今なお衰えぬアマチュア無線

コロンビア沖にある、絶海の孤島、マルペロ島に2012年1月、アマチュア無線家たち(アマチュア無線の世界では「ハム」と呼びます)が無線室(同じく「シャック」と呼びます)を建て、世界中の約20万ものハムとの交信に成功しました。こうした絶海の孤島などを訪れ、無線交信することを、アマチュア無線の世界では「DXぺディション」と呼びます。難易度の高いDXぺディションを実行することは、まさに未開の地に足を踏み入れ、そこで大きな成果を上げる、アマチュア無線の「パイオニア精神」そのものです。

アマチュア無線から始まったソフトウェア無線

アマチュア無線機製造会社の米FlexRadio SystemsのCEO、ジェラルド・ヤングブラッド(K5SDR)のこれまでの活動もDXぺディションと同じくらい「パイオニア精神」あふれるものだったと言えるでしょう。彼は10年前、自身のコンピュータで「リグ(アマチュア無線機)」を制御しようと、キッチンのテーブルに座りました。しかし最終的に彼は、自分自身のパソコンそのものを「リグ」にしてしまったのでした。ここからソフトウェア無線(SDR; Software Defined Radio)への道が開かれたのです。2002年にFlexRadioは、世界初のSDR実験キットをアマチュア無線家向けに販売開始しました。これは無線信号を受信し、デジタル・ビット・ストリームに変換し、パソコンのデジタル信号処理で変調と復調をすべてできるようにしたものです。

これまでの無線機との大きな違いはどこにあるでしょうか?

それは、制御・調整用のツマミがまったくないことです。

アナログ電子回路技術の進歩によって、かつて業務用や政府、軍事関係のユーザにしか手の届かなかったレベルの無線機が、今ではアマチュア無線家も手軽に手に入れられるようになりました。FlexRadioの「FLEX-6000 Signatureシリーズ」は、ダイレクト・デジタル送受信、LAN制御も実現しているプラグ&プレイ構成のSDRで、同時に8台の受信機をパソコン上で構成できます。これはDXぺディションや、無線通信コンテストに参加するアマチュア無線家にとってみれば、より多くの局の信号を同時に受信できるようになることを意味します。これでアマチュア無線家が恐れることがあるとすれば、パイルアップ(多数の局からの通信要求)を処理しきれないことだけでしょう。

信号処理の課題

FLEX-6000を開発するために、数多くの大きなハードルを克服する必要がありました。SDRの最大の課題は、高速なスピードと精度を維持しつつ、どうやってアナログ世界とデジタル世界の間を橋渡しするかということです。それは思わぬところで解決できることとなりました。高性能な広帯域サンプリング受信機が必要な、業務用の無線機プロジェクト開発に取り組む中から、「これなら」というソリューションが見つかったのです。それまでAnalog Devices(ADI)のHF(短波)帯無線機は狭帯域信号技術を使用していましたが、これらプロジェクトから「アマチュア無線家向けに、広帯域信号処理モデルに敢えてチャレンジしてみよう!」と思い至ったのです。

このチャレンジをするうえで、私達にとっての最大の課題は、優れた性能と、アマチュア無線家にとっての手頃な価格の両方を満たしたA/Dコンバータ(ADC)を見つけ出すことでした。私たちは様々な候補製品を精査し、ついにADIの高速(245.76MSps)16ビットADC「AD9467」にたどり着きました。AD9467は、外付けバッファ・アンプなしで、アンテナと直結でき、歪みとサヨナラできるようになります。無線信号をアンテナ端で直接デジタイジングできることは、とても大きなメリットがあります。サンプリングは高速化・広帯域化すればするほど、不要信号の除去や希望信号の抽出が簡単になります。開発上の問題が生じても、ADIのアプリケーション・エンジニアがプロトタイプ設計における全工程をサポートしてくれました。FlexRadioでAD9467の動作確認をしていた際に、受信周波数がサンプリング周波数の倍数に近づくと、大きなスプリアスが生じる問題が発生しました。その際、ADIのスタッフは同社のラボで、FlexRadioの設定条件下で再現実験をし、その結果のデータを比較し、原因がスケーリングの問題であることを突き止めてくれました。AD9467はFlexRadioが予想していた以上の性能を発揮していたのです。

次にFlexRadioのスタッフは、ダイナミック・レンジ、スプリアス、位相ノイズ特性において、狭帯域信号技術の無線機を超える性能をもつ、広帯域ダイレクト・サンプリング受信機の設計にとりかかりました。ADIのトランシーバと受信機を使用することで、0.03~77MHzと135~165MHzの周波数帯に対応する、4~8個の独立スライス(周波数切り出し)が可能な、複数のスライス受信機が実現しました。無線信号を直接デジタル信号に変換することで、100Hz間隔でも2kHz間隔でも同等の高いダイナミック・レンジ性能が維持できます。信号のミキシングとフィルタリングは、すべてデジタル領域で行われ、高価なフィルタや追加部品の必要がなくなります。そしてこのダイレクト・デジタル受信機は低ノイズとなっています。

低位相ノイズ特性を実現するために、良好な性能のクロック・リファレンスも採用しました。従来型の多段スーパー・ヘテロダイン型無線機の問題の1つが、周波数同調に用いる周波数シンセサイザの近傍位相ノイズ・レベルとスプリアス・レベルの高さです。FlexRadioのハードウェア・アーキテクチャは、低位相ノイズな983.04MHzのマスター発振器を採用しています。ADIの「AD9512」をはじめとするクロック・ドライバは、1kHzオフセットで-130dBc/Hz、100kHzオフセットで-152dBc/Hzを下回る位相ノイズ特性を実現しています。これにより、アマチュア無線家はこれまでよりも微弱な信号を受信でき、また一方でこれまでよりもノイズの少ない、クリアな電波を送信できるようになります。もちろんこれは、100%デジタル信号合成の送信機です。アナログ・デバイセズの高性能なA/DおよびD/Aコンバータを実装したことで、FlexRadioの新製品は、送受信のいずれにおいても、既存の無線機を超える性能を発揮できるようになりました。

