AMDでの経験を語るうえで、私がいつも思い出すのが、Sales Conferenceである。日本語に訳すと"営業会議"となるが、私が経験したAMDのSales Conferenceは、カリフォルニアでのし上がってきたシリコンバレーの半導体会社であったAMDの企業文化の集大成であり、ちょうど30歳で初めて外資系企業に就職した私にとってはアメリカという文化を体現していたものの1つであった。

幸いなことに、私は入社する前から英語のスキルがあって、言葉の問題は全くなかった。その分、吸収も早かったし、AMDのコミュニティーに受け入れられ、溶け込んでいったのも非常に早かったと思う。どちらかというと、斜に構えるタイプであった性格の自分にとって、AMDでの経験は、性格やものの考え方に大きく影響を及ぼした転換点であったと思う。

ちょっと文化論的になってしまったので、話をSales Conferenceに戻そう。数あるシリコンバレーの会社の中でもAMDは、"ド派手"な会社であった。

創業者でCEOのJerry Sandersはシカゴの貧しい家庭に生まれ、30歳前後でシリコンバレーに会社を興し、ロサンゼルスに大きな家を構える億万長者(当時はMillionaire、今ではBillionaire)となった。いわゆる、American Dreamを地で行く、"カッコイイ"男であった。聞いた話では、当時、前述のCharlie Sporck率いるNational Semiconductorが良い決算報告をした後、金曜日の午後にOffice Partyを開き、ビールで乾杯したことを知ったJerryは、各拠点にシャンペンをケースでオーダーしたという。NationalがビールならAMDはシャンペンだという具合だ。

AMDは毎年(とはいっても、業績の悪い年にはキャンセルとなったが…)USの従業員のために派手なクリスマスパーティーをサンフランシスコの有名ホテルで開くことでも知られていた。ゲスト出演にはBruce Springsteen、Rod Stewart、Kenny Logginsなど有名どころが来ていたのを思い出す(もっとも筆者は、案内状はもらったが、12月の忙しい時なので行けなかった…)。

他社の追従を許さぬ"使いっぷり"

アメリカンドリームの体現者であったJerry Sandersにとって、自らの出身である営業部隊を世界中から集めて行うには特別な意味があったのだと思う。世界中の営業、技術サポート、本社のマーケティングなど総勢600人が一堂に集結し、延べ4日間を、ハワイの中心地にあるヒルトンハワイアンビレッジで過ごすという大きなイベントである。4日間で行われるイベントの内容は大別して下記のとおりである。

Sales Conferenceには世界から600名の営業部隊が集結した。(前列右がJerry Sanders) (出展: ADVANCED INSIGHTS)

  1. 全員が集まり巨大な会議室でExecutiveの話を聞くGenral Session(全体会):午前8時から
  2. 自分のカスタマに最も関係のある製品のトレーニング自分で選んで受けるBreakout Session:午後
  3. Team Buildingイベント:各国がチームを組んでビーチで対抗戦を行うスポーツイベント、オフタイムにフィッシング、セーリング、ゴルフ、ハイキングなど、各人が選べるツアー
  4. 毎晩開催される各地域、製品グループ主催のレセプション、各部門責任者のDinner、Jerry Sanders主催の幹部Dinner
  5. その他に、これらのイベントの合間にスケジュールされる個別のMeeting

こうしたイベントを通じて達成したかった目標は次の通りのことだと思う。

  1. 世界中の拠点にAMDの現状、これからの戦略、製品知識を理解させる。
  2. 各国の営業、技術サポート、マーケティング、幹部が一堂に会して縦横のコミュニケーションを図る。
  3. いろいろなイベントを通してチームの一体感を高め、AMDの成長に貢献した者を衆目の中で表彰し、世界中のAMD営業のやる気を高揚させる。
  4. ハワイの有名ホテルでどんちゃん騒ぎをして、とにかく楽しむ。

それまで、アメリカという国を直に経験する機会が限られていた私にとって、AMDのSales Conferenceにはアメリカ文化のすべてが凝縮されていた。すなわち、強烈な個々人の主張、それに対するリスペクト、実力・結果主義、多様性、楽観性、リーダーシップ、一言で言えば"アメリカンドリームの追及"である。

ヒルトンハワイアンビレッジというのは、ご存知の方も多いと思うが、ワイキキの一等地にあり、プライベートビーチ、隣接のビーチバー、20以上あるレストラン、100平米はあるだろう大きなゲストルーム、巨大会議場、を備えている。そこに600人のAMDの社員が世界各国から集結し、4日間ホテルは貸し切り状態になる(一般のゲストもいたであろうが、多分大変な迷惑であっただろう)。驚いたことに、その4日間はホテルの外に出て飲み食いするか、個人の買い物は別だが、ホテル内であればどのレストランでも、バーでもチェックの時に"AMD"と書くだけでいい。後で聞いた話だが、しばらくの間、金の使いっぷりにおいては、しばらくAMDのSales Conferenceは他の会社の追従を許さなかったらしい。

チェックインすると、まず自分の写真をとられ、名前(ファーストネーム)を書いた個人票が渡される(この個人票を忘れるとどのMeetingにも入れない)。 ファーストネームだけなので、たくさんDaveとかBobとか、Johnがいてわからなくなるし、初めはあまりいいとは思わなかったが、やはりファーストネームで呼び合うのがアメリカ流。私が見ただけでも、CEOのJerryという名前の人は少なくとも他に2人はいた。個人票を受け取ると、その年のConferenceテーマが刷り込んであるTシャツ(事前に自分のサイズを知らせてあるのだが、USサイズのMは日本のLである)、と一緒に分厚いプログラムも渡され、自分がどの時間に、どの会議室に行くのかが書いてある。その時、部屋割りも渡される。管理職になってからは個人部屋であったが、最初のころはツインの相部屋である、それも各国の人間が入り交ざるようにとわざと他国の人間と部屋を共にすることになる(さすがに男女は別だが)。

Sales Conferenceで配られたTシャツとポロシャツ

胸にはその年のSales Confereceのロゴが

全体会は朝の8時から始まる。遅れるとドアを閉められてしまうので大変だ。キンキンに冷房の効いた(眠らせないように寒くしてあるということだった)大会議室に集まると、最前列にCEOのJerry Sandersが座り、その横に右腕のマーケティングVPのBen Anixterが座っている。その周りをVP連中が取り囲んでいる。みな非常にカジュアルで、会議室のそこかしこで握手しながら、“久し振り、ビジネスはどう?"、とか初めての場合は、”俺は日本の営業のXXです、君はイタリアから来たの?”とか挨拶が始まる。 こういう場面になると日本人は本当に消極的だ。言葉の問題が一番だが、やはり日本人同士で一か所に固まってしまってあまり他国の人たちと交わらない。私はできるだけ幹部連中、他国の人などに積極的に話しかけ、自分の名前を覚えてもらうように努めた。これが後になって結構役に立った。

(次回は8月24日に後編を掲載する予定です)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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