皆さん、「冷たい水が時々しみる」程度なら「むし歯を放っておいても大丈夫」と思っていませんか?
むし歯があるとわかっていても「通院の時間がないから」「痛くないから」と何年も放置してしまう方がいます。確かに、歯の治療はお金も時間もかかります。「治療が怖い」「歯医者さんが嫌い」という話もよく聞きます。痛くなければ、放置してしまうのも仕方がないのかもしれません。
しかし、むし歯を放置することは、命を危険にさらす選択でもあるのです。
むし歯で入院、信じられますか?
先日、30代の男性の方が右あごを腫らして来院されました。熱は37度8分、あごの下から顔の右半分が赤く腫れていて、触ると痛がります。聞くと、1週間ほど前から病院で抗菌薬の治療を受けても、あごの腫れが引かなかったそうです。口が1㎝も開かず(開口障害)、食事がとれず(経口摂取困難)、入院することになりました。
「入院ですか!? 」と男性はただ驚くばかり。男性は働き盛りですので、職場や関係先にも言いにくかったようです。まさか自分がむし歯で入院することになるなんて、と困っていました。入院になった原因は、右下の前から6番目のむし歯を放っておいたからです。咬筋(こうきん)や内側翼突筋(ないそくよくとつきん)という筋肉に炎症が及んだため、口が開かなくなってしまいました(※1)。
精密検査をすると、下あごに膿(うみ)がたまっている部分がありました。まず、皮膚を少し切ってたまった膿を出す手術をしました。膿を出すためのチューブを入れ、毎日チューブを洗いました。次に抗菌薬の点滴です。そして、鼻から栄養を送る管を入れました(経鼻経管栄養)。口からご飯を食べられるようになるまで、10日間の入院でした。
男性は幸い命に別条はありませんでした。しかし、腫れがひどくなり空気の通り道(気道)が圧迫されれば、呼吸困難になる可能性もあったのです。
想像するだけでも怖いですよね? たかがむし歯と口の中を甘く見て小さな痛みや腫れを放置する。この男性の話は決して珍しいことではありません。誰にでも起こる可能性があるからこそ、むし歯は早めの治療が重要なのです。
むし歯はなぜ痛むのか?
むし歯で入院ともなれば、時間やお金の面で大きな損失です。ここからは、むし歯が痛むメカニズム、治療内容とおよその費用(※2)について順に説明していきましょう。
歯の構造は、外側から「エナメル質」「象牙質」「歯髄(神経や血管)」の3つに分かれています。むし歯は「エナメル質」から「象牙質」に達し、「象牙質」を越えて深く「歯髄」の近くまで進んでいきます。冷たいものがしみるとしたら「エナメル質」の一部がなくなり(脱灰)、「象牙質」が露出して、歯の神経に刺激が伝わったということです。痛みがある場合、むし歯がかなり深くまで進行している可能性があります。
むし歯の範囲が小さければ、プラスチックの詰め物(レジン充填: 治療回数1~2回、費用2,000~3,000円程度)や、金属の詰め物(インレー修復: 治療回数2~3回、費用: 4,000~5,000円程度)でむし歯を治すことができます。
むし歯の範囲が大きくても「歯髄」まで進行していなければ、被せ物で(クラウン修復: 治療回数2~4回、費用6,000円~1万1,000円程度)で対応できるかもしれません。
痛みが引いても治っていない
ごく初期の段階でむし歯の進行を抑えられれば、削らずに再生できる可能性があります(再石灰化)。逆に言えば、放っておいても良いのは、進行が止まった初期のむし歯だけです。歯に穴が空いていたり、中が黒く透けていたりするむし歯は放置しても治りません。
むし歯が「歯髄」まで達すると、まず神経の治療が必要になります(根管治療: 治療回数3~7回、費用5,000~7,000円程度)。次に土台や被せ物の治療が必要です。歯を残せない場合は、抜歯になります。ブリッジや部分入れ歯を作るので、通院回数も費用もかなりかかることになってしまいます。つまり、むし歯を放置すると、よりたくさんの時間とお金を費やすことになるのです。
時間とお金だけではありません。 自分が総入れ歯になった姿をイメージできますか? 50歳以上になると約半数にブリッジや部分入れ歯があり、75歳以上になると3人に1人が総入れ歯になるという直視しがたいデータもあります(※3)。
むし歯が重症化しやすい人って?
むし歯を放置して起こりうるリスクは、食事ができなかったり、窒息したりするだけではありません。歯が原因の蓄のう症(歯性上顎洞炎)になる方もいます。また、口や首の筋肉の隙間は心臓がある縦郭(じゅうかく)までつながっています。極めてまれですが、細菌が縦郭まで進んでいくと命に関わります。
抵抗力が落ちている方は、細菌が一気に広がって重症化する危険性があるので気をつけましょう。65歳以上の方、糖尿病の方、免疫抑制剤やステロイド剤を使っている方はもちろんですが、忙しいビジネスパーソンも要注意です。睡眠不足や栄養不足で疲れがたまっていると、抵抗力が落ちてしまうからです。感染症対策では、休養と栄養をしっかりとって体力を戻すことも大切なのです。
最後に、むし歯は細菌感染症であり、病気です。痛みが続くようであれば、むし歯が進行していますし、痛みがなくなってもむし歯が治ったわけではなく、痛みを感じる神経が死んでいるのかもしれません。「もっと早く受診していれば……」とならないように、かかりつけの歯科医院で定期的にチェックしてもらってください。症状がある方は早めに受診してくださいね!
※画像は本文と関係ありません
注釈
※1 医学の世界では、むし歯はう蝕(しょく)、男性の入院になった原因は右下第一大臼歯根尖(こんせん)性歯周炎、右側下顎骨骨膜炎(かがくこつこつまくえん)、右側顎下部蜂窩織炎(がっかぶほうかしきえん)という診断名になります。
蜂窩織炎とは、顎骨炎(がっこつえん)の重症例で、感染は顎骨(あごの骨)から周囲の口底や顎下部、頸部へと波及し、急性の化膿性炎症(かのうせいえんしょう)を起こします(口腔外科学会のHPより)。
※2 本稿の料金は保険適用3割負担の場合で、料金と回数はあくまで目安となります。口の中の状態は一人ひとり違うので、必要な治療に応じて、金額や回数が大きく異なる場合があります。
※3 厚生労働統計平成23年歯科疾患実態調査より。
著者: 古舘健(フルダテ・ケン)
健「口」長生き習慣の研究家。口腔外科医(歯科医師)。
1985年青森県十和田市出身。北海道大学卒業後、日本一短命の青森県に戻り、弘前大学医学部附属病院、脳卒中センター、腎研究所など地域医療に従事。バルセロナ・メルボルン・香港など国際学会でも研究成果を発表。口と身体を健康に保つ方法を体系化、啓蒙に尽力している。「マイナビニュース」の悩みを解決する「最強ドクター」コラムニスト。つがる総合病院歯科口腔外科医長。医学博士。趣味は読書(Amazon100万位中のトップ100レビュアー)と筋トレ(とくに大腿四頭筋)。KEN's blogはこちら。