宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、宇宙飛行士として日本人最多となる5度の宇宙飛行を行った若田光一氏が、3月31日付で退職することを発表した。

これに際しJAXAは記者会見を開催。若田氏がこれまでの宇宙飛行士およびJAXA職員としての道のりを振り返るとともに、これからの宇宙への挑戦についても語った。

  • 若田光一氏

    JAXA退職に際し記者会見を行った若田光一氏

宇宙飛行士として歩んだ32年間を振り返って

若田氏は1963年8月1日生まれ。1989年に入社した日本航空で機体構造技術の開発などに従事したのち、1992年に宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)が募集した宇宙飛行士候補に選抜された。

宇宙飛行士としては、1996年にSTS-72ミッションとしてスペースシャトル「エンデバー」に搭乗し、自身初の宇宙へ。米国航空宇宙局(NASA)から認定を受けたスペースシャトル・ミッションスペシャリスト(MS)として、日本のH-IIロケットで打ち上げられた宇宙実験観測フリーフライヤ(SFU)の回収などのミッションを成功に導いた。

2度目の宇宙飛行は、2000年。同じくMSとして「ディスカバリー」に搭乗し、日本人として初めて国際宇宙ステーション(ISS)の建設に参加した。

3度目の搭乗は2009年で、前回と同じくディスカバリーに搭乗してISSへ。この宇宙飛行では日本人として初めてISSへの長期滞在を行い、「きぼう」日本実験棟の最終組み立てミッションとして船外実験プラットフォームを取り付け、同実験棟を完成させた。そして約4か月半の宇宙滞在ののち、無事帰還した。

2013年に行われた4度目の宇宙飛行では、ロシアの有人宇宙船「ソユーズ」に搭乗。第38次・第39次長期滞在クルーとしてISSに約188日間滞在し、第39次長期滞在においては、日本人初となるISS船長(コマンダー)にも就任した。

そして2022年、5度目の宇宙飛行へ。Space Xの「クルードラゴン」運用5号機に搭乗し、ISSに155日間滞在した。またこの滞在中には、自身初となる船外活動も実施し、合計14時間2分にわたって2度の作業を遂行した。

5度の宇宙飛行を経験した若田氏の宇宙滞在時間は、累計で504日18時間35分にのぼるとのこと。これは日本人最長記録であり、5度の宇宙飛行についても日本人最多となっている。

印象に残っているのは「初めて地球を見た瞬間」

若田氏は記者会見で、候補生時代を含め約32年間の宇宙飛行士生活を振り返り、印象的な出来事は数多くあったと語る。その中でも特に記憶に残っているのは「夜明け前の打ち上げとなった1回目の飛行で、太陽が昇り明るくなった青い地球を見た瞬間」と語る。

またその初めての宇宙飛行では、打ち上げや地球への期間に対する不安はなかったものの、宇宙滞在中のミッションへの不安が非常に大きかったとのこと。「宇宙で初めて見た夢は、ロボットアームで捕捉するはずのSFUに把持するための機構が無く、ミッションが遂行できなくなるというものだった」と当時を振り返る。以降5度のフライトのほとんどでトラブルに見舞われたものの、地上とも連携しながらどれも冷静に対処。数多くのミッションで成功を収めた。

  • はじめての宇宙飛行での“悪夢”についても語った若田氏

    若田氏ははじめての宇宙飛行の際にさいなまれた“悪夢”についても語った

5度の宇宙飛行に加え、地上でもJAXA職員としてさまざまな役割を果たした若田氏。JAXAからの退職を考え始めたのは、5回目の宇宙滞在から帰還してからのことだという。この32年間は「あっという間だった」とのことで、「JAXAでやりたかったことはまだまだ数えきれないほど残っている」という。自らも先人から引き継いだJAXAにおける有人宇宙探査のたすきは、現在も職務にあたる5名の宇宙飛行士、および現在候補者として訓練中の諏訪理氏・米田あゆ氏に引き継がれる。特に2名の宇宙飛行士候補者については「2人の宇宙飛行の実現が私としても本当に楽しみ」と話した。

退職後は民間へと転身へ、生涯現役の心構えは変わらず

なお若田氏は今後について、これまでの宇宙飛行士としての経験を活かし、民間セクターによる有人宇宙探査活動を盛り上げて、ポストISS時代の地球低軌道における宇宙開発の進歩に尽力するという。具体的な在籍先や活動内容については4月以降の発表になるというが、過去に表明してきた「有人宇宙飛行の現場で生涯現役として頑張っていきたい」という想いに変わりはなく、今後も「可能であるならば何度でも宇宙飛行を行っていきたい」と、民間宇宙飛行士としての宇宙滞在への意欲ものぞかせた。

また民間へと活躍の場を移す理由としては、「地球低軌道における有人宇宙活動の持続的な発展のためには、民間による今後の成功が鍵を握る」としたうえで、その新しい時代への挑戦に魅力を感じたとする。現在の地球低軌道における活動拠点であるISSは、2030年の運用終了が見込まれており、また各国政府の宇宙開発のベクトルは、月や火星などより遠くの宇宙へと向きつつある。そうした中で、地球低軌道の開発は各国政府が主導していくのではなく、その主導権が民間へと移っていくことは避けられないとのこと。そうした民間による活動を盛り上げることで、「多くの人が宇宙へ行けるようになり、有人宇宙活動の持続的な発展に貢献できる」と考えたとした。

宇宙は「限りない夢や希望を与えてくれる空間」

会見の中で取材陣から“宇宙の最大の魅力”について問われた若田氏は、「宇宙はみんなのもので、みんなに限りない夢や希望を与えてくれる空間であること」と答えた。ISSで累計500日以上を過ごした若田氏にとっても、宇宙空間での生活は「わからないことだらけだった」といい、ほとんどのことが未知である宇宙を少しずつ既知にしていくことで、宇宙開発が進んでいくことを期待しているという。

活躍の舞台を民間へと移すことについて「希望と不安でいっぱいになっている」と話す若田氏。数々の“日本人初”を宇宙で達成してきた彼が、今後の有人宇宙探査においてどういった活躍を示していくのだろうか。6度目の宇宙飛行はもちろん、自身が夢と語る“月への到達”までも達成するのか、その活躍に今後も期待したい。

  • 花束を抱えた若田氏

    会見終了後には若田氏へ花束が贈られた