急速に発展する経済を背景に、道路やトンネル、高層ビルなどの巨大建造物が次々と造られていった高度経済成長期の日本。そこから約50年を経た現在、そうした建造物の老朽化が問題になってきている。2012年に発生した笹子トンネル崩落事故なども、発生原因の1つとして老朽化が挙げられている。
また、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際、ビルの中におり、安全が確認されるまで、長い時間を倒壊などの不安を抱えながらビル内部で過ごした、という経験を持つ人もいるだろう。
そうした建物の老朽化や安全性を、センサなどでモニタリングすることで瞬時に診断しようという試みが実は長年、日本で取り組まれており、近年、高層ビルなどで実際に活用されるようになってきた。「構造ヘルスモニタリング(SHM:Structural Health Monitoring)」と呼ばれるこの手法を長年にわたって研究してきたのが、慶應義塾大学(慶応大) 理工学部システムデザイン工学科の三田彰 教授であり、信号処理技術を使って、建物に何が起こっているのか?、といった診断を行うシステムそのものを考案した人物でもある。
もう少し仕組みを詳しく述べると、平時は各種センサが状況に応じたデータを取得し、それをビル内部の防災センターなどに設置されたサーバが取得し、そこからさらにデータセンターに送信することでビッグデータとして処理を行う。しかし、地震などの災害時には、データセンターにデータを送らず、簡易サーバ側で状況の診断を瞬時に行い、建物の各フロアがどの程度の揺れなのか、建物全体としては安全なのか、といった診断を行い、ビルの中に居る人に外への避難を促すべきか、建物内部に留まっていた方が良いのか、といった指針などを示すことができるというシステムで、MATLABを用いてプラットフォームが開発されているほか、MATLABにて構築されたソフトウェア群が各種の処理を担っているという。
標準的なSHMの構成イメージ。スマートセンサのデータがビル内の簡易診断サーバを経由してデータセンターに送られ、状況診断が行われる。また、地震などの災害時には、簡易診断サーバ単体で、建物の状況確認などを判断することが可能となっている。このシステムプラットフォームのプログラムはMATLABを用いて作られたという |
JST社会実装支援ブログラム:高層ビル耐震診断に基づく帰宅困難者行動支援システムの社会実装、に使用される予定の画面のイメージ。簡易診断サーバによる地震発生時(左)や地震収束後(右)の診断が可能で、各フロアの状況や、全体として建物が安全かどうかを判断することができる |
また、現在、三田教授は、SHMから発展させた「生命化建築」という研究も進めている。これは、「生命体の持つさまざまな適応機能を空間に埋め込むことで、快適安全な空間を実現する」ということを目的にした研究で、従来の建築物で取り込まれてきた明るさに対する瞳孔の変化などに代表される「感覚的適応(建物で言えば、空調や照明などの制御)」や、外敵に襲われにくい最適な住処の選別といった「学習による適応(建物で言えば、生活する人のパターンに応じた環境整備のための学習)」などという部分から、さらに生命体の深い適応機能である免疫系や内分泌系などの反応による「生理的適応」や遺伝情報そのものともいえる「進化的適応」を建物に取り込もうとする試みだ。
従来の建築物は生物の持つ4つの適応の内、「感覚的適応」と「学習的適応」は活用されてきたが、残りの「生理的適応」と「進化的適応」は活用されてこなかった。「生命化建築」では、その残りの2つを活用することで、より暮らしやすい環境を実現しようとしている |
「建物を生命のようにしたい。そうすることで、より安全・安心な豊かな生活が実現できる」(三田教授)とのことであり、それを実現するためのポイントはSHMと同じくセンシングとなる。ただ、家庭内へのセンサの埋め込みや家電の知能化は進んできたものの、家庭の内部にサーバを設置することはナンセンスとしかいえない。そこで研究では、「ペット型ロボット」をヒトと建物の対話の仲介役として入れることでその課題を解決しようとしている。
ここでのロボットは、ヒトのさまざまな意識・無意識情報を取得し、より良い暮らしを実現するための情報のやり取りをヒトに言われるまでもなく行い、省エネかつ安全・安心・快適な空間の実現を図る役割が与えられる。例えば、ヒトの動作を検知し、同時に照明や空調の強さをコントロールするといったことが求められる。こうした各種のコントロール役をMATLABが担っているという。
ロボットのプログラムであれば、C/C++などの一般的に多くの学生が学ぶであろうプログラミング言語でも良いのではないか?、とも思えるが、大学という組織の特性上、学生が一定の期間で入れ替わることとなるため、基本的な部分であればあるほど、Cベースで書かれた長いソースコードよりも、比較的短いコードの記述で済むMATLABの方が習熟度を上げやすいというメリットがあるとする。
生命化建築実現のカギを握るセンサエージェントロボット「e-bio」。写真の機体は最新モデルとなる「ebioNα」。Kinectでヒトの後ろ姿を認識し、一定の距離を持って追従していくことができる。CPUとしてはルネサスの「SH7216シリーズ」を搭載。PCとの連携はBluetoothにて行われている |
また、「生命の謎はまだまだ尽きない。次々と新しい発見がなされているが、工学の分野にそうした発見をどう落とし込んでいくかが重要となる」(同)とのことで、そうした新しい発見をアルゴリズム化した際にMATLABを使うことで、シミュレーションとして結果を手軽に見ることができる点もメリットだとし、「MATLABだからこそ、全体を統括するコントロール的な仕事をさせつつ、その結果をシミュレーション上ですぐに確認できる」という点を強調する。
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こうした生命化建築の概念を逆にSHMに取り入れる試みも進められている。これにより、例えば地震の際に、単にビルが倒壊するかしないか、といった建物そのものの問題だけでなく、空調は使えるのか、飲み水は確保されているか、といったヒトに即したシステムへと進化することが可能となる。「固いシステムだと、技術が進んでしまうと、すぐに陳腐化して使えなくなってしまう。そうした問題を解決できる柔軟性を持たせ、さまざまなシステムと連動させ、かつ、そこにヒトを介在させたものを実現しようと思うと、建物の生命化が必要になる」(同)としており、特にこれからは高齢者の生活支援的な側面も必要となってくると三田教授は将来を展望する。
MathWorksも安価なセンサなどの活用に向け、KinectやArduinoなどとの連携を強化を図り、より手軽にMATLABを活用できる環境の構築も進めているが、三田教授は、そうした安価なセンサやマイコンボードへの対応のみならず「将来的にはSNSとのAPIをMATLABで使えるようになると、防災情報などを行政が柔軟に扱えるようになったり、近隣の人間同士が相互互助の仕組みを構築しやすくなったりできる」と、さらなるMATLABの進化に期待を寄せており、そうしたMATLABの進化が建物そのものの設計スタイルそのものを変える可能性があるとしている。