海がない国スイスは、ミョーな世界記録を持っています。それは「世界一深い海へ潜った潜水艇を開発した」人物がいたということです。その名はオーギュスト・ピカール。70年も破られない記録を持つこの潜水艇とピカールについて、お話しちゃいます。あ、最初は気球の話が妙に長いですが、大丈夫ですよー。たぶん。

2015年、名古屋飛行場にミョーな飛行機が飛来しました。名前は、ソーラー・インパルス。太陽電池だけを使って飛行するスイスの飛行機です。翼の幅は72.0mと、ジャンボジェット機より幅が広い飛行機ですな。で、太陽電池のみを使った、つまり燃料ゼロでの初めての世界一周飛行の途中でした。で、この飛行機は2016年にはハワイを経由して太平洋横断に成功しています。時速は70km程度。燃料ゼロで太平洋を横断するって、考えてみればすさまじいことですな。落ちたら終わりだし、何日もかかるわけですからね。

このソーラー・インパルスですが、そうそうたるスポンサーがついています。オメガ(時計)にシンドラー(エレベーター)、ドイツ銀行などのメインスポンサーのほか、グーグルやネスレ(コーヒーにチョコ)、バイエル(化学・薬品)、クラランス(化粧品)にヘネシー(ワイン・リキュール)など日本でも知られる世界企業がサポーターに名を連ねています。日本でもトヨタ自動車がパートナーですな。

ソーラー・インパルスの紹介動画「What is Solar Impulse ?」

どうしてこのプロジェクトがこれほどの支持を得られるのか? といえば、プロジェクトリーダーに信頼と実績があるからにほかなりません。リーダーは、ベルトラン・ピカールという医者です。えー、まちがってません。この人は精神科医です。で、医者であると同時に、冒険一家ピカール家の一人として、世界初の世界一周の無着陸気球飛行を成し遂げた人でもあるのですな。そういうヒーローだからスポンサーもつきやすい。わかりやすい話です。そして、彼自身が操縦桿をにぎっているんです。

このピカール一家は、気球と縁が深いのでございます。ベルトランの祖父のオーギュスト・ピカールも気球冒険家として知られていました。いや、オーギュストおじいちゃんは、基本的には物理学者なんですな。宇宙線を測定するために、高空にあがれる気球を追求し、1931年に人類で初めて成層圏に達しています。ちなみに宇宙線は1911年にヘスさんが発見。そもそも放射線そのものが1898年にベクレルさんが発見したばかりでした。

また、オーギュストおじいちゃんの双子の兄弟のジャンおおおじも、成層圏気球に乗っていますし、そのパートナーのジャネットおおおばも気球乗りで、女性で初めて成層圏に達しています。さらに、ジャンとジャネットの息子のドンは、アメリカで気球クラブをつくり、熱気球を使った飛行を楽しむ運動を展開しています。

ともかく、ピカールが世界記録ホルダーな、冒険気球一族だってことはおわかりですね。だからこそ、その一族から、冒険的潜水艇が登場するのでございます。

1931年に成層圏に到達したオーギュストおじいちゃんは、さらに記録を塗り替えていきますが、そのうちにもうひとつの極地への夢がふくらみます。高いところの次は、低いところ。つまり深海へのチャレンジですな。20世紀に入ったこのころは、すでに、大陸間の海底通信ケーブルが展開されていました。で、その過程で、海の深さについても知識がかなり広がっていたのですな。1925年には、太平洋のグアム島の近くのマリアナ海溝の深さを調べて、日本の測量船「満州」が、9814.6mの深さを測定しています。この1万m級の深海の存在に、オーギュストおじいちゃんは冒険心を沸き立たせます。そして、深海潜水艇の構想をはじめるのですな。

当時ももちろん潜水艦はありました。たとえば第一次世界大戦(1914年~1918年)ではドイツのUボートが大活躍をしたわけでございます。この潜水艦は、圧縮空気で水を排出したり取り入れたりして、沈降・上昇をする仕組みでした。つまり、潜るためには、空気を出して水を取り入れるのですな。ところが、この方法では、深くは潜れません。潜った後に、水圧が高く、水を排出することができないからですな。潜水艦の潜航深度は、第二次世界大戦終了時で100m程度が限界だったのですな。現在でもだいたい700mくらいが限界のようです。

そこで、オーギュストおじいちゃんが考えたのは、気球の応用でした。人間が乗る部分は極小で非常に頑丈な鋼鉄のボールにします。で、あとの部分はガソリンを詰めた気球のようにします。ガソリンは水圧を受けてもつぶれないので、ガソリンタンクは丈夫にする必要はありません。内外の圧力差がなければものはつぶれないのであります。で、ガソリンタンクでバランスをとり、浮上するときは、電磁石でつり下げられたおもりを捨てて浮かび上がるという戦法をとったのですな。電磁石でつり下げているので、万一電気がおちたら、必ず浮上するという安全対策でもあります。つまり、安全に沈むために浮かぶ潜水艇を造ったんですねー。

ということで、オーギュストおじいちゃんの夢と、気球の技術の着想が、海なし国スイス生まれの深海潜水艇を開発することなったわけなんですな。

この方法で開発したバチスカーフ潜水艇は、第二次世界大戦後に開発が本格化し、1953年には900mを記録。さらにフランス海軍がこれを購入・回収して4000mの記録を作ります。そして、1960年、バチスカーフ・トリエステ号は、オーギュストの息子、つまり太陽電池飛行機のベルトランのお父さんの、ジャック・ピカールによって操縦され、世界記録に挑みます。目標は、グアム島沖で、満州号が発見した深い領域の近くにあるチャレンジャー海淵(チャレンジャー8号が発見)。彼らは3時間かけてもぐり、10911mの世界記録を達成。これはいまでも破られていません。無人探査機は日本の「かいこう」もふくめて何機か成功し、科学探査がなされています。

バチスカーフ・トリエステ号 (出典:U.S. Naval Historical Center)

ただ、2012年に、ほぼ同じことをやってのけた人が出ました。映画「タイタニック」で有名なジェームス・キャメロン監督が、2012年にディープシーチャレンジャー号を使ってほぼ同じ深さまで潜るのに成功しています。しかし、ジェームス・キャメロン、自分で行っちゃうなんて、すげーですな。

それにしても、高空記録のオーギュスト、深海記録のジャック、そして無着陸の気球記録のベルトラン、さらに大叔父、大叔母と、なんなんだのピカール一族。いや、これが政治家一家なら、地盤がどうのなんですが、命の危険がある冒険ですからねー。「そんな危ないことするなんて、親の顔が見たい」「いや、親もこんなんなんで」うへー。ってなもんでございます。いやはやなんとも楽しい一族です。そして、そういう冒険を応援するのもいいですな。そんな冒険が続くように、オメガの時計やクラランスの化粧品を買いましょう(両方とも高いのですが……)。

最後になりましたが、まだ、ベルトラン・ピカールのソーラー・インパルスには、アメリカ横断と大西洋横断、アフリカ横断が残っています(2016年4月末現在)。出発したのが中東のオマーンですからね。無事の成功を祈りたいものでございますな。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。