いすゞ自動車とジウジアーロの組み合わせからは歴史的な名車が何台も生まれている。「ピアッツァ」のデザインのベースとなったのが、この「アッソ・ディ・フィオーリ」だ。
Assoシリーズの集大成
アッソ・ディ・フィオーリは1978年、名車「117クーペ」の後継モデルを模索していたいすゞがジウジアーロにデザインを依頼したモデルだ。車名は「クラブのエース」の意味。ジウジアーロが所属していたイタルデザインが、1970年代初頭から手がけてきたデザインシリーズ「Asso」(アッソ)の集大成として誕生したクルマである。
ちなみに「Asso」は1973年の「Asso di Picche」(アッソ・ディ・ピッケ=スペードのエース)→アウディ「80」、1976年の「Asso di Quadori」(アッソ・ディ・クアードリ=ダイヤのエース)→BMW「320」と続いてきたシリーズで、いずれのコンセプトカーも量産化につながっている。アッソ・ディ・フィオーリの量産モデルが、1981年に登場したいすゞ「ピアッツァ」だ。
エクステリアは、余計な装飾がなくクリーンでウェッジ基調の2ドアファストバックスタイル。ヘッドライトは異形2灯のセミリトラクタブルタイプを採用している。
リアセンターには「ITAL DESIGN」のロゴと「designer giorgetto giugiaro」の文字が。「ISUZU asso」の横にはクラブのエースが描かれている。
インテリアはデジタルメーターやサテライトスイッチ(ステアリングを握ったままスイッチに手が届く)などを採用した先進的な雰囲気。今見ても新鮮だ。
ピアッツァはバリエーションが豊富
市販車としてデビューした「ピアッツァ」は、内外装ともオリジナルデザインを忠実に再現したことで「走る彫刻」とも呼ばれ、デビュー当時は驚きを持って迎えられた。
搭載するエンジンは1.9L SOHCのNAやターボ、2.0L DOHCなど時期によってさまざまで、モデル中期には独イルムシャー社にチューニングを依頼した「イルムシャー」グレード、後期には英ロータスと技術提携し、同社チューンの足回りやBBSホイール、MOMOステアリングなどを装備した「ハンドリング バイ ロータス」が登場した。
また、いすゞがGM傘下であったことから、その輸入代理店であったヤナセからも「ピアッツァ ネロ」の名で販売されていた。ブラック化された内外装とピンストライプがノーマルモデルとは異なる独特の雰囲気を醸し出していたのを思い出す。