「恥じらい」の意味とは? 女性には本当に必要なの?

「恥じらいを持て」「恥じらいが足りない」なんて耳にしますが、「恥じらい」とは一体なんなのでしょう。女性に必要などといわれますが本当でしょうか? ライターの仁科友里さんに、恥じらいの正体とその必要性について教えてもらいました。

こんにちは、ライターの仁科友里です。

男性に「恥じらいが足りない」と言われたことはありますか?

20年くらい前の女性誌には、「セックスのときにばばっと脱いでしまうと、遊んでいると思われる。恥じらいながら、脱ぎましょう」といった具合に、「男性経験数が少ないことを装う」という意味で使われていました。

男性が恋愛やセックスをリードすべきと考えられていた時代でしたから、女性の経験数が少ないほうが男性には何かと好都合だったのでしょう。

しかし、現代は男女平等の時代。デート代も割り勘が当たり前でしょうし、仮に女性のほうが経験豊富だとしても、それを引け目に思う必要はありません。

それでは、“恥じらい”というものがいらないかというと、私はそうは思いません。

今日は現代を生きるみなさんに必要な“恥じらい”について考えてみましょう。

「恥じらい」の意味とは

そもそも「恥じらい」とはどんな意味を指す言葉なのかをおさらいしておきましょう。

はじらい〔はぢらひ〕【恥じらい/▽羞じらい】 の解説
恥ずかしがること。「―の色を見せる」

(『デジタル大辞泉』)

類語には「含羞(がんしゅう)」が挙げられます。含羞とは、恥ずかしいと思う気持ちのことを指す言葉です。

使い方と例文

「恥じらい」という言葉は、辞書にあるように「恥じらいの色を見せる」「恥じらう」のように使います。

例文

・彼女が恥じらう姿にドキッとした

・思いもよらない褒め言葉に恥じらいの色を見せた

「恥じらいがない」と思われる女性の特徴

では、どんな言動が「恥じらいがない」と思われてしまうことにつながるのでしょうか。

(1)プライベートを開示しすぎる

テレビのバラエティー番組では、特に女性タレントのぶっちゃけトークが人気です。その影響を受けて、人が大勢が集まる場所で「元カレがダメ男だった」など、なんでも話すことが正解だと思っている人もいるかもしれません。

若い女性のプライベートというのは、いつの時代も男性の興味を引くものです。あなたのことを知りたいという純粋な興味や、アプローチするための下調べという健全な下心であれば問題はありませんが、中には下世話な好奇心、たとえば彼氏がいるということはセックスしているということだと解釈する人もいます。

いろいろな解釈のされ方がある中、サービス精神を発揮してなんでも話してしまうと、「恥じらいのないオンナ」と言われるかもしれません。

特に職場の場合は、ある程度はオフィシャルな場所ですから、それなりの言動が要求されます。かといって「プライベートのことは、何ひとつ話しません!」というわけにもいかないでしょうから、趣味や好きな食べ物程度にとどめて、セックスを連想させること(彼氏、デート、元カレ)には触れないようにしましょう。

彼氏は「今、いません」、元カレは「だいぶ前に別れました」など統一して、個人情報の流出を防いだほうが無難だと思います。

(2)下ネタやセックスの話をすることに抵抗がない

交際相手がいればセックスをすることに不思議はないわけですが、セックスをすることと、それを他人に話すことはまったく別のお話です。

下ネタやセックスの話は、特に若い女性が話すと盛り上がりやすいという面がありますが、それを聞いた男性は「自分とのセックスが、こうやって人に話されて笑われていたらどうしよう」と不安になるのではないでしょうか。

自分のセックスに自信のある男性ばかりではありませんから、あけすけな下ネタやセックスの話をしていると、反感を込めて「恥じらいがない」と言われるかもしれません。

(3)恋人に対して馴れ合いが強い

カップルとして関係性が安定すると、惰性が生まれてくることがあります。

不用意にハダカでうろつくなど、女性側が「これくらい、いいだろう」と思うことでも、「恥じらいがない」と解釈されることがあります。「親しき仲にも礼儀あり」で、節度を持ったほうがいいと思います。

恥じらいがなくなる原因

それでは、「恥じらいがある女性」と「恥じらいがない女性」の違いは、なんでしょうか?

恥じらいがなくなる原因として考えられるのは、

・他人に気を使いすぎ
・他人に気を使わなすぎ

の2点が考えられます。

他人に気を使いすぎる

たとえば、前項(1)の「プライベートを話しすぎる」人は、「他人に気を使いすぎ」な人だと思います。

なぜ自分のプライベートをなんでも話してしまうかというと、「人を楽しませないといけない」という気持ちを心のどこかで持っているからではないでしょうか?

テレビに出ている人は、面白い話をすることでギャラをもらっています。なので、その場を盛り上げなくてはいけません。極端なエピソードを披露したほうが視聴者の印象に残って、次の仕事につながる可能性も高くなります。

しかし、一般人であるみなさんはギャラをもらっているわけではありませんから、「人を楽しませる」必要や義務はまったくありません。そのためにプライベートを露出する必要もありません。その場所や関係性にふさわしい態度を取って楽しめばいいのです。

他人に気を使わなすぎる

反対に前項(2)の「下ネタやセックスの話をすることに抵抗がない」人は、「他人に気を使わなすぎ」なのだと思います。

男女問わず、下ネタやセックスの話が嫌いな人はいます。セックスの経験がない人もいますから、やはり下ネタやセックスはごく限られた親しい人とだけすべき話題ではないでしょうか。

自分にとってはなんでもないことでも、もしかしたら相手は嫌かもしれないという気使いは、オトナとして必要だと思います。

他人(恋人)に気を使わなすぎる

前項(3)の「恋人に対して、慣れ合いが強い」人も「他人に気を使わなすぎ」に入ると思います。

親密な関係だから、許されると思っているのかもしれませんが、恋人はひと言で言えば他人ですし、いつでも別れられる関係です。だからこそ、ある程度の緊張感と礼儀を持って付き合う必要があるのではないでしょうか。

あまりにも自分のプライベートの話をしないと、精神的な距離は縮まりませんし、「警戒されているのかな?」と相手に不信感を持たせてしまうかもしれません。かといって、なんでも話してしまうと、別れ話に発展しないとも限らないのです。

「恥じらい」とは危機管理と思いやりの中間にあるもの

こうやって考えてみると、「恥じらい」とは、危機管理と思いやりの中間にあるものと考えられるのではないでしょうか。適度な距離を保って自分を守りつつ、人を嫌な気持ちにさせない範囲で、自分を出していくということだと思います。

みなさんの周囲に「自分の話をしないわけではないけれど、だからといって、プライベートがいまいちわからない女性」はいませんか? そういう女性は、自分なりの「恥じらい」の基準を持った女性だと思います。

SNSの発達で、思ったらすぐに発信する生活にみなさんは慣れていますが、そういう女性から「何を言うべきではないのか」を学び、ひとつの参考にしてみてください。

(仁科友里)

※画像はイメージです

※この記事は2019年10月08日に公開されたものです

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