岡山県新見市は2011年8月より、総務省が行う「フューチャースクール推進事業」に参画し、新見市立哲西中学校をモデル校として、学校教育現場でのICT機器活用の実証研究に取り組んでいる。

全校生徒62人(2012年現在)にタブレット端末(iPad 2 3Gモデル)を配付し、インタラクティブ・ホワイトボード(電子黒板。以下、IWB)11台を普通教室、特別教室および体育館に設置。校内には無線LANネットワーク環境を整えて、常時インターネットに接続する状態で授業にiPadを活用している。

新見市立哲西中学校

一般的なICT教育では、特定の学科に限ってパソコン設備のある教室に移動し、インターネットや電子教材などを利用するにとどまっているが、同校ではほぼすべての授業でiPadおよびIWBを活用した教育を実践している。もはやiPadやIWBは特別な教具ではなく、ノートや鉛筆と変わらない日常的な文房具だ。

以下が、実際の校内での利用シーンを収めた動画だ。


電子教材・アプリ・動画撮影など多彩な授業風景

英語の授業では、開始と同時にiPadから「ラインズeライブラリアドバンス」(ラインズが提供するネットワーク接続型の学習支援コンテンツ配信サービス。以下、電子教材)を使って、形容詞の比較級に関するドリルを生徒に解かせた。

iPadで電子教材を開いてドリルを解く様子

教師が作成したミニテストのプリントを配って、解答を回収する方法が一般的だが、これでは授業中に採点して生徒個別に誤答個所を把握させるのは時間的に無理だ。ところがiPadと電子教材を使えば、生徒が解答を選択するたびに採点が実行される(不正解ではブザー音が鳴る)ため、どこで間違えたかを生徒に意識させた状態で授業を進められる。生徒たちは慣れた様子で次々と問題を解いていき、ほんの数分でドリル課題は終了した。

午後最初の授業であれば、普通なら生徒たちは昼休み気分が抜けず、なかなか授業に集中できないものだ。そんなときでも、iPadを使って生徒自身が手を動かす時間を与えてやれば、授業への集中力は高まる。また、ミニテストの採点結果を翌日に返されるよりも、その場ですぐに採点結果を見せられる方が、生徒のやる気は刺激されるだろう。

ドリル課題に続き、IWBを使って生徒に「あなたにとって国語、数学、社会、理科、英語の中で一番簡単な教科は」というアンケートを実施した。生徒が手元のiPadからアンケートに回答すると、結果はネットワーク経由で瞬時に集計されて棒グラフとなってIWBに表示される。これは「~ is easier than ~」という構文を学ばせるための導線だ。

教師が一方的に黒板に例文を書いて説明するよりも、アンケートへの回答という情報共有を取り入れることで、生徒たちの授業への参加意識が高まる。iPadを教材アプリなどの自習ツールとして使うだけでなく、IWBのネットワーク機能を生かしたインタラクティブなコミュニケーションを授業に取り入れることも、同校のICT教育の特徴となっているようだ。

IWBを使ったアンケートの実施(左)とiPadからの回答を集計した結果(右)。生徒会の選挙などでもiPadを使った電子投票を行っている

体育の授業ではバスケットボールのシュート動作を練習する課題が生徒に与えられた。書画カメラで教科書の一部を拡大してIWBに映し出し、基本的動作のポイントを理解させたら、さっそく生徒たちはボールを持ってシュート練習を始める。

体育館にてパソコンと書画カメラを使ってIWBに教科書の一部を拡大して表示、さらにポイントになる部分には手書きで書き込みを入れている

ここまでは、どこにでもある体育の授業風景だが、ある程度シュート練習を行った後、グループリーダーがiPadを持ってきて、カメラアプリを立ち上げるとシュートを打つクラスメイトを動画で撮影し始めた。そして撮影後、生徒たちはiPadを囲み動画を再生して各自のフォームを確認し、互いの動きを批評し合った。動画を使って自分のフォームを修正するなどはプロスポーツの世界とばかり思っていたが、iPadを使えば普通の体育授業でも同じことができてしまうことは驚きだ。

シュートフォームを動画撮影して、修正すべきポイントを生徒同士でチェックし合う

こうした思いもかけないiPadの教育活用は、日常的にiPadを使い込んでいる中で、生徒や教師の中から次々とアイデアが生まれてくるのだという。同校の名越礼祥校長は、iPadの活用ポリシーについて次のように語る。

「iPadのような新しい道具は、とにかく使い込んでみないと何に使えるのか分かりません。先生たちにはどんどん授業で使うようにいっています。使っていくうちに、さまざまなiPadの活用法がおのずと見つかるものです」(名越校長)

ICT教育のメリットは生徒・教師の双方にもたらされる

同校の情報担当を務める小林佳夫教諭は、ICTを活用する最大のメリットは授業密度を高められることにあると断言する。

新見市立哲西中学校 数学教諭 小林佳夫氏

「例えば私の担当する数学の授業で証明問題を教えるとしましょう。従来、黒板に図や式を書きながらでは一時限で教えられるのはせいぜい4問程度でした。証明問題には複数の解き方があるのですが、とてもそこまで説明する時間はありません。ところがIWBに例題と解答を投影することで板書に使う時間を節約できます。いまは複数の証明方法を示しながら、6問くらい教えられるようになりました」(小林教諭)

iPadとIWB、そしてネットワークを複合的に活用する授業スタイルも、従来にない教育効果を生み出している。冒頭の英語授業で紹介したように、同校では電子教材を授業に取り入れているが、そうしたコストのかかる教材を使わなくても、十分な効果を得られるという。

