理化学研究所(理研)とNECの研究チームは、コヒーレント量子位相スリップ(CQPS)効果により磁束が完全反磁性に反して量子的に超伝導材料をトンネル(透過)する現象を実験で証明したと発表した。今回の成果は長年にわたり予言されていた超伝導現象の重要な理論を初めて実証したのと同時に、量子電気標準系で欠けていた「量子電流標準」の実現などの応用に道を開くことになるものだという。

理研基幹研究所 物質機能創成研究領域 単量子操作研究グループ 巨視的量子コヒーレンス研究チームのツァイ ヅァオシェン(蔡 兆申)チームリーダー(NEC中央研究所 スマートエネルギー研究所 主席研究員兼務)らによる研究チームによるもので、詳細は英国の科学雑誌「Nature」オンライン版に掲載された。

超伝導の研究は、電場が関与する現象と磁場が関与する現象の発見が交錯しながら進展してきた。歴史的には、1911年にゼロ抵抗現象や完全電気伝導を示す超伝導現象が発見され、1933年には完全反磁性現象を示すマイスナー効果が発見されたほか、1962年になると超伝導デバイスの基礎であるジョセフソン効果が発見された。ジョセフソン効果は量子電圧標準を実現し、現代科学技術分野全般に大きな波及効果を及ぼし、超伝導現象を応用した磁気共鳴画像装置(MRI)の開発は、産業、医療分野を大きく前進させたほか、ジョセフソン効果を応用した高感度に磁束を測定できる超伝導量子干渉計(SQUID)は、さまざまな応用場面で役立っている。

ジョセフソン効果は、弱く結合した2つの超伝導体の間に、超伝導体の電子対がトンネル(透過)することによって超伝導電流が発生する現象だ。このジョセフソン効果と量子力学的に完全に双対な現象がコヒーレント量子位相スリップ(CQPS)効果で、磁束がエネルギーを失うことなく量子的に超伝導細線を横切る現象であり、ジョセフソン効果における電子対が絶縁体(空間)をトンネルすることと類似している。また、ジョセフソン効果では、電子対の運動の障壁になるのは、絶縁体(空間)だが、CQPS効果の場合は、磁束の障壁は超伝導細線になる。CQPS効果は昔から理論上予言されていたが、適合する実験材料が見つからず、また評価方法も確立できなかったこともありこれまで実証されていなかった。

図1 ジョセフソントンネル接合(左)とコヒーレント量子位相スリップ(右)
左図:ジョセフソントンネル接合の模式図。2つの超伝導体間が薄い絶縁体(この図では空間)で仕切られていて、そこを超伝導電子対がトンネルすることで電流が発生する
右図:コヒーレント量子位相スリップの模式図。2つの絶縁体(空間)の間が超伝導体で仕切られていて、そこを磁束がトンネルすることで電流が発生する。「双対」という意味は、左の図と右の図で、空間の位置と超伝導体の位置が完全に逆転していることを指す

今回研究チームは、CQPS効果を明確に観測するため、酸化インジウム(InOx)薄膜を用いて幅40nmの細線を含んだ4×8μmの大きさの超伝導ループを電子リソグラフィで作製した。

図2 超伝導細線を含んだ超伝導ループ電子線リソグラフィを用いてInOx薄膜を幅40nmの細線が含まれた4×8μmの大きさの超伝導ループを作製。このループに対して垂直方向に小さな磁場を変化させながら印加し、同時にマイクロ波共振器からGHzのマイクロ波を照射してエネルギー分光測定を行った

このような構造では、完全反磁性に反して磁束がエネルギーを失うことなくトンネルすると、磁束が超伝導ループを出入りし、すでに開発したジョセフソン接合を用いた磁束量子ビットに相当するデバイスが実現できることが予想された。また過去の研究により、このような量子ビットで量子力学的なトンネルが発生すると、原子と同等の性質を持つ量子ビットは、基底状態から励起状態へとエネルギーを変化させ、ギャップ構造を生じることが分かっていた。

図3 コヒーレントなトンネルの証拠であるエネルギーバンドのギャップ。磁束とエネルギーの関係性を調べた時、古典物理の世界では、隣り合う磁束状態は独立なので、エネルギー状態は交差する(中央点線部分)。しかし、量子力学の世界では、隣り合う磁束状態同士がコヒーレントに相互作用しているので、縮退が解けてエネルギーギャップが表れる。青線は基底状態、赤線は励起状態を示す。このようなギャップが表れたことで量子的な現象が起こったことが言える

この量子ビットのエネルギーレベルを観測するために、外部から小さな磁場を変化させながら印加し、同時に接続したマイクロ波共振器から、ギガヘルツレベルのマイクロ波を照射してエネルギー分光測定を行った結果、エネルギーバンドには約5GHzのギャップが存在することが確認された。

図4 エネルギー分光測定法で得られたエネルギーバンド図。この観測によってCQPS効果が実証された

これは磁束が量子的にトンネルしていることを証明するもので、理論上予想されていたCQPS効果を実証し、ジョセフソン接合を用いない新しい超電導磁束量子ビットの試作に成功したことも意味するものだという。

CQPS効果は、ジョセフソン効果と量子力学的に完全に双対であることから、ジョセフソン効果で達成できることはCQPS効果でも達成でき、ジョセフソン効果と双対のデバイスの実現が可能になると考えられている。最も期待を寄せている応用は、現存のジョセフソン効果がもたらした量子電圧標準と双対関係にあるCQPS効果による量子電流標準の実現で、これまでも単電子トランジスタを基に量子電流標準の実現が試みられてきたが、単電子トンネルが確率的に起こることや、背景電荷のバラつきなどの問題があり、標準構築には至っていなかった。CQPS効果にはこうした問題が存在しないため、効果的な量子電流標準の実現が比較的簡単にできると考えられると研究チームでは説明している。

すでに量子電圧標準と量子抵抗標準は現存しているため、量子電流標準の実現が達成できれば、「量子三角形」と呼ばれる自己完結した量子電気標準系が実現することとなる。

図5 量子三角形。1973年にノーベル物理学賞を受賞したジョセフソン効果によって量子電圧標準が実現し、1985年に同賞を受賞した量子ホール効果によって量子抵抗標準が実現した。CQPS効果による量子電流標準の実現が達成できれば、「量子三角形」と呼ばれる自己完結した量子電気標準系が初めて実現できることとなる

また、現代の基礎物理常数は、主に真空中で孤立した量子(原子や電子など)を使った実験で導き出しているが、電子がたくさん詰まっている固体素子系では、その基礎物理常数の値が異なる可能性が指摘されており、量子電気標準系が確立できれば、このような重要な問題にも解決の糸口が見いだせることが期待できるという。