「Adobe Photoshop」は、2010年で発売から20周年を迎えた。Macintoshで「Photoshop1.0」が産声を上げたのは1990年、1994年には「Photoshop 3.0」でWindowsへの対応も果たした。その後9回のバージョンアップを重ね、2010年に「Photoshop CS5」へと進化を遂げた。それらすべてのプロジェクトに"Photoshopの生みの親"として携わってきたトーマス ノール(Thomas Knoll)氏に、Photoshopというプロダクトにこれまでどのように接してきたのかを伺った。

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「Photoshop」開発はお金儲けのためではなかった!?

Adobe Photoshopを作ったトーマス・ノール

まずはPhotoshopの生みの親として製品開発に賭けた想いをノール氏に訊いた。すると、ノール氏から思いもよらない言葉が語られた。

「Photoshop開発のきっかけとなったのは『Display』というソフトの開発でした。実はこのソフトは、仕事としてではなく、写真家である私自身の趣味のために開発したものなのです。そのため、お金儲けをしようと制作したわけではありません。また、長年Photoshop開発に携わってきましたが、もっとも楽しかったのは兄弟ふたりだけで開発していた頃かもしれません。当時、弟のジョンはIndustrial Light & Magic社(ILM)にVFXエンジニアとして勤務しており、ジョンはその職場でPhotoshop 1.0の前のバージョンを実際に使っていました。そのため、『こういったインタフェースが欲しい』といった具体的な要望をジョンから受けることもありました。それらの要望のなかには妥当だと思うものもあれば、そうでないものもあり、最初は受け入れなかった意見を数日間じっくり考え、別の手法で応えたときもありました」

このようにしてノール兄弟がPhotoshopの礎を築いてきたエピソードは、これまでもメディアで取り上げられたこともあるので、既にご存じの読者も多いことだろう。血の繋がった兄弟だからこそわかりあえる部分もあったと思うが、意見が衝突することはなかったのだろうか。

「答えは"NO"です。彼と一緒に仕事をすることで素晴らしい体験を得ることができました。『兄弟』という間柄以上に近しい存在として、とても良い形でコミュニケーションが取れていました。また『これ、どう思う? 』、『じゃあ、こうしよう』といった簡単なやりとりだけで、お互いに何を言いたいのか、どんな意志を持っているのかをしっかり理解することができました。このやり取りをその当時見ていたジョンの奥さんは『ふたりのやり取りは聞いているだけで面白い、凄いよ』と言っていましたよ(笑)」

「双子ではないよ」とジョークを交えながらも、ノール氏は兄弟でしか理解することのできない意思の疎通方法があったことを語ってくれた。このような圧倒的な信頼関係に基づき生み出されたのがPhotoshopというわけだ。開発当初は兄弟ふたりで切磋琢磨し合ったとのことだが、現在のプロジェクトに携わるメンバーはどの程度の規模にまで増えたのだろうか?

「初代Photoshopの開発では、私がエンジニア、弟のジョンがマーケティングを担当していました。そしてPhotoshop 2.0の開発からマーク・b・ヘンバーグ氏が加わり、Photoshop 2.5になると、さらに5人のエンジニアが加わりました。時を経るとともにメンバーは増えいき、現在では約35名でPhotoshopの開発を行っています。テスターやマーケティング等を含めると、だいたい約100名のチームになると思います」

ノール氏自身「写真を撮影するのが大好きなんだ! 」と公言するほどの写真愛好家。手付かずの自然が残るアフリカや南極へ写真撮影の旅に出掛けるなど、その活動は非常にアクティブだ。そんなノール氏がPhotoshopに関して、様々な新しい機能を開発していくのはいちユーザーとしてもとても楽しい作業だったに違いない。Photoshop CS5で加わった新機能のうち、ノール氏のもっとも気に入っている機能とは何だろうか。

「個人的にもっとも気に入っている機能はCamera Rawプラグインです。このプロジェクトには、かれこれ8年間携わっています。開発のきっかけは、キヤノンD60を使って自分で撮影したRawデータを取り込み、その写真を自分で現像処理したいと考えたからです」

ノール氏が撮影したアフリカや南極の写真
(C)Thomas Knoll

開発陣に写真を嗜む人間が多く、開発陣自らがPhotoshopの一番のユーザーであるというノール氏。そんな開発陣だからこそPhotoshopがバージョンアップするたびに"真にユーザーが求める機能"が追加され、数々のイノベーションを創出し続けてきたのだろう。笑顔で語るノール氏の言葉はさらに続く。

「"自分の犬のドッグフードを食べる"という英語の慣用句があるのですが、これは制作者が現場で自分が作った製品を自ら使うという意味です。私がCamera Rawプラグインプロジェクトに携わっているのは、自分のクリエイティブワークでこのプラグインを利用したいからです。他のPhotoshop開発メンバーも同様で、Photoshopを自分の趣味のために使っているメンバーがほとんどです。当然、一般のユーザーからの意見も吸い上げますが、『こんな機能を付け加えたい』という開発メンバーの意志を新機能として盛り込む場合もあります。また、新たなテクノロジーを発明しようという動きもあり、将来的に新機能として組み込めないか検討しています。そのような試行錯誤の結果、Photoshop CS5でもっともユニークな機能である『コンテンツに応じた塗り』が生まれました。これはユーザー視点だけでは生まれなかった機能のひとつです。この機能を見たとき、私自身も驚きましたからね! 」

後編では、ノール氏だからこそ語れるPhotoshopの過去と未来を語ってもらう予定だ。

インタビュー撮影:石井健