「証明問題を紙のノートに手書きで解かせて、iPadで写真を撮るのです。それをネットワーク経由でオンライン型のファイル共有サービス『Dropbox』に各自アップロードさせます。それをIWBで開いてやれば、全員の解答を簡単かつ瞬時にクラス全員で共有できます」と語る小林教諭。なお、「Dropbox」で共有するのは、情報漏えいのリスクを考慮して、個人情報を含まないファイルに限定している。

生徒に問題を解かせた後に前に出て発表させる場合でも、以前であれば事前に全員の解答に目を配る手段がなく、結果として積極的に発表したがる生徒ばかりを指名したり、気になっている生徒に発表させることが多くなりがちだった。

「ICTを使うと、全生徒の解答をリアルタイムで確認できますから、面白い発想の生徒を見つけたり、おとなしい生徒にも発表の機会を与えられるようになり、指名する生徒の偏りはなくなりました。生徒たちにも変化が表れています。常に全員の解答がIWBで共有されているので、『間違っていたら恥ずかしい』とか『自分の答えを人に見られたくない』という発想はなくなります。その結果、積極的に前に出て発表しようという意識が強くなりました」(小林教諭)

新見市および哲西中学校のネットワーク環境(「フューチャースクール推進事業報告書」より)

iPadを教育に活用する必要条件とは?

同校のICT教育で特徴的な点は、一人に一台配付したiPadを授業以外の活動に広く活用していることである。例えば、廊下に貼り出してある掲示物は、生徒自身がiPadを使って制作したものだという。また、沖縄の修学旅行では、グループに分かれ民宿に分宿したのだが、各グループにiPadを1台ずつ持たせたところ、それぞれが宿での食事風景などの写真を撮って感想を書き込んだレポートを「Dropbox」で共有し合う活動が自発的に生まれたという。

こうした課外活動へのiPad利用に加えて、生徒は自宅にもiPadを持ち帰って良いことになっている。新見市は「元気な地域づくり交付金」(農林水産省)と「地域情報通信基盤整備推進事業」(総務省)等で市全域に光ファイバーを敷設する「ラストワンマイル事業」(協力通信事業者はソフトバンクテレコム)を実施しており、プロバイダと契約(有料)すればブロードバンドインターネットを利用できるほか、ほぼ市内全域で携帯電話の電波を受信できる通信環境も整っているので、生徒は自宅でもiPadの3G回線を通してインターネットを楽しむことが可能だ。

これについては当初、父兄から反対意見もあったというが、名越校長の決断で自宅への持ち帰りを許可した。ネットサーフィンにフィルタリングをかけ、アプリのダウンロードは禁止するなど、一定の制約を課してはいるが、基本的にはどんな使い方をしても構わない。名越校長は、「あれはダメ、これはダメと生徒を縛るのではなく、好きなように使い倒してもらった方がいいのです。そうすることで、生徒たちの発想に広がりが生まれ、ICTスキルも高められます」と語る。自宅に持ち帰ったiPadを父兄にも使ってもらい、また授業参観の機会を増やすなどでコミュニケーションを深める努力をした結果、今では父兄からの理解も得られるようになった。

同校の取り組みは学校関係者の間で評判となり、多くの問い合わせや見学希望が寄せられるようになった。新見市役所の情報管理課に勤め、同市のICT教育事業を推進してきた真壁雅樹氏は、成功のポイントを次のようにアドバイスする。

新見市役所 情報管理課 真壁雅樹氏

「まず何より、先生方がiPadを自分で使ってみることです。高価な電子教材を使わなくても、工夫次第で無料アプリだけを使ってiPad授業を実施することは可能です。哲西中学校では、PDFや写真を開いて書き込みができる『neu.Annotate』という無料アプリを積極的に使っています。情報共有の手段として、これも無料で使える『Dropbox』を使い、ミニテストを配付して『neu.Annotate』で開いて手書きで解答させ、再び『Dropbox』で回収するといった使い方です」(真壁氏)

そうはいっても、星の数ほどあるアプリの中から教育活動に使えるものを見つけ出し、使い方をマスターし、すべてのiPadにインストールするといった業務を教員に負担させるのは現実的ではない。端末の故障対応やセキュリティの設定、アプリのインストールといった運用管理の業務に関して、同校では「フューチャースクール推進事業」により配置されているICT支援員が対応している。

「ICTの専門家に裏方の支援を任せられることで、われわれ教員は本来の教育活動に専念できます。こうした分業制を敷くことが、ICT教育を成功させる重要なポイントだと感じています」(小林教諭)

このほかにも、小林教諭はIWBとネットワーク環境がポイントだと指摘した。もともとiPadはネットワークを使った情報共有に優れたデバイスなのだから、最低でもiPadとネットワーク環境を用意しないと、教育効果は半減するだろうとのこと。IWBは非常に高価な製品のため、同校のように公的予算でないと配備するのは難しいが、一般的なプロジェクターでも工夫次第で代用は可能だろう。

新見市では、哲西中学校の「フューチャースクール推進事業」に先立って「ICT絆プロジェクト」(総務省)による新見市立高尾小学校でのICT教育にも取り組んでおり、「義務教育期間9年間を通じたICT教育」のモデルケースを完成させ、市内の小中学校への展開・普及を目指しているという。有償の電子教材や無料アプリをケースバイケースで使い分けた授業の組み立て方や父兄とのコミュニケーション、ICT事業者との役割分担など、モデル校ならではのノウハウが多く蓄積されている。こうした取り組みをきっかけに、公立学校へのICT教育普及に弾みがつくことを願いたい。