6月12日にインド西部のアーメダバードにあるセダー・バラブヒバイ・パテル国際空港(AMD)で、エアインディアのボーイング787-8(登録記号VT-ANB)が、離陸直後に墜落する事故が発生した。

もちろん、発生の翌日なんていうタイミングで「原因はこれではないか」なんていうことは、軽率との誹りを免れ得ない。ところが、ついあれこれいいたくなるのは世の常のようだ。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照

  • 当該機ではないが、エア・インディアの787-8。離陸直後の撮影だが、フラップはそんな顕著に降りていないのが分かる 撮影:井上孝司

フラップが出てなかった?

離陸直後の事故だから、事故機を撮影した映像がいろいろ出回っている。それを見て「フラップが出ていなかったんじゃないか」という説を唱える向きがあるようだ。だがちょっと待ってほしい。

手元にある、さまざまな機体を撮影した離陸直後の写真を見ると、離陸の際には、フラップはそんなに大きな角度を付けて降ろさないものである。

ボーイング787-8の離陸直後のフラップ

あれこれ御託を並べるよりも、具体例を見るのが早い。

  • 離陸直後の787について、脚上げの途中を撮影。この角度だと少し分かりにくいが…… 撮影:井上孝司

  • 続いて斜め後方から撮影した写真を見ると、フラップが降りているものの、角度はわずかであることが分かる。これからテルアビブまで飛ぶのだから、燃料を大量に積んだ機体は相応に重いはずだ 撮影:井上孝司

ボーイング787-8の着陸時のフラップ

では、着陸のときはどうかというと、こちらは離陸のときよりも大きな角度で降ろしているのが分かる。これから加速・上昇に移ろうという離陸直後と、できるだけ速度を抑えたい着陸時の違いが明瞭に出る。

  • 同じ787が着陸するときの写真。フラップに大きな角度がついているのは明瞭 撮影:井上孝司

なにも787に限った話ではなくて、他の機体も似たようなものだ。「787は新しい世代の機体だからじゃないの」というツッコミに備えて、ちょっと古めの機体も併せて挙げてみる。

  • 離陸滑走を開始するタイミングのA350-900。降ろしたフラップの角度は浅いのが分かる 撮影:井上孝司

  • 離陸直後のMD-11。やはりフラップの角度は浅い 撮影:井上孝司

  • こちらは着陸直前のMD-11。フラップの角度が離陸時よりも大きいのが分かる 撮影:井上孝司

着陸時の写真と比較すると、離陸時のフラップの角度はおしなべて浅い。それを遠方から撮影した動画、それも解像度があまり高くない動画で見たところで、フラップが降りていたかどうか、角度が何度ぐらいだったかが、果たして明瞭に分かるものだろうか。

軍用機の離陸直後のフラップ

ついでだから軍用機も見てみよう。短距離離着陸性能が売りの機体を取り上げてみる。

  • 離陸直後のC-17A。民航機よりはフラップの角度が大きいようにも見える 撮影:井上孝司

  • 着陸直後のC-17A。フラップをめいっぱい降ろすと、こんな角度になる 撮影:井上孝司

  • 離陸直後のB-1Bランサー。民航機よりはフラップの角度が大きいようだ 撮影:井上孝司

  • 着陸直後のB-1Bランサー。フラップの角度は離陸時と同じぐらいだろうか(エンジンとの位置関係を比較してみて) 撮影:井上孝司

フラップのと離陸上昇の関係

といったところで唐突に、1971年7月30日に発生した、パンアメリカン航空845便の離陸衝突事故の話を。エアボーンした直後のボーイング747が、胴体の主脚を進入灯にひっかけた事故だ。そんなことになったのは引き起こしのタイミングが遅れたためだが、実はそこでフラップ角度の設定が関わっている。

この事故について書かれたものを読むと、「747はフラップ10度だと離陸滑走距離が長くなる代わりに、離陸後の上昇が早い」「フラップ20度だと離陸滑走距離が短くなるが、離陸後の上昇が遅い」という話が出てくる。

実は、当初に考えていたものよりも短い滑走路を使って離陸することになり、滑走距離を短くするため、フラップの角度を10度から20度に変更した。ところが、それに伴って必要になった離陸速度の再計算(10度のときよりも少ない速度になる)を失念、フラップ10度に合わせた離陸速度まで加速しようとした。その結果として引き起こしが遅れたわけである。

NADP1とNADP2

地上への騒音の影響を減らす観点からすれば、早く上昇する方が好ましい。しかしそれだけでなく、燃費(とCO2排出)という問題も関わる。フラップの収納を早めると抵抗が減って燃料消費も減らせるが、離陸直後の上昇はいくらか遅くなる。

そこで出てくるのがNADP(Noise Abatement Departure Procedure)。NADP1とNADP2の2種類がある。

NADP1では、離陸後、高度800ftで離陸推力から上昇推力に減らす一方で、フラップの収納は高度3,000ftまで遅らせて、3,000ftまで早く上がろうとする。これは、空港に近い地域で騒音の影響を減らすことを企図している。その代わり、巡航高度への到達は遅くなる。フラップを出している時間が長いので、燃費にも響く。

一方、NADP2ではフラップを高度800ftで収納して、巡航高度まで加速・上昇する。フラップの収納タイミングが早いから、早く加速に移り、NADP1よりも早く巡航高度に到達できる。こちらは空港から離れた地域で騒音を減らす効果があるとされる。その代わり、3,000ftまでの上昇はNADP1より遅い。

つまり、3,000ftまでの上昇を早くする方を優先するか、3,000ftから先の上昇を早くする方を優先するか、という話になる。

参考 : 離陸機の騒音軽減運航方式としての上昇勾配に関する考察(航空環境研究 No.24(2020), PP1-7)

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第5弾『軍用センサー EO/IRセンサーとソナー (わかりやすい防衛テクノロジー) 』が刊行された。