よく「貧乏なりの幸せを感じる」と言っていたというキャンディさん。それは、女装など趣味の楽しみに加え、男女関係なくキャンディさんの存在を認めて、支えてくれる人たちがいることも大きかった。
込山Dは「最後の頃、キャンディさんが“僕はずっと自分のことをしゃべっちゃうし、相手の目を見てしゃべれなくて…自分でも問題があると思うんだよ。でも、そんな人間をみんな受け入れてくれたんだ”と言っていたのが、とても印象に残っています」というが、キャンディさん自身についても「本当に優しい方でした。いろんな人に優しいんです」と、その人柄を語る。
こうした人とのつながりは、『ザ・ノンフィクション』での放送や、込山Dが手がけるYouTubeチャンネル『キャンディびんぼう』での発信も大きな役割を果たした。
「自分の人生がドキュメンタリー番組で放送されるというのは、やはり肯定されたんだと感じてくれたと思いますし、そこから様々なメディアの取材を受けるようになっていきました。それに、元々キャンディさんは女装雑誌を作って発信する側の人間だったので、時代が変わってYouTubeでみんなが知ってくれることに、喜びを感じていたと思います」
30年前出ていった元妻も葬儀に参列
カメラが最後にキャンディさんを映したのは、亡くなる3日前の集中治療室。ドキュメンタリー番組の中でも異例のシーンで、特別に取材の許可が下りたが、込山Dは「キャンディさんが病院側に頼んでくれたのではないかと思います」と推測する。
病院側は、キャンディさんが女装して発信していることを理解していたようで、「亡くなった後に、集中治療室ではできなかった女装をさせてもらったと聞きました」とのこと。ここでも“受け入れてくれる人たち”との出会いがあったのだ。
葬儀は親族が20人ほど参加する小規模なものだったが、特別に参列したという込山D。棺には女装姿で入ることができなかったが、お気に入りのぬいぐるみが一緒に収められた。
この葬儀には、キャンディさんの女装を「生理的に受け入れられない」と、30年前に出ていった元妻も参列。彼女は込山Dに、「私はやっぱり当時、女装を認められなかったけど、息子たち3人が最終的に父親のことを毛嫌いするとか、認めないということがなかったので、それは良かったと思います」と心境を語っていたという。