慶應義塾大学(慶応大)は12月20日、無線で力触覚を伝えられる携帯型力触覚通信機「フォース トランシーバー」(画像1)を開発したことを発表した。開発は、慶應大理工学部システムデザイン工学科の大西公平教授(画像2)らの研究チーム。発表会で実際に触らせてもらってきたので、その模様をお伝えする。

画像1(左):フォース トランシーバー。 画像2(右):開発者の慶應大の大西教授

人間の五感に対し、遠隔地から情報を伝達する技術はかれこれ100年以上の歴史がある。古くは1876年の電話による聴覚伝達、そして1927年のテレビによる視聴覚伝達など、そうした技術が開発されるごとにメディアの革命が起き、その一般への普及と共に人々の生活は大きく様変わりしていった。また慶応大では、これらに次ぐ第3の新しい五感を伝達するメディアとして、力触覚情報を扱った技術を2010年に実現し、特許を取得している。

視聴覚情報の伝達メディアとしてはマイクやスピーカーが、視覚情報の伝達メディアとしてはカメラやモニタなどが一般に用いられるのは誰もが知るところだ。しかし、力触覚情報においてこれらに相当する伝達媒体はまだ開発に至っていない。

そこで今回、大西教授らがこれまでに培ってきた力触覚伝達の基礎技術を援用することで、無線による携帯型力触覚通信機「フォース トランシーバー」を開発した。フォース トランシーバーは送受信機間における力触覚通信を可能にするものであり、コミュニケーションメディアの革新や遠隔地における人間行為支援、医療介護やエンターテインメントなど、幅広い分野への応用が期待されるという。

今回はまだひな形ということで7.5kgの重量があるが、持ち運びが可能な設計で、送受信機はそれぞれ単体で動作するので、どこにでも設置可能だ。どうしても力覚を伝えるという目的のため、ある程度のサイズは必要になるだろうから、携帯電話やタブレット並みの小型軽量化は難しいかも知れないが、将来的には少なくとも今以上にはコンパクトにできることは間違いないだろう。

フォース トランシーバーの特徴は、トランシーバーとあるように、双方向通信であることが1つ。画像3にある通り、電話のような聴覚情報の伝達機器はマイクで入力してスピーカーで出力、テレビの視覚情報はカメラで入力してモニタで出力するという単方向の形だ。それに対してフォース トランシーバーは、マスター側とスレーブ側と便宜上設定されてはいるが、スレーブ側からマスター側を動かすこともできるので、事実区別はない。双方向通信となっている。

画像3。フォース トランシーバーは走行方通信が特徴の1つ

そしてフォース トランシーバーを実現するに当たって最大の制限とされるのが、力触覚を伝えるために時間の遅延が発生してはいけないという点だ。例えば固定電話の場合は一見すると双方向なのだが、仕組み的には逆向きの単方向通信が組み合わさっているだけなので、実は一方的に伝えるだけという構造だ。そのため、時間的な遅延が発生してもあまり問題ない。具体的には、0.1~0.2秒ぐらいが許容範囲とされている。携帯電話になるともっと遅れても許容され、最大で0.3秒ぐらいまでになるという。

しかし力触覚通信の場合は、触った瞬間に反力(反作用)が返ってこないと不自然なので、時間的な遅れが発生したとしても、それを人間が知覚できない短時間の範囲内で抑えなければならない。今回の開発における研究過程で調査が行われた際、30ミリ秒遅れてしまうともう送受信が不可能となってしまうことがわかったという(結果、フォース トランシーバーが動作しなくなる)。今回の発表の時点では、9ミリ秒の遅延となっている。実際、この約100分の1秒というのは装置が働く限界だということで、この範囲内に入ったことで発表することにしたそうだ。

こうした仕組みを実現するに重要なのが、双方向性である。マスター側もスレーブ側も情報を送信すると同時に受信する必要があるため、トランスミッターとレシーバーが同時に働く必要があるという(両者を合成したのがトランシーバーである)。送受信には、周波数帯域は2.404GHzと2.429GHzの2種類が使われている。これで双方向性を実現しているのだ(こうした仕組みが1パッケージとなっており、持ち運びできるようになっている)。

ただし、周波数帯域が近いため、今のところ数十mという距離までしか離せないが、もう少し異なる周波数帯域が使えれば、無線で500mは離せるという(無線周波数帯域は勝手に使っていいわけではなく、使用許可が出ている使用周波数帯域は決まっており、その関係で現状では2.404GHzと2.429GHzしか使えず、近すぎるために混信してしまうので、500mは無理なのだそうだ)。

なお500mの無線通信が可能になれば、あとはうまく有線を使って補うことで、福島第一原子力発電所の空間線量率の高い建屋内でも、オペレータが安全な距離からこのフォース トランシーバーの機能を使うことも可能になるという。場合によってはロボットアームにフォース トランシーバーの機能を持たせるという、ほかの大学や研究機関、企業とのコラボレーションを展開してもいいのではないだろうか。

