数々の華々しい成功に彩られている宇宙開発だが、その栄光の影には、失敗の歴史が連なっている。多くの人から望まれるもさまざまな事情により実現しなかったもの。あるいはごく少数からしか望まれず、消えるべくして消えたもの……。この連載では、そんな宇宙開発の"影"の歴史を振り返っていく。


1993年8月18日、米国のニューメキシコ州にあるホワイト・サンズ・ミサイル実験場から、一見変わったロケットが打ち上げられた。離昇直後こそ普通のロケットのように垂直に上昇したが、やがて空中で横に移動を始め、その後徐々に降下し、そして地上に舞い戻った。

到達高度はわずか50m、飛行時間もわずかに59秒間という短いものであったが、旅客機のように飛べる「再使用ロケット」の実現に向けた、確かな一歩を記した。それから20年以上が経った今、米国の宇宙開発企業スペースXやブルー・オリジンによるその跡を継ぐロケットによって、いよいよ次の一歩が踏み出されつつある。

今回は、再使用ロケットという宇宙輸送の革命に挑んだ「デルタ・クリッパー」と、その実験機「DC-X」と「DC-XA」が辿った軌跡を振り返ってみたい。

DC-XAの想像図 (C) NASA

DC-Xの飛行の連続写真。垂直に上昇した後、水平方向に移動し、垂直に着陸する様子がわかる (C) NASA

宇宙を戦場にするために

1980年代、ロナルド・レーガン政権下の米国の宇宙開発は、アポロ計画以来となる栄光を取り戻しつつあった。1981年のスペースシャトルの運用開始に始まり、1984年には宇宙ステーション構想を発表。1986年にはチャレンジャー事故が起こるが、そのわずか数日後に国家宇宙航空機(NASP)、いわゆるスペースプレーンの構想を発表した。

レーガン大統領は大胆な宇宙政策を推進する一方で、宇宙に文字通り、新しい火種を持ち込もうとしていた。当時の米国とソヴィエトの核戦略は、一方が核を撃てばもう一方も核で報復し、最終的に双方とも壊滅するような体制を敷いておくことによって、お互いに核兵器の使用を思い止まらせるという仕組みになっていた。しかしレーガン大統領はこれを良しとせず、そもそも核攻撃を受けないような体制が必要であると考え、1983年に人工衛星からミサイルやレーザーを発射して核ミサイルを迎撃するなどといった大胆な計画を盛り込んだ「戦略防衛構想」(SDI)を発表した。宇宙空間をミサイルやレーザーが飛び交うイメージから、「スター・ウォーズ計画」などとも呼ばれた。

戦略防衛構想の想像図 (C) USAF

その後、冷戦が終結したことでSDIは存在意義を失いつつあったが、1991年1月にジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、SDIを改める形で「限定的攻撃に対するグローバル防衛」(GPALS)を発表する。SDIはソヴィエトからの大規模な核攻撃に対応するものだったが、GPALSはやや目的が変わり、ソヴィエトからの偶発的なミサイル発射、あるいは第三世界からのミサイル攻撃に対処するためとされた。ほぼ時を同じくして発生した湾岸戦争によって、イラクから放たれるスカッドミサイルの脅威が広く知られるようになり、また天安門事件以降、米中関係が悪化したこともこの計画を後押しした。

SDI、GPALSを実現するには、衛星軌道にミサイル迎撃衛星を安価かつ、必要とあらば早急に打ち上げられるロケットが必要であった。そこで、SDIに呼応する形で1984年に立ち上げられた戦略防衛構想局(SDIO)は、単段式ロケット技術計画(Single Stage Rocket Technology Program)を立ち上げる。

単段式ロケットとは、文字通りブースターや第2段などを搭載せずに第1段だけで飛ぶロケットで、そのなかでもとくに衛星軌道にまで到達できるロケットはSSTO(Single Stage To Orbit)と呼ばれる。また、SSTOという言葉には、機体を繰り返し再使用できるロケットという意味が含まれていることが多い。つまり空になった燃料タンクやエンジンなどを一切捨てず、機体のすべてが飛んで帰ってきて再使用できる、言うなれば旅客機のように運用できるロケットのことである。

SSTOの構想は昔から存在したが、ロケット・エンジンの性能や機体の構造質量(材料)などの問題から実現困難な夢物語であり、現代においても人工衛星を打ち上げることができるロケットはすべて2段以上の多段式である。だが、前述のように当時、米国の宇宙開発はにわかに再興しつつあり、またスペースシャトルの成功やスペースプレーン構想、そして技術の発展などの後押しもあって、いよいよSSTOができるのでは、との機運は高まっていった。

1990年8月、SDIOは航空宇宙企業にSSTO開発の提案を呼びかけ、6社がこれに応えた。そのうちマクドネル・ダグラス、ロックウェル、ジェネラル・ダイナミクス、ボーイングは垂直離陸型のロケットを、グラマンとサードミレニアムは空中発射型のロケットを提案した。同年10月にSDIOは垂直離陸型を提案した4社に、合計1200万ドルの研究契約を与えた。いかなる理由からか、SDIOは最初から垂直離陸型のSSTOを開発する腹積もりであったらしい。

