アメリカの100ドル札に描かれているのは、ベンジャミン・フランクリンでございます。で、この人は、かみなりの下で凧上げをして、電線を発明したんですな。もちろん、それで100ドル札になるわけもなく、アメリカでは「国父」として絶大なる尊敬を集めている人物でございますが、そのあたりも入れつつ、ご紹介いたしますねー。

電線といえば、うっとうしいもの、というイメージでございましょう。電柱の電線はめざわりなものとされ、パソコンに電源ケーブルをつなぐのは面倒がられ、コイル状に巻かれた電源ドラムや掃除機の電線は熱を持つから延ばせといわれ、そんで、それにけつまずく。いやー、もうヤダヤダってなもんでございますな。

ただ、その、電線がなかったらどうなるかというと、世の中成り立たないのでございます。電源の供給は絶たれ、電子機器はスイッチを入れることもできず、いや、電池があったとしても同じですな。距離が短くなるだけのことでございます。電線をつなぐのは、最近は圧着ですが、半田付けも行われていまして、両方とも基礎ですな。日曜大工と違って、ちょっと100V使おうと思うと資格がいるので、あまり流行りませんけれどもね。

ということで、電気の利用とともに、電線は発達してまいりましたが、じゃあ、電線を誰が発明したの? といわれると、はたと困るのですな。電気そのものは、2000年も前に静電気として発見されています。琥珀をちょいとこすると、羽毛が吸い付くマジカルな現象としてですな。実際、手品のネタとして使われたりしたようです。

変化が訪れたのは、静電気をためる装置が発明されたからです。これは、理科の先生と科学の歴史を研究する人以外には、あまり知られていませんが、かなりおもしろい道具です。ライデン瓶(ビン)といいます。来電とか、雷電ではなく、Leiden。オランダの地名です。ライデン大学で発明されたのでこの名前がありますな。1746年といいますから、18世紀の真ん中へん、でございます。ライデン大学は日本の研究をしたシーボルトのいた大学で、日本のコレクションでも有名でございます。現在でも、世界トップクラスの大学の一つですな。

ライデン瓶は、ガラスの表裏の下半分に金属めっきをし、内側のメッキと金属のフタを、瓶の中央にたらした金属チェインでつなぐ形となっています。なんのことはなくて、コンデンサですな。ふたの金属を通じて、内外のメッキの間に静電気をためることができます。発明当時はガラス瓶のなかの空間に電気がたまっていると考えられたようですが、ちょっと違うわけです。

ライデン瓶は、アルミホイルとプラスチックのコップがあれば、手軽に作れます。作り方は、あちこちにのっていますが、愛媛の科学館のあたりが丁寧ですかね。電気をためるには、ライデン瓶のふたのあたりで、静電気を発生させればよいわけです。まあ、下敷きをこすって近づけてもいいんでございますな。で、電気を取り出すには、ふたにさわればよいんです。バチっときておもしろいのですが、心臓が弱い人はマジしないほうがいいっす。火花が飛ぶので、これを使って、火薬に点火してピストルを撃つという実験も行われたようでございます。

ベンジャミン・フランクリン

さて、ライデン瓶が発明されると、世界中でこれを使って、電気遊び(研究ですね、はい)がはじまりました。その遊び(だから、研究)の一つに、かみなりでライデン瓶に電気をためるというのがあるんですな。それをやったのが、アメリカの100ドル札の肖像になっている、ベンジャミン・フランクリンさんといわれています。実験は甥がやったらしいんですが、まあ、この人が思いついたんですね。

フランクリンは、1752年(ライデン瓶発明からわずか6年!)、かみなり雲が広がっているときに、凧をあげ、たこ糸(ワイヤーと書いている本もあるんですが、どうも糸らしいです)の一端を、ライデン瓶につくようにしました。そして、しばらくしてライデン瓶を取り出すと、電気がたまっていたというんですね。つまり、かみなりが起きるような空の状況では、大気中に静電気が発生していたという証明をしたわけなんです。また、この実験を通じて、たこ糸のような柔いものでも、電気を通す線として作用することがわかりました。電気を通しやすい金属などをつかった電線の最初の一歩といえるでしょう。さらに、高いとがったところに落雷することと、線で電気を送れることを組み合わせ、フランクリンは避雷針を発明します。

ちなみに、同じような実験をしたフランスの科学者は、ライデン瓶ではなく、自分の身体に電気がやってきて、感電死してしまったそうです(いうまでもなく、雷雲がせまっているときに凧あげをしてはいけません!)。フランクリン(の甥)はよく平気だったなということなのですが、かみなりの怖さはもちろんわかっていたわけで、直撃しないような工夫をしていたらしいのですね。おそらくは、手でもって凧をあげたりはしなかったのでしょう。

フランクリンは、この実験のほか、いくつかの業績によって、科学者として認められ、イギリスのアカデミーから学位を授与され、時の人になります。

が、それだけでは終わりません。フランクリンは科学者としてよりも、最初は実業家であり、後に政治家・外交官として活躍していた人なのです。フランクリンの一番有名な仕事は、アメリカの独立宣言(1776年)で、ジェファーソンとともに5人の起草・署名人の一人だったことです。また、イギリスとの間の独立戦争では、科学者としての名声と、その社交的な人柄で、フランスの上流階級の心をつかみ、フランスを参戦させ、ヨーロッパ大陸のほかの国を中立にさせました。アメリカの勝利はフランクリンによってもたらされたといっても過言ではないほどです。まあ、そのためにフランスは戦争貧乏になり、フランス革命の引き金を引いたようなもので、なんともかんともなんですが、世の中単純じゃあありません。

フランクリンは、さらには、公共図書館を作ったり(というか発明したといっていいくらい)、大学を作ったり、そして人々に考え、学ぶことの重要さをわかってもらうような活動を行いました。まさに八面六臂。そして、大変謙虚な人柄で、人々は彼を尊敬していたそうでございます。っていうか、今でもそうなんですと。だから100ドル札なんですね。ただ、どこでもサイエンス的には、ベンジャミン・フランクリンといえば、かみなり凧あげなファンキーな科学オヤジとして知っておきたいということでございます。

そうそう、この人はアルモニカという、グラス・ハープを改良した楽しい楽器の発明者でもあるんですよ。モーツァルトは、大人気になったこの楽器のために、曲を作っています。よかったら、聞いてみてください。科学者が発明した楽器というと、テルミンがありますが、こちらの方がなんともいいですなー。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。