続いては、力触覚通信の原理についてだ。画像4に示されているように、人が物体に触れた場合、接触した位置において物体に与える力(青色矢印)と物体から返ってくる力(赤色矢印)が生じる。いわゆる、作用・反作用の法則だ。力触覚通信においてこれを人工的に実現するためには、2台のフォース トランシーバー間で動きを合わせ、力を伝え合う必要がある。

マスター側のフォース トランシーバーで下に押すことで、スレーブ側はマスター側に従って物体を実際に下に押すわけだが(スレーブの青矢印)、その一方でマスター側はスレーブ側が下に物体を押すことで生じる反作用をそのまま上向きの力(マスター側の赤い矢印)として再現することで、力触覚通信は再現されるのである。なお、マスターとスレーブは入れ替わることも可能だ。

画像4。力触覚通信のマスターとスレーブでの力のかかり方

フォース トランシーバーを実現する仕組みとして組み込まれているのが、画像5に示した処理である。マスターとスレーブで動きを合わせる同期性と、作用・反作用の法則を実現する力を伝え合うことの2つの要素を独立に同時に発現することが重要だという。

動きを合わせることは「位置制御器」が受け持ち、力を伝え合うことは「力制御器」が受け持つ。それらを統合して高性能なマイクロコントローラ(コンピュータ)が計算処理をすることで力触覚通信を実現しているというわけだ。そしてフォース トランシーバーの機能で相手方のフォース トランシーバーに接続している。同様に、相方のフォース トランシーバーからの力触覚情報は、計算処理を行って、先ほどのそれぞれ独立した2つの要素としてループするようになっているのである。

画像5。フォース トランシーバー内で行われている処理

なお、2010年に発表された外科手術支援ロボット(画像6・7)の場合は、1つのコンピュータがマスターとスレーブをコントロールする「中央制御方式」(画像8)の場合、コンピュータから見て時間的な遅延は発生しない。よって、比較的実現することは難しくないという。ただし、せいぜい2~3mの距離でしか使えない、つまり遠距離での力触覚伝送が不可能という弱点もある(ただし、手術室の中でコンパクトにまとまる外科手術支援ロボットなどなら問題はない)。

また、ある程度マスターとスレーブの間に距離がある今回の「遠隔制御方式」(画像9)の場合、コンピュータをマスターとスレーブそれぞれに用意し、その間を通信路でつなぐ形だ。もちろん、通信路が入ってくるため、中央制御方式に比べると遠隔制御方式は難しい。ただし、これまで説明したように、周波数帯域を離すなどすれば、最大で500m離すことも可能になる、というわけだ。なお、改めて説明するまでもないが、コンピュータとマスターおよびスレーブ側の力触覚装置を電源や通信機など一式を含めてまとめたのがフォース トランシーバーなのである。

画像6(左):2010年に発表された外科手術支援ロボットのスレーブロボット。 画像7(右):スレーブロボットを操作している様子

画像8(左):中央制御方式の模式図。 画像9(右):遠隔制御方式の模式図

なお、フォース トランシーバーの中がどのような構成になっているかというと、画像10はスレーブ側の機器の背面だが、これで見て左側にはバッテリが入っていて、上側にはモータなどの駆動部が入っている。右側には制御部という具合だ(ボードも自作だそうである)。前述したように送受信を同時に行うために2回線を必要とすることから、アンテナは2本立っている(要は、いつも送信しているアンテナと受信しているアンテナというわけだ)。

画像10。スレーブ側のフォース トランシーバーの背面

ちなみに、世の中にはWi-Fi、Bluetoothなど、多種多様な無線方式が存在するが、すべて試してみて、全部ダメだったという。遅すぎてとても使い物にならないのだそうだ。よって、フォース トランシーバーに使われている無線方式は大西教授らが独自に開発したもので、遅延を防ぐために必要最小限の情報しか送らないようにしているという。例えるなら、ラジコンの操縦に近いとか。重い情報や、もし送受信がうまくいかなかった時の「再送信命令」といったものも一切省いてあるそうだ。

1回の制御時間が100マイクロ秒で動作しており、サンプリングは1秒間に1万回ということになる。音が300~3000Hzなので、フォース トランシーバーは1万Hzということになり、力触覚は感度よく伝わるというわけだ。

なお、全開の外科手術支援ロボット用のものは繊細な動作が可能だが、力が出ないという弱点がある。今回目標としたリハビリテーションでの使用には向いていないことから、フォース トランシーバーではその点が強化された。フォース トランシーバーは連続定格推力で105Nだが、その5倍、500Nでも問題ないとしている。よって、手のリハビリだけでなく、足のリハビリでも利用できるだろうとした(モータを変えることでそこら辺はさらにより強力にすることは可能)。

