「好きな人に彼女ができて辛いあなた」に伝えたいこと
仕事に恋愛に家事に趣味に確定申告にと毎日大忙しのマイナビウーマン読者のみなさま、ごきげんよう。
撮り溜めたテレビ番組を観ること、買うだけ買って積み上げられたままの漫画を読むことに大忙しの引きこもり、ものすごい愛です。
以前よりマイナビ学生の窓口の『ものすごい愛のお悩み相談室』で新社会人のお悩みに答える連載をさせていただいておりましたが、今回はちょっと方向性を変えて恋愛のお悩みに答えさせていただきます。
無職だろうがなんだろうが悩める新社会人のみなさま相手に堂々と講釈を垂れていたスーパーポジティブ人間のわたしが、まだまだ乾燥に悩まされる季節にも関わらず失恋してウジウジジメジメと湿らせている女性の丸まっている背中を思い切り叩かせていただきます。
恋愛相談「好きな人に彼女ができたかも」
彼とは会社の同期で、入社からずっと仲のいい友だち関係を続けてきました。
グループで遊んだり、お互い恋人もいなかったので気兼ねなくサシで飲みに行ったり。距離感がほどよく、話や趣味も合っていたので、一緒にいて楽しいと思ったことをきっかけに好きになっていきました。
ですが、最近彼女ができたという噂が……。直接彼から聞いたわけでもなく、同僚からの又聞きなのですが、どうやら本当のよう。ずっと片思いをしてきたので、正直辛いです。この恋を諦めるべきかどうかもわかりません。
どうしたらいいでしょうか?
諦めるかどうかは「あなたの好きでいい」
好きな人が振り向いてくれない、好きな人に告白したけどフラれてしまった、好きな人に彼女ができた、などといった状況のときに「諦めた方がいいのか? 諦めない方がいいのか?」と聞かれると、わたしはいつも「あなたの好きにしなよ!」と答えています。
もしも「さっさと諦めなよ!」と誰かに言われたら、彼への気持ちに蓋をして綺麗さっぱり忘れて次の恋愛に目を向けられるのでしょうか?
もしも「諦めずに頑張りなよ!」と誰かに言われたら、たとえ一生彼女になれなくても永遠に彼のことを想い続けるぞ! とやる気に満ち溢れることができるのでしょうか?
諦める/諦めないはあなたが自由に決めることであって、あなたの気持ちは誰にも侵略されないあなただけのもの。
だから、他人に誘導をしてもらったり決断を委ねたりするのはきっと楽かもしれませんが、それはほんの一瞬の目眩しで今後の人生にとっては得策ではないですよね。
辛い理由は「一番好きな人にとっての一番は自分じゃなかった」事実
どうしてあなたが今こんなにも辛いのかというと、大の仲良しだった彼が他の誰かのものになってしまったから、彼にとって自分は特別な存在だと思っていたのにそうじゃなかったから、というのはあると思います。
自分の一番好きな相手が、自分じゃない誰かを一番に想っていて、自分はその他大勢のモブキャラ、自分と彼とのめくるめくラブストーリーの主役になれないと気づいてしまったのですから、悲しいのも無理はありません。
そんなのは当たり前、恋愛とはそういうものであって、これこそ失恋の醍醐味ですからね。
もうひとつの辛い理由は「何もしなかった自分の存在」
でも、あなたが感じている辛さの中には“何もしなかった“という後悔もあるのではないでしょうか?
どうやらあなたと彼は2人きりで飲みに行っていたようですし、話も趣味も合っていたとなると、それこそ気心の知れた間柄だったのでしょう。
もっと早く彼に好意を見せるなり気持ちを伝えるなりしていたら結果は変わっていたかもしれない、というタラレバの思想が拭いきれていないように感じます。
これはあくまでも仮定の話であって確約されたことではないので、あなたが彼に告白していたら今と違った結果になっていたかどうかは、もちろんわかりません。
でも、彼に彼女ができる前に、あなたがやれるだけのことをやった結果が今と同じだったとしても、今とは差異のない悲しみの中には自分を賞賛する感情が生まれていたはずです。
そうしたら、あなたは次の一歩をどうしたらいいのか、きっと今よりももう少し明確になっていたのではないでしょうか。
今のあなたは、道筋を教えてくれているはずの“頑張った自分”が存在していないせいで、“何もしなかった自分”が目の前で立ち塞がって道が見えなくしまっているように思います。
諦める、諦めないを急いで決めなくたっていい
諦める/諦めないはあなたが自由に決めることだとお話させていただきましたが、別に急いで決めなくったっていいのです。
悩んでも結論の出ないことは今悩まなくてもいいこと、悩むだけ時間の無駄です。その代わり、時間の変化とともに自分の気持ちがどう変化していくかを見逃さないようにしましょう。
今のあなたは悲しみが溢れて狭くなっている道で立ち竦んでいる真っ最中。
時間薬が効いたかどうか、自分がどう工夫してその道から抜け出せたのか、手を差し伸べてくれたのは誰だったのかは、あとから気づくものであってきっと今はわからないはず。
だからこそ、自分の気持ちの変化に目を向けて、尊厳や矜持との相談の時間に充てていれば、ふと思い返したときにはとっくにその決断を下していたことになっているのではないでしょうか。
過去の悔しさこそが原動力
最終的な結果が、自分の気持ちを大切に抱きしめて守るでも、見て見ぬ振りをして存在をひとまず忘れておくでも、力を加えて元の形を変えるでも、後先考えずに爆発させて外へ解き放つでも、なんだっていいのです。
済んでしまったことに囚われて身動きが取れなくなってしまうのではなく、たったひとつの些細なことでもいいから、未来の自分のために学ぶ姿勢であり続けましょう。
ぜひとも、「こんなにも辛いんだから二度と同じ目にあって堪るかよ」という悔しさを原動力に、受動的な自分と決別するための知恵と腕力をつけられることを願っております。
(ものすごい愛)
※この記事は2019年02月27日に公開されたものです