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日本各地に遊郭街があった! 命じられてしぶしぶ……オランダ人の夜の相手が不人気の理由とは?

#歴史にまなぶ 女子の事情

和室

江戸時代には幕府公認の遊郭は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と、全国に3つしかないとされていました。しかし現実的には半公認の遊郭街は全国いたるところにあったのです。天保十一年(1840)ごろからは、蝦夷(北海道)から熊本(熊本県)にいたる201~207箇所ほどの「遊所」に番付をほどこし、データを掲載した印刷物がしばしば市販され、人気を呼びました。

各地の遊郭は、それぞれの地方の事情を反映しており、他地域から見れば「えっ?」みたいなことが常識なのですね。例えば今年、北陸新幹線が開通した金沢にあった「金沢東郭」。こちらは、加賀藩が設置をしぶりにしぶりまくり、文政三年(1820)になってようやく営業を許可したというエピソードがあります。その理由としては遊郭で不品行なことが起きれば、幕府から藩の取り潰しの命令を下されるのでは……と恐れていたからではないでしょうか。

現存する建物の雰囲気も、色街とは思えないほどスッキリとした清潔感があり、それだけでも特徴的ですが、遊郭に「武家の入場は禁止」とされ、他地域にはない独自ルールが貫かれていました。

※この記事は2015年07月20日に公開されたものです

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