクトNビオースとラクトNビオース-チアゾリンの形状から、この酵素が触媒反応を行う際の詳細なメカニズムも明らかになった。そのほかポケットには数多くの相互作用が存在し、ラクトNビオシダーゼがラクトNビオースを厳密に認識している様子も明らかとなった。

また、ラクトNビオシダーゼに結合したラクトNビオースと阻害剤の立体配座が観測できたことから(画像2)、この酵素が触媒反応を行う際に、基質であるヒトミルクオリゴ糖がどのように構造変化をして、切断(分解)されるかという、詳細なメカニズムを推定することができた。

画像2は、ラクトNビオシダーゼに結合したラクトNビオース。ラクトNビオシダーゼの分子表面の正電荷は青で、負電荷は赤で表されている。ラクトNビオース(緑色)がぴったりとはまるポケットが分子の中央に存在。

画像2。ラクトNビオシダーゼに結合したラクトNビオース

今回の研究によって、ラクトNビオシダーゼのどの部分がヒトミルクオリゴ糖をどのように認識しているのか、触媒反応に重要な部位はどこなのか、といった謎が一気に解明された形だ。

従って、この酵素を改変して、逆反応であるヒトミルクオリゴ糖の合成に適した酵素にする、といったような工学的手法が可能になったという。また近年、ヒトの腸内に生息する微生物の全体(ミクロビオーム)の研究が進んでいるが、そこに存在する遺伝子からラクトNビオシダーゼの遺伝子を推定するために重要な情報も得られたとした。将来的には、健康に寄与する食品の開発などへの応用が期待されるとしている。