――『宇宙戦艦ヤマト』についてうかがえますか?

「僕の人生が変わった瞬間っていうのが何回かあって、それが『ウルトラQ』と出会ったときであり、『宇宙戦艦ヤマト』と出会ったときであり……」

――『ヤマト』の場合は、大学に進学して上京なさる前、地元の北海道でファン活動をなさってらしたんですよね。『ウルトラQ』と『宇宙戦艦ヤマト』とでは、どこに違いがあったんでしょう?

「『ウルトラQ』も『ウルトラマン』も観てればいいんだな、と。ずっと高視聴率を獲っていたから。ところが『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率が振るわなかった」

――裏番組が、『アルプスの少女ハイジ』と『猿の軍団』だったんですよね。

「あの当時、これだけ質の高いSF作品が、まだ世の中には受け入れられないというので、危機感を持ったんですよね。これは、我々が積極的にサポートする声を上げなくては、と」

――具体的にどんなことをなさったんでしょう?

「まず、署名運動をして、再放送嘆願の便りをみんなに書かせては、50通、100通まとめて地方局に送る」

――それで、実際に何度も再放送されたわけですね。

「地方都市ならではだと思うんですけれども、50通、100通程度でも局が動いてくれるわけですよ。で、後から聞いたら、その再放送で得た収入が『ヤマト』劇場版製作の資金として役立ったそうですね」

――ほかには、どんなことを……。

「レコードなんかも、みんなで同じ店で買う。すると、その売り上げがいいというデータが中央に伝わって、それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る」

――その中に『ヤマト』のプロデューサーの西崎義展さんもいらしたわけですね。それが、高校を卒業なさるくらいの時期……。

「僕は、『ヤマト』のファン活動をするために、わざと1年浪人したんですよ(笑)。北海道に残りたくて」

――ええっ?

「それまで東京の文系の大学に行くための勉強をしてたのに、突然親に『北大の理系を受ける』と言って。すると、親は喜ぶじゃないですか。ウチが薬局だから、継いでくれるのかと思って。でも、そんなの受かるわけがない(笑)」

――それ、『刑事コロンボ』だったら、犯人の手口ですよね(笑)。

「(笑)」

――SFファンだった唐沢さんと『宇宙戦艦ヤマト』のファン活動とは、どうつながるんでしょう?

「昔ながらのSFファンジンを作っていて、創作をやり、SFを研究するみたいな団体がずっとあったわけですよ。これが超正統派で、そこから派生して、だんだんゆるいグループができたり、さらに造反組のグループができたり」

――なぜ、造反しなくちゃいけなかったんでしょうか?

「そこで、今の"やおい"の元祖みたいなことをやったりしたんですよ。『風と木の詩』みたいに、『科学忍者隊ガッチャマン』のキャラクターを使ってホモっぽい漫画を描いてみるとか」

――はい。

「ところがそれは、それまでのSF同人誌ではとてもできなかった。そんなことをやると怒られた。『不真面目だ』って。その造反組のほうに僕は肩入れしたわけですね」

――もうそのころから、バリのほうへ……(笑)。

「そうそう。バリっていうのは先鋭なんだと」

――なるほど。きわきわのところだから、おもしろいわけですね。

「さっき言った、草創期が好きって、それなんですよ」

――オタク文化とそれ以前からのSF文化の違いは、どこにあるんでしょう?

「信仰する教祖やご本尊といった対象があるかどうかなんですよね。SFファンは自分たちよりずっと偉大なSFという存在に、勉強することでなんとか近づこうとする」

――はい。

「ところが、オタクというのは、作品を使って遊んじゃう。自分たちの活動そのものが教義であると。そこの違いでしょうね」