東北大学は1月9日、卵の元になる細胞の増殖が止まらなくなって腫瘍を形成する突然変異体をショウジョウバエで見つけ出し、その変異体で異常の起きた遺伝子を突き止めたところ、ヒトの遺伝性免疫不全疾患である「無ガンマグロブリン血症(XLA)」の患者で機能不全を起こしている遺伝子「Btk(Bruton's tyrosine kinase)」の相同遺伝子「Btk29A」であることが判明したと発表した。
成果は、東北大大学院 生命科学研究科の山元大輔教授、濱田-川口典子博士研究員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、1月17日付けで米科学誌「Science」に掲載された。
ヒトの体は成人では60兆ともいわれる多種多様で多数の細胞によって組み立てられている。これらの細胞を生み出すのが増殖能力を持った幹細胞だ。幹細胞の増殖能力が低下すると病気やけがで失われた細胞を補充することができなり、逆に過剰に増殖すると腫瘍化してしまう。必要な細胞を必要なだけ確実に生み出す仕組みの解明は、組織の再生とがんの抑制の双方にとって必須の課題だ。
また改めて説明するまでもないが、ヒトの体は卵と精子の合体から始まる。その卵は、前述した幹細胞の1種で、女性の卵巣にある「生殖幹細胞」が増殖を重ねて作り出したものだ。通常の細胞は母細胞から2つの娘細胞に分裂する時、娘細胞はどちらも母細胞と同じだが、幹細胞は少々異なる。生殖幹細胞を例に挙げても、2つに分裂する時、片方は卵(男性の場合は精子)になることが運命づけられた細胞になり、もう片方は母細胞と同じ生殖幹細胞になるという具合だ。
今回研究チームがショウジョウバエから発見した遺伝子Btk29Aは、その機能が失われた突然変異体ではメスが不妊になってしまう。その原因を解明するたに突然変異体の卵巣の観察が行われたところ、例外なく生殖細胞(卵細胞とその姉妹細胞)の腫瘍が生じていることが確認された。
生殖細胞はすべて「卵巣小管」の付け根に2~3個存在する「一次生殖幹細胞」に由来する。一次生殖幹細胞が分裂してできた2つの細胞の内、一方は元の一次生殖幹細胞と同じものとなって"無限"増殖を行い、もう一方は4回の分裂で増殖を終了して卵細胞を生み出すよう運命づけられた細胞、つまり「二次生殖幹細胞」になる。Btk29A遺伝子が突然変異によって働かなくなると、この二次生殖幹細胞が"無限"増殖するようになって、卵巣腫瘍が生じてしまうというわけだ。
卵巣小管の"外枠"を作っている一部の非生殖細胞(体細胞)は、生殖幹細胞が"暴走"しないようにさまざまな司令を送って制御している。この体細胞の"ゆりかご"は「ニッチ」と呼ばれている。Btk29A遺伝子はこの"ゆりかご"を構成するエスコート役の細胞で働いているのだが、突然変異体では暴走抑止のブレーキが故障した状態にあるため、二次生殖幹細胞の無限増殖がひき起こされてしまっていたというわけだ。
そもそもBtk29A遺伝子はどのような役割を担っているのかというと、同じ名前のタンパク質、Btk29Aを生み出すことで機能を果たす。Btk29Aタンパク質は標的のタンパク質に「リン酸基」を付加して活性化する酵素「チロシンキナーゼ」だ。卵巣ニッチでの標的を探したところ、さまざまな組織の発生・再生、またがん化などで増殖を制御することの知られているタンパク質「βカテニン」が標的となっていた。ヒトにおいて、Btkがβカテニンをコントロールしていることが合わせて確認されている。
βカテニンは2つの機能を持ったタンパク質だ。隣り合った細胞同士はタンパク質「カドヘリン」でお互いに接着する。このカドヘリンは細胞膜を貫いて細胞外と細胞内に突き出ている、カドヘリンの細胞内の部分に結合して、細胞の接着と膜の裏打ち構造とを制御するのが、βカテニンの機能の1つだ。
もう1つの機能は、細胞の核内で遺伝子の調節領域にほかのタンパク質と共に結合し、その標的遺伝子からの情報の読み出しを促進する転写因子としての機能である。転写因子としての機能は、細胞外からやってくる信号分子(「Wnt」と総称されるタンパク質)によって活性化される。
今回の研究によってBtk29Aがβカテニンの150番目のチロシン残基をリン酸化することが明らかになった。こうして「チロシンリン酸化」を受けると、βカテニンは細胞膜の裏側から細胞質に離脱しやすくなることも判明している。そして細胞質に増加したβカテニンは核に移動し、転写制御を行うというわけだ。150番目のチロシンがリン酸化されると、βカテニンの転写活性化能が約6倍高まることも今回の実験で判明している。
今回、"ゆりかご"の細胞でBtkが直接βカテニンを活性化すると、これが司令を出すサインとなり、幹細胞の増殖にブレーキがかるという仕組みが確認された。これは、無脊椎動物からほ乳類に至るまで幅広い動物に共通した増殖抑制の仕組みであり、組織の再生誘導や、各種がんの抑制などに新たな道を開く可能性を秘めた発見といえるとしている。