広帯域ダイレクト・サンプリング方式の優れた性能を発揮するには、高速演算処理性能も必要になります。XilinxのFPGA「Virtex-6」を使用すれば、あらゆるアップ/ダウン・コンバージョンも、スペクトル解析も、デジタル処理できることがわかりました。Virtex-6である「XC6VLX75T/130T(型番)」の性能は他を凌駕するものです。たとえばミッドレンジのFLEX-6500では、積和演算を毎秒1910億回、浮動小数点演算を毎秒780億回おこなっています。さらにXilinx FPGAはADIのデータ・コンバータと相性が良好でした。

シャック(無線室)は世界をつなぐネットワーク

実は「最初のソーシャル・ネットワークはアマチュア無線」と言われています。それはいろいろな意味で事実です。緊急事態の際に、既存のコンピュータ・ネットワークがダウンしても、アマチュア無線家による急ごしらえのソーシャル・ネットワークが役に立ちます。災害発生時に、アマチュア無線が唯一の通信手段になることもあります。実際にFlexRadioの無線機は、2005年に米国にて甚大な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナ被災後の人命救助にも役立ちました。

FLEX-6000 Signatureシリーズでは、ネットワーク機能が一段とパワーアップしました。6000シリーズは、たとえ遠く離れた場所に無線機を設置しても、その場所に遠隔操作用の外付けコンピュータや高価なアダプターを必要としません。いずれのFLEX-6000にもギガビット・イーサネット・ポートが用意されています。ソフトウェアの最初のリリースでは宅内ネットワークが可能で、以降のリリースでは場所を選ばずにどこからでもインターネット・アクセスきるようになります。この機能はアマチュア無線愛好家たちにとっては朗報です。またこれらの製品は、政府系通信機関からも好評価を得ています。これらの機関では、離れた場所に設置した無線機それぞれを遠隔で管理するためのネットワークを有効に活用することが求められていました。今まさに、「無線機サーバ」という概念が現実のものになりつつあります。

アマチュア無線の歴史に、SDRによるあらゆるブレークスルーが新たに加わろうとしています。黎明期から100年経った今でも、この「最初のソーシャル・ネットワーク」は成長と進化を続けています。ソフトウェア無線技術は、考えられている以上に広範囲の周波数レンジにわたって、ありとあらゆる実験を行っている、パイオニアである人びと同士をつなげています。アラスカで行われている研究プロジェクトでも、FlexRadioの受信機を使用して、はるか雲の上でのオゾン層の観測が行われています。

我々は我々の新しい高性能プラグ&プレイ無線機によって、アマチュア無線家たちがどれほどのレベルにまで到達できるのか…それを楽しみにしています。

FLEX-6000シリーズの外観

FLEX-6000シリーズのハードウェア・アーキテクチャ。FLEX-6000は、1または複数のスペクトル・キャプチャ・ユニット(SCU)を使用し、短波帯スペクトル全体をデジタル化することができるほか、SCU当たり3.9Gbpsのデータをデジタル信号処理(DSP)用のFPGAに供給する。最終的な復調と制御はDSPプロセッサが処理を行い、無線信号をオーディオ信号として、ギガビット・イーサネットに出力。また超低位相ノイズのクロック・システムによって、とても明瞭度の高い送受信用の信号を生成することができる

FLEX-6000シリーズのブロックダイアグラム

ソフトウェアによって最適化された受信機を実現。Flex-6000シリーズは、SmartSDRというグラフィカルなユーザ・インタフェースになっている。スペクトル・キャプチャ・ユニット(SCU)は再構成可能なハードウェア・ブロックで、複数のSCUからのデータは、全体で7.8Gbps以上のレートとなり、FPGAに入力される。SmartSDRは高度なデジタル信号処理により、このデータを個々のパン・アダプタ(スペクトラム・アナライザのような周波数観測機能)と各スライス受信機に分流。SmartSDRは、SCU後段のフィルタ部にいたるまでのすべてを管理して、最適な受信機向け機能を構成し、DXぺディションのときに14MHz帯で交信している無線オペレータが、7MHz帯でCW(モールス符号)信号を復調したければ、マウスを数回クリックするだけで、それが実現できる

著者紹介

スティーブ・ヒックス(Steve Hicks)(N5AC)
FlexRadio Systems
エンジニアリング担当バイスプレジデント
略歴:2008年にエンジニアリング担当バイスプレジデントとして同社に入社以降、製品開発および製品戦略を統括している。1977年に無線オペレータ免許を取得し、現在では最高ランクのExtra Class Licenseを所有し、さまざまな無線業界団体に属している。

グレッグ・ジュレンズ(Greg Jurrens)(K5GJ)
FlexRadio Systems
セールス&マーケティング担当バイスプレジデント
略歴:2009年7月にセールス&マーケティング担当バイスプレジデントとして同社に入社し、販売・サービス事業を統括している。また、製品のポジショニングや新製品開発も担当し、ブランドのグローバル展開をリードしている。Extra Class Licenseを有しており、15歳の時から活発にアマチュア無線活動を続け、さまざまな無線業界団体に属している。