1991年8月、その研究成果の中から、マクドネル・ダグラスの案「デルタ・クリッパー」が採用され、5800万ドルが与えられて開発が始まった。

宇宙輸送を革命すべく始まった史上初の本格的なSSTOの開発は、皮肉なことに、宇宙を戦場にしようとする思惑から始まったのである。

デルタ・クリッパー

デルタ・クリッパー(Delta Clipper)という名前はふたつの意味をもっている。まずクリッパーとは19世紀に登場した快速帆船のことで、蒸気船が登場するまで世界最速の船として知られた(たびたび蒸気船をも上回るスピードを出すこともあったらしい)。クリッパーは主に中国から英国へ紅茶を輸送したり、ニューヨークとゴールドラッシュで賑わうサンフランシスコとを結ぶ貨客船として活躍、クリッパーの中でもとくに有名な「カティ・サーク」は、現在もロンドンで保存展示されており、帆船模型としても人気が高い。

またデルタ・クリッパーの略称である「DC」は、マクドネル・ダグラスの前身ダグラス・エアクラフトが1930年代に開発した旅客機・輸送機の「DC-3」に因んでいる。DC-3は世界中で人や貨物を運び、また第二次世界大戦では輸送機として大活躍するなど、航空史上に残る名機として知られる。このふたつの意味を込めた名前をつけたところに、マクドネル・ダグラスがデルタ・クリッパーにどのような期待をかけていたかがうかがい知れよう。

デルタ・クリッパーは地球低軌道へ2人の乗員と10トンの貨物・乗客、あるいは極軌道へ2人の乗員と5トンの貨物・乗客を運べる計画だった。また打ち上げ後に軌道上で推進剤の補給を受けることで、月への飛行、着陸も可能とされた。打ち上げの頻度、つまり1回打ち上げられて着陸し、再び打ち上げられるまでの期間は約7日とされ、最短で1日での再打ち上げも可能と見込まれていた。

デルタ・クリッパー計画はまず、約3分の1の大きさの小型の実験機「デルタ・クリッパー・エクスペリメンタル」(DC-X)の開発と飛行試験から始まった。前述のように、開発費は5800万ドルと、新規に、かつ革新的なロケットを造るにしては非常に少ないものであったが、すでにある部品を最大限に活用して開発する「オフザシェルフ」[*1]と呼ばれる手法を使うことでこれを実現。わずか約20カ月後の1993年4月には完成し、関係者に披露された。

DC-XAの想像図 (C) NASA

DC-Xの想像図 (C) NASA

オフザシェルフの大きな成果はロケット・エンジンで、第1段に4基装備されているRL-10A-5エンジンは、サターンIの2段目や、アトラスやタイタンの上段であるセントールにも使われた実績のあるRL-10エンジンを原型としている。RL-10は液体酸素と液体水素の組み合わせを使用するエンジンで、取り扱いは難しいものの、ロケットの高性能化や、再使用化には向いている。RL-10A-5は原型のRL-10と比べ、DC-X向けにノズルが小さくなり、推力制御(スロットル)機能が加えられるなどの改修が施されている。

またロケットの誘導装置はF-15イーグルのものが、加速度計はF/A-18ホーネットのものが流用されており、こうしたところにもオフザシェルフのやり方が活かされている。

DC-Xの全長は約12m、最大直径は3.7mほどである。打ち上げ時の質量、すなわち推進剤を満タンにした状態の質量は1万6320kg、一方で推進剤が空の状態、すなわち機体の構造だけの質量は7200kgであり、構造質量比は約0.52と非常に悪い。多くのロケットは総質量の大半が推進剤で占められており、またそうでなければ衛星を打ち上げることができないが、DC-Xでは軌道到達を目指していないこともあってこれで十分とされ、タンクにはアルミニウムが、また着陸脚にはスチールやチタニウムなど、ごくありふれた材料が使われている。言うまでもなく、ゆくゆく開発される予定の、実機のデルタ・クリッパーには複合材などがふんだんに用いられ、徹底的な軽量化が図られる予定であった。

また運用に関わる人員や設備も簡素化され、打ち上げ時には3名の人員と、3台の民生用ワーク・ステーションだけを必要とし、推進剤タンクなどの設備もすべて可搬式で、固有の発射台を持たなかった。ただし後述するように、これらの簡素化は必ずしも成功とは言い難かった。

(後編へ続く)

【脚注】

*1. オフザシェルフ……直訳すると「棚から降ろす」という意味で、ある製品を造る際に、すべてを新しく開発するのではなく、すでにある技術や部品を組み合わせることで、安くて安全、確実な製品を造ろうとするやり方。

【参考】

・Ronald Reagan: Address Before a Joint Session of the Congress on the State of the Union
 http://www.presidency.ucsb.edu/ws/index.php?pid=40205
・Ronald Reagan: Address Before a Joint Session of Congress on the State of the Union
 http://www.presidency.ucsb.edu/ws/index.php?pid=36646
・Address to the Nation on Defense and National Security
 https://www.reagan.utexas.edu/archives/speeches/1983/32383d.htm
・NATO Review - No. 3 - Jun. 1992
 http://www.nato.int/docu/review/1992/9203-6.htm
・Delta Clipper: A Path to the Future
 http://www.ae.utexas.edu/courses/ase333t/past_projects/03fall/delta_clipper/index.html