「5月2日に発表した『PC事業の譲渡に関する正式契約の締結』以降、あっという間に時間が流れ去った。これまでの期間は、苦しいとか、楽しいとかいうよりも、とにかく必死だった」。

VAIO株式会社の赤羽良介副社長は、この数カ月間を「必死」という言葉で表現した。5月の正式契約の締結から、わずか2カ月間で新会社をスタートさせ、そこから1カ月後には製品を発売するというのは、実は至難の業だった。

「まったくの新会社としてスタートするため、契約はすべてゼロから行った。準備会社の時点から、ひとつひとつ進めていったが、7月1日にVAIO株式会社が設立して初めて契約が完了するものも多い。ご迷惑をおかけしたところもあったが、その一方で、多くの取引先の方々にご配慮をいただいた部分もあった」と赤羽副社長は語る。

VAIO株式会社の赤羽良介副社長

例えば、ある業界団体との契約については、「PCメーカーとして1年間の販売実績が必要」ということが明文化されていた。この場合、VAIO株式会社は新会社としてスタートするため、1年間の販売実績がない。これに則れば契約は不可能である。そこで、ソニーでの実績をもとに、契約を結ぶことができるように逐一話し合いを行い、この問題を解決。契約を結ぶことができた。

実は、こうした前例のない作業はあちこちで発生していたという。年間35万台、240人の社員という規模で、新たなPCメーカーが参入するという事態を想定していない新規契約内容が数多く存在する、この業界の実態が偶然にも明らかになったといえるだろう。

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7月1日付の新聞広告で宣言したように、VAIO株式会社は、ソニー時代に比べると「大きな集団は、小さなPCメーカーになった」のは明らかだ。だが、相手は決して小さなPCメーカーとは見ていない。大手企業と同等に、大量の契約書類を処理しなくてはならない。

インテルやマイクロソフトといった大手メーカーとのライセンス契約についても、改めて結びなおす必要がある。会社設立手続きだけでなく、調達、製造、物流、販売、サポートなど、すべての領域に関わって取引先と契約を結びなおす。その数はあまりにも膨大だ。

契約に携わる専任担当者が限定されるため、結果として、設計部門や開発部門の担当者も、ひとつひとつの契約文書を確認しながら、交渉や事務手続き作業に追われ続けたという。

7月1日の設立会見で展示された、VAIO製のVAIO Pro 11とVAIO Pro 13

会社を設立するための作業や、PCメーカーとして求められる各種契約に関わる作業に追われる一方、PCの出荷に向けた準備も並大抵のものではなかった。

VAIO株式会社では、7月1日の設立会見において、VAIO Pro 11、VAIO Pro 13、VAIO Fit 15Eの3機種を発売することを発表した。

7月1日からは一般ユーザーを対象にした受注を開始。8月4日には、VAIOブランド第1号機の出荷式を経て、8月7日には法人向けの受注を開始し、8月8日には店頭展示を開始した。8月13日からはユーザーの手元に製品が届き始めている。

VAIO Pro 11、VAIO Pro 13、VAIO Fit 15Eの3機種は、ソニー時代からの継続製品だ。外観から見てわかる変更部は、ディスプレイ下部のSONYのロゴが、VAIOのロゴに変更しただけである。

だが、赤羽副社長は、「外からみると、あまり代わり映えがしないように見えるかもしれない。しかし、社内からすれば、これまでとはまったく違う仕組みで、まったく違う商品として投入したともいえる」と語る。

写真はVAIO Pro 13。左はソニー製、右がVAIO製だ。外観上は、ASSISTボタンとロゴが変更しただけに見えるが、すべてのプロセスが変更されている

これら3機種は、台湾に本拠を持つODMの中国国内の生産拠点において生産されている。これはソニー時代と変わらない。

しかし、ODMとの契約を新たに結びなおし、インテルやマイクロソフトからの調達手法も異なる。これまではグローバルでの生産を前提とした契約だったが、VAIO株式会社は日本国内だけのビジネスに留まるため、ソニー時代とは担当窓口も異なり、対応も違う。

さらに生産管理、物流システムといったものに、ソニーの仕組みは使えない。つまり、VAIO株式会社では、社内で新たな商品化プロジェクトをスタートさせ、新たな契約形態のもとに、ソニーのプロセスやシステムに頼らずに生産、出荷するための仕組みも、新たなものを構築する必要があったのだ。

「部品表ひとつを取っても、ソニーのものは使用できない。すべて自前で新たなものを用意した」と赤羽副社長は語る。

さらに同社が「安曇野FINISH」と呼ぶ本社工場における全量検査体制も、この間に整えた。まずは月2万台に対応できる規模で構築した。

これまでは、中国のODMで生産したものは、中国で最終検査を行い、そのままユーザーの手元に配送されていた。だが、安曇野FINISHでは、すべての製品について安曇野の生産拠点で電源を投入し、キーボードの動作確認などを実施。さらにこれまではODMで行っていたOSのインストールなどの最終アセンブリも、安曇野で行えるように変更した。

これらは新会社になってから構築した仕組みのひとつだ。こうしてみると、会社設立から1カ月後に生産、出荷体制を確立するということが、いかに難しい作業であったかがわかるだろう。まさに「至難の業」であったといえる。

「新たな仕組みに移行するために、従来のように設計は設計、調達は調達の仕事をしていればいいというわけではない。そんなことをしていては、とても短期間で出荷することはできない。設計が調達まで首をつっこんだり、製造や品質保証と密に連携したりといったことが、短期間での出荷につながった」と赤羽副社長は振り返る。

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2014年8月4日。VAIO株式会社は、安曇野本社で出荷式を行った。

赤羽副社長は、「出荷式を迎えて、本当にモノが出せたという点では、7月1日の会社設立とはまた別の感慨があった」と語る。

同日午前11時から行われた出荷式において、関取高行社長は、社員を前に次のように語ったという。

「7月1日の新会社の立ち上げに向けても、幾多のハードルがあった。だが、それから1カ月後となる今日、初出荷という次のマイルストーンに至ったことを、改めて感謝すると同時に、喜びを分かち合いたい。社員の不眠不休とも言える努力と献身によってスタートすることができた。今回出荷した製品は、ODMから直接届けるものではなく、『安曇野FINISH』のスローガンのもとに、我々が決意を持って取り組んでいる、安曇野発のワンストップモデルとなる。安曇野FINISHによって、お客様にご迷惑をおかけしない品質を第一に保証すること、お客様に対して、モノづくりだけでなく、"コトづくり"による付加価値を提供することにチャレンジしていきたい」と挨拶した。

VAIO株式会社が投入したVAIO Pro 11、VAIO Pro 13、VAIO Fit 15Eの3機種は、外観は同じでも、単なるソニー時代からの継続モデルと捉えるのは間違いだといえる。