フォース トランシーバーはジェネラルユースということで、リニアモータを使用し、用途も特殊で装置も大がかりだった外科手術支援ロボットと比較すると、かなり小さくは作られている。ただし、まだ余裕を持って設計しているため、携帯用というにはやや大きめであり、もっと小型化はすることが可能だという。

また、今回のフォース トランシーバーは、力触覚を伝える機構として1次元のスライダーを採用(画像11・12)。30cmほど前後に動かせるのだが、これは手のリハビリの動きに30cmほどが必要だからということである。

画像11(左):フォース トランシーバーの上面。マスター側 画像12(右):スレーブ側の上面

それから、力の伝え方は可変させること(スケーリング)が可能だ。0.7倍から1.4倍まで変えることが可能だ。これは、スレーブ側の力がマスター側に返ってくるのを表したものであり、0.7倍なら軽く操作できる一方で、1.4倍ならより力が必要になるというわけだ(画像13)。さらに別の部分の調整で、0.5倍から2倍まで変更できるという。

フォース トランシーバーにおいて取得される力触覚情報は数値情報となることから倍率を変更するといった加工が容易なだけでなく、SDカードに保存することも可能だ。そのほか、LANケーブルによる優先接続も可能だ(画像14)。

ちなみに、内部の機構は繊細なものは入っていないため、必要以上に慎重に運んだりする必要がないという。スレーブ側が極限環境で使用される可能性もあるため、繊細なセンサの類や、ひ弱なICは一切積んでいないのだそうだ。

画像13(左):操作パネルで設定。0.7倍。 画像14(右):LANケーブルの差し込み口

スペックは以下の通りとなる。

  • サイズ:173mm×604mm×180mm
  • 重量:7.5kg
  • 位置分解能:4.6μm
  • 可動域:300mm
  • 連続定格推力:105N
  • 無線帯域:2.4040GHz、2.429GHz(2対の無線モジュールを使用)
  • 平均往復遅延時間:9msec
  • 制御周期:100μsec

なお、筆者も触らせてもらったが、遅延が発生することは一切なく、完全にスレーブ側がマスター側に同期しているのがわかったし(動画1)、力触覚が完璧といっていいほどで、フォークでリンゴを刺したり抜いたり、テープを破いたりといったことを体験したが、そのスレーブ側からマスター側に返ってくる感触は本当にリアルだった(画像15)。あまりにもスムーズすぎて、逆に違和感を覚えるほど。棒か何かでつながっているのではないか? という具合だった。

普通、この手の力触覚通信というと、オンラインゲームのキャラクターの操作のようなイメージで、タイムラグとか発生して動作がスムーズでなくなる瞬間とか現れそうだが、何度動かしても現れないし、スレーブ側の感触は寸分違わずマスター側に伝わっていたので、本当に感心させられた。リンゴを刺してみたりしたのだが、刺すとズグッという感じが伝わってくるし、抜く時の抜けない感触なども間違いなく実際に刺して抜いた感触が伝わってきた。

動画1。フォース トランシーバーのスレーブがマスターに完全に連動している様子
画像15。リンゴをスレーブ側でグサグサ刺したり抜いたりしていたが、マスター側で感じられるその感触のリアルなこと

ちなみに非常にスムーズなことと、それが当たり前のように行われているということを大西教授に伝えたところ、「そういってもらえることが、狙ったことが実現できているということで、一番嬉しいですね」とコメントしてくれた。

またフォース トランシーバーのリハビリでの使い方としては、マスター側を医療従事者が操作し、遠隔操作を用いて患者はスレーブ側でトレーニングをするというものもあれば、患者が健常な側の手でマスターを捜査し、障害の発生している側の手をスレーブで動かす自己リハビリにも使える。自己リハビリは近年非常に注目されており、回復が早いそうだ。こうしたものに適合した機器がなかったので、そこでフォース トランシーバーを使えないかと考えているというわけである。イメージは、画像14のような形だ。

画像16。フォース トランシーバーのリハビリでの使用のイメージ

そのほか、現状のリハビリでは1人の患者につき1人の医療従事者が付き添う形で行われているため、高齢化が進むことで患者数の増加は必要となる医療従事者の増加につながってしまうこと、結果として産業に貢献すべき若年層をリハビリに従事させることで、社会の活力を損なってしまう可能性が高くなることを排除できるともしている。

それを実現させるためにも、フォース トランシーバーは必ず役に立つと思われ、それには小型化を実現して実際にリハビリ用装置に組み込み、早い段階で実用化することが重要だろう。また個人的にはエンターテイメント関係でもかなり使えそうな気がするので、アミューズメント業界の方もぜひ注目してもらいたいところである。