日本の学校、特に中学や高校の多くが、制服の着用を義務づけている。日本全国で高校は約5,100校、中学は約1万800校あると言われているが、それに小学校や大学で制服があるところを加えると、国内のおおよそ2万校前後で制服が着られていることになる。その約8割が、実は岡山で作られているのをご存知だろうか?
現在、国内で制服を手がけているメーカーはごく零細なメーカーを除いても大小合わせて50社以上あるが、その半数以上は岡山県の企業である。更に、大手と言われている「トンボ (トンボ学生服)」、「明石被服興業(富士ヨット学生服)」、「菅公学生服(カンコー学生服)」の3社は全て、岡山県に本社を置いている。
米の代わりに綿花を栽培したのが始まり
その理由についてトンボ開発本部の佐野勝彦さんは、「江戸時代に岡山を治めていた池田藩が、当時は米本位制経済だったことから、米を増産しようとして遠浅の瀬戸内海を干拓したのですが、塩害で米は作れず、その代替品として綿花を栽培したのが始まりです」と説明する。
瀬戸内海に面した岡山の各地域では、その綿花を使った足袋製造や真田紐などが盛んで、紡績や織布など設備も整っていたこともあって、綿を使った制服が作られるようになったという。「岡山の綿は繊維が太くて短く、丈夫な織物に適していたため、制服にピッタリでした」(佐野さん)。
さらに、明治中期から、人々が洋装に変わってきたことも大きかったという。「洋装では足袋は穿きませんから、足袋の市場が縮小してきたので、代わりに作るものを探して制服に着目したわけです」と佐野さん。ちなみに、日本で初めて学校制服が定められたのは、明治5年(1872)に日本で始めて作られた帝国大学(現東京大学)だった。
ブレザータイプは岡山発祥
実はあえて制服を選んだのには、もうひとつ大きな理由があった。佐野さんは「それは岡山が東京や大阪といった大都会から距離が離れているからです。流行を追いかけるものでは、都会との間にタイムラグが生まれて売れにくくなるので、一度決めると何年も変わらない制服が最適だったのです」と説明する。
とはいえ、保守的な制服を生産しつづけることに甘んじているわけではない。今、多くの学校で採用されているブラザースタイルの制服は岡山発祥である。「80年代、団塊ジュニア世代を自校に取り込みたい高校が、海外修学旅行を目玉にしたこともあって、外国で見られても違和感のない制服として、ブレザータイプが考案されました」(佐野さん)。
デニム大国・岡山は制服作りが起源?
ところで、岡山といえば世界に誇るデニムの生産地であることを思い出す人も多いだろう。今年7月には、東京都・原宿で、岡山デニム共同組合による第2回合同展示会が3日間にわたって開催されたが、1回目に続き大盛況を博したいう。
岡山でデニム生産が盛んになったのは、昭和30年代のこと。当時、日本で合繊が大量に創られるようになり、ウールと混紡した素材が学生服の主流になったが、合繊大手メーカーが系列化を進めるため、アパレルを絞ることにした。それに漏れた小規模学生服メーカーは、代わってジーンズ制作に乗り出したというわけだ。
アメリカで労働者が好んで穿いたジーンズ、そして3年間着続ける制服は、どちらも丈夫で長持ちすることが、支持されるための絶対条件。つまり、岡山で生産されるデニムと制服が全国的に揺るぎないシェアを誇り続けているのは、その品質が高く評価されているという証拠といえる。
一度、自分の出身校の制服のタグなどを見てみてはどうだろうか。恐らく「岡山県」の表示がどこかにあるはずだ。
●information
岡山県アパレル工業組合