Apple Watchで生活は変わるのか?

さて、Apple Watchとは本当に、生活を変えるようなデバイスなのだろうか? 正直なところ、まだ装着してから30時間ほどしか経っていないので、何とも言えない。確かに通知は腕で受けられるようになったし、1時間おきに立つようになったが、今のところは無意識であっても、なるべくiPhoneをポケットの中から出すまい、あるいは手に持つまい、としているような気がしている。

iPhoneで受信してから通知が来るまでに微妙なラグがあるので、iPhoneがブルッと振動してからApple Watchに来るのを待ち構えてしまう。いっそiPhone側の通知はオフにしてしまったほうがいいのかもしれない。

iPhoneをコミュニケーションツールとして使っている人の場合、確かに通知チェックのためだけにiPhoneを触る時間が減らせるのは画期的だ。しかし筆者のようにiPhoneがコミュニケーションよりも情報ツールとしての性格が強い場合、結局は調べ物だなんだで、iPhoneを触っている時間自体は変わらない。

たとえば現在表示中の情報を、タップひとつでApple Watch側に転送し、iPhoneの画面と並べて比較するようなことができれば、情報ツールのためのコンパニオンとしてもなかなか使えると思う。辞書アプリやレシピアプリなどは、この方向性でのApple Watch対応を検討してみてはいかがだろうか(すでにあるとは思うが)。

ひとつ気付いたのは、Apple Watchは時計として自分が見るぶんにはいいが、人に見せるのは割と向いていないということだ。Apple Watchは通常画面がオフで、腕を持ち上げて文字盤を顔に向けるようにすると、動作を検知して自動的に時計を表示するようになっている。これはなかなかスマートだが、誰かに時間を聞かれて、声で答えるのではなく盤面を見せたいという場合(たとえば相手が耳が不自由な場合など)、普通の腕時計のつもりで手首を返して見せる(相手からは盤面が天地逆に見える)と、画面が消えてしまう。

盤面の上下を動かさず、水平に回して見せればいいのだが、体勢的に難しいこともある。別にそのことが悪いというつもりはなく、ああ、これはアップルが言うように、本当にユーザーの利便性しか考えていない、パーソナルなプロダクトなんだなあ、というのが正直な感想だ。