鉄道ファン、とくに駅弁が好きな人にとって、新年の恒例行事といえば京王百貨店新宿店の駅弁大会だ。今年は1月12~24日の期間、新宿店7階大催場にて開催される。

この京王百貨店は京王電鉄の関連会社である。他にも小田急百貨店、西武百貨店、東急百貨店、阪急百貨店、近鉄百貨店など、私鉄の系列デパートは多い。しかし鉄道の規模が大きいJRには「ジェイアール百貨店」がない。また、大手私鉄では「南海百貨店」もない。なぜだろう?

新宿駅には京王百貨店と小田急百貨店がある

「南海百貨店」の役割を担うのは、あの有名百貨店

そもそも、なぜ大手私鉄は直営、あるいは関連会社としてデパートを経営しているのだろうか? そのルーツは、1929(昭和4)年創業の阪急百貨店にある。創業者は阪急電鉄の小林一三氏だった。

小林氏は鉄道会社の乗客を増やすため、沿線の住宅地を開発し、動物園や宝塚新温泉など、「鉄道で行く場所」を開発するアイデアを成功させた。その延長線上にターミナルデパートがあった。

鉄道にとって、平日の朝夕は通勤・通学の利用者が多いものの、平日の日中や休日は利用者が少なくなる。そこで小林氏は、都心の駅近くに百貨店をつくり、買い物客に電車に乗ってもらおうと考えた。まず梅田駅ビルに東京・日本橋の白木屋(後の東急百貨店日本橋店。1999年閉店)を誘致する。これが成功を収めたため、後に直営の阪急百貨店を開店した。この流れに他の鉄道会社も追随したというわけだ。こうした鉄道会社系列のデパートを「電鉄系百貨店」という。

南海電鉄難波駅のデパートは高島屋本店

「南海百貨店」がない理由は、「電鉄系百貨店」の役割を高島屋が担っているからだ。

1932年に南海電鉄が難波駅にターミナルビルを建設したとき、その主要テナントとして高島屋が入店し、店名を「南海タカシマヤ(高島屋大阪南海店)」とした。ここは高島屋の本社(本店)でもある。

高島屋にとって南海電鉄は「本店のあるビルの大家」であり、南海電鉄にとって高島屋は主要株主のひとつでもある。両者の結びつきは強く、南海がみずから百貨店を設立する必要はなかった。

「ジェイアール百貨店」の役割を担うのは「エキナカ」など

大手私鉄より規模の大きなJRに百貨店がないのは、そもそもJRの前身である国鉄時代より、歴史上、「国鉄百貨店」を持っていなかったからといえる。鉄道と直接の付帯事業以外は許されていなかったため、百貨店も、住宅開発もできなかった。

国鉄は政府の直轄事業だった鉄道を独立採算とするため、「日本国有鉄道法」によって設立された。鉄道と、鉄道を補完するための連絡船航路、鉄道予定路線や廃止路線を運行するバス事業のみ運営した。大型商店や住宅など、運輸と無関係な事業に手を出せば、「民業圧迫」と批判されかねない。したがって、阪急電鉄の小林一三氏のように、遊園地やデパート、住宅開発などの副業で収入を得るという経営基盤を作れなかった。

国鉄が民営化されてJRとなって、この規制は事実上なくなった。しかし、すでに鉄道が敷設されてしまった後では、線路や駅周辺の地価が高く、新規事業としての百貨店経営には魅力が少なかったといえるだろう。新規参入しようにも、百貨店経営のノウハウも少なかった。

国鉄時代から商業施設を持つ駅舎もあるけれど、これらは戦後の復興時に、国鉄だけでは駅の再建が困難だったため、民間資本とのタイアップで建てられた施設だ。駅ビルごとに会社が設立されて運営にあたり、国鉄は賃貸料を受け取るのみだったから、これは国鉄が経営する百貨店とはいえない。ただし、1971年に国鉄の制限が緩和され、駅ビル事業会社に出資できるようになったという。

もっとも、現在はJR各社も経営多角化の戦略を進め、小売業にも積極的だ。JR東日本も駅ビルを発展させた「ルミネ」「アトレ」を展開している。昨年10月には、有楽町駅前の西武百貨店跡地に「ルミネ有楽町店」がオープン。駅から離れた場所にも本格的百貨店を出したとして話題になった。

また、「駅の近くに百貨店が作れないなら、駅の中に作ってしまおう」というわけで、東京駅や品川駅などに、従来の駅売店や土産物店とは異なる店舗スペース、いわゆる「エキナカ」をつくった。これらの商業施設が、いわば「ジェイアール百貨店」といえるだろう。

一方、JR東海が名古屋駅ビルを高層ビルとしてリニューアルした際、高島屋との合弁事業として、「ジェイアール名古屋タカシマヤ」を設立した。高島屋はほかにも、伊予鉄道と「いよてつ高島屋」を設立したり、相模鉄道が所有するビルに高島屋横浜店を構えたりするなど、鉄道会社との連携が多いようだ。