生理学研究所(NIPS)は7月20日、マウスの特定の種類の細胞だけに光を感じて反応するタンパク質の「光感受性分子」を、安定かつ多量に遺伝子発現させる遺伝子改変マウスを開発したと発表した。

成果は、NIPSの松井広 助教、田中謙二助教(現・慶應義塾大学医学部准教授)らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、7月19日付けで「Cell Reports」電子版に掲載された。

ヒトの身体は、200種にもおよぶ細胞が多数集まって作られている。互いの細胞は、情報や物質をやり取りしながら協調することで生命を維持しているが、細胞同士が協調して働く活動は複雑で、生きたまま特定の細胞の働きだけを解析するのは容易なことではない。

田中助教らは、緑藻類が持つ光感受性タンパク質「チャネルロドプシン2(channelrhodopsin-2:ChR2)」の遺伝子を、特定の細胞種にのみ効率よく発現させるシステム「KENGE-tetシステム」を確立した。KENGE-tetシステムの特徴は、体の中の特定の細胞種だけ狙って、その活動を生きたまま光によって制御(光操作)することが可能になるという点だ。

マウスの細胞に光感受性分子の遺伝子を導入する試みは、実は世界各地で行われており、決して珍しい研究ではない。その多くは、「無毒なウイルスを使って、光感受性遺伝子を細胞に導入する」というものだ。コストは安いというメリットはあるが、目的の細胞に安定かつ大量に発現させるのが難しいというデメリットがあった。

遺伝子の発現量にバラつきがあると、同じ光刺激を与えても得られる結果が変わってしまう点が問題である。結果として、しっかりと光刺激できているのか、何による効果を測っているのかといったことがわからなくなってしまう。

その点、今回開発された2種類の遺伝子改変マウスを利用したKENGE-tetシステムでは、ねらった細胞種にのみ、光感受性分子ChR2を安定かつ大量に遺伝子を発現させることができる。

例えば、グリア細胞にChR2を発現させたマウスの頭部に光をあてると、狙ったグリア細胞でのみ「細胞膜に陽イオンを通すチャネル」が開き、内部に電流が流れ込んで細胞が活性化されるという具合だ。このように、頭蓋骨を通して、脳をまったく傷つけることなく、特定の神経細胞やグリア細胞の活動を自在に操り、時系列を追って観察できる技術は、極めて画期的といえよう。

KENGE-tetシステムでは、具体的には2種類の遺伝子改変マウスを用いる。この2種類の遺伝子改変マウスの第1のマウスと第2のマウスを対象に、次のような2段階の操作が行われた。

まず、第1のマウスの「目的とする細胞種だけで発現する遺伝子」の制御部位(プロモータ)に、「tTA(テトラサイクリン制御性トランス活性化因子)」の遺伝子を組み込んで、「tTAマウス」を作製。

次に、第2のマウスの「β-actin」遺伝子部位に「ChR2の発現を誘導する遺伝子(tetO遺伝子カセット)」を組み込んだ(「tetO-ChR2マウス」)。β-actin遺伝子座に導入する理由は、β-actin分子がどのような細胞においても多く発現される分子だからだ。

このような2種の遺伝子改変マウスを掛け合わせることによって、目的の細胞種でのみChR2を安定かつ多量に発現させることに成功した。この時、第1のマウスにおいてtTAを組み込む遺伝子の種類を変えると、ChR2が発現する細胞種が変わることも確認されている(画像1)。

画像1。2種類の遺伝子改変マウスを使ったKENGE-tetシステムを開発

さらに研究グループは、この2段階の光感受性分子発現システムを利用し、脳の神経細胞やグリア細胞においてChR2を発現するマウスを、何系統も作り出すことに成功した。

これらのマウスの脳に光ファイバーによる光刺激を与えると、神経細胞やグリア細胞をピンポイントで活性化させることができ、その細胞の状態と行動との関連を詳細に解析するツールとして利用できることを明らかにしたのである。

研究グループは今回、このようして開発したKENGE-tetシステムを用いて、脳を作る神経細胞以外の細胞である「グリア細胞」を主な標的細胞にして解析を進めた。従来の脳の研究の中心は、神経細胞の働きを調べることだったが、KENGE-tetシステムにより、新たな視点から検討が可能になったというわけだ。

今回の研究対象のグリア細胞は、脳容積の多くを占め、興奮状態が変化することなどが知られている。ただし、その形状は複雑で培養が困難なことなどから、分子レベルの動態や脳機能に与える影響などについては、実はほとんど解明されていなかった。今回のKENGE-tetシステムを用いれば、これまで研究の脇役だったグリア細胞と脳や心の機能との関連が明らかにできると期待されるのである。

生きたままの状態で細胞レベルの活動を変えられるKENGE-tetシステムは、脳科学だけでなく、ほかの生物学領域や医学分野において広く応用可能だ。今後、ChR2以外のさまざまな機能タンパク質を発現するマウスを作り出し、レパートリーを増やしていけば、新薬候補の効果を試す際の網羅的なスクリーニングなど、医学や生物学の幅広い分野で応用できることが期待されるという。

なお、今回開発された遺伝子操作マウスは、理化学研究所 バイオリソースセンターより入手することが可能だ。