慶應義塾大学(慶応大)は7月24日、産業技術総合研究所(産総研)との共同研究により、「多能性マーカー」を利用して集めた前立腺がん細胞が、抗がん剤の効かない耐性細胞であることを示し、その抗がん剤耐性がん細胞を抗がん剤の効く感受性がん細胞にリプログラミングする既存薬を発見したことを発表。それと同時に、今回の発見が世界初の幹細胞性を利用した合理的な薬剤探索プロトコル(手順)、「薬効リプログラミング」を提案しているものであることも併せて発表した。

成果は、慶応大医学部 坂口光洋記念講座 発生・分化生物学の永松剛 助教、須田年生 教授、同・泌尿器科学教室の大家基嗣 教授、産総研 所創薬分子プロファイリング研究センターの齊藤秀 技術研修員、同・堀本勝久副センター長らの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本がん学会機関紙「Cancer Science」オンライン速報版に5月26日付けで掲載済みで、印刷版にも近く掲載される予定だ。

iPS細胞は、再生医療や創薬の切り札として脚光を浴びているが、その実用化の最大の問題点の1つとされる「がん化の危険性」は、依然として解決されていない。

一方、そのがんの研究においては、がん細胞の中核として腫瘍組織全体を再構築する能力を持ち、抗がん剤が効かない耐性細胞である「がん幹細胞」が注目されている。一言でがん細胞といっても、多様な段階のがん細胞があるが、近年、それらの1つに「組織幹細胞」と類似のがん幹細胞が存在することがわかってきた。組織幹細胞とは、生体内のさまざまな組織の中でその組織を再構成する能力を持ち、未分化な状態の細胞を維持するための自己複製能と組織を構成する細胞を生み出す分化能を併せ持つ細胞だ。

さらに、一般に抗がん剤の効かない耐性がん細胞は、多能性の性質を示すがん幹細胞であることも示唆されている。そのため、がん治療においてがん幹細胞をターゲットにする試みが盛んになっているのが、近年のがん研究の状況だ。このように、iPS細胞のがん化‐がん幹細胞‐抗がん剤耐性がん細胞の3つの関係が浮かび上がってきているのである。

また、一般に抗がん剤などの新薬開発には、膨大な時間と費用がかかる。そのため、近年、すでにある疾患の治療に使われている既存薬をほかの疾患の治療に転用する、いわゆる「ドラッグ・リポジショニング」が盛んに研究されている。最も有名な例では、難病である肺動脈性肺高血圧症の治療薬として使用されていた「シルデナフィル」が、男性の勃起不全に効果があることがわかり、それぞれ「バイアグラ」や「レバチオ」という名称(商標)により治療に用いられているという具合だ。

ドラッグ・リポジショニングのメリットは、すでに疾患に利用されており、転用に際してある程度安全性が担保されているため、臨床試験に関する障害が低いという点で、そのことから効率的かつ実際的な新薬開発の方法の1つとして考えられている。

しかしながら、このようなドラッグ・リポジショニングに際して、どの既存薬が有効かを調べる時、既存薬と疾患の組み合わせは膨大であるため、手当たり次第に薬効の検証を行うことはできない。そのため、疾患に関する経験的な知識に基づいて既存薬を絞り込み、「セレンディピティ」に頼っているのが実情だ。セレンディピティとは、何かを探す時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力のこと、もしくは探索に際して偶然の発見を期待することをいう。

今回の研究では、細胞の幹細胞性に着目して、抗がん剤が効かない耐性がん細胞を抗がん剤の効く感受性がん細胞にリプログラミングする既存薬を探す、合理的なドラッグ・リポジショニングの方法が提案された(画像1)。そして、その方法によって抗がん剤耐性前立腺がん細胞を感受性がん細胞にリプログラミングする薬剤を探索。

画像1。「薬効リプログラミング」の手順

その結果、抗ウイルス剤として知られ、インターフェロン(薬剤)との併用でC型肝炎の治療に用いられる「ribavirin(リバビリン)」が発見された。ribavirinの添加によって、耐性がん細胞が感受性がん細胞にリプログラミングされ、前立腺がんの抗がん剤「docetaxel(ドセタキセル)」が、再び薬効を示すようになることが実証された。

今回の研究では、まず多能性を示す前立腺がん細胞を収集したのち、多能性幹細胞の遺伝子転写因子「OCT4」が高発現している細胞とそうでない細胞を分離(画像2・3)。その結果、OCT4高発現の細胞は前立腺がんの抗がん剤であるdocetaxelが効かない抗がん剤耐性がん細胞である可能性が高いことが示された(画像4・5)。

OCT4が高発現している前立腺がん細胞株(DU145-EOS)とそうでない細胞株(DU145-PGK)の分離。ヒトiPS細胞の分離等で用いられる EOSシステム(Hotta et al, Narure Methods2009)を用いて前立腺がんの細胞株(DU145)を選別したところOCT4の発現が高い細胞(画像2:左)とそうでない細胞(画像3:右)を分離することができることが見出された。(C) Kosaka T et al Cancer Science2013

OCT4が高発現している前立腺がん細胞株(DU145-EOS)は抗がん剤docetaxelへの感受性が低下している。OCT4が高発現している前立腺がん細胞株(赤:DU145-EOS)は、高発現していない細胞(青:DU145-PGK)と比較して、試験管内(画像4(左))においてもマウス生体内(画像5)においても抗がん剤であるdocetaxelへの感受性が低下していることが見出された。(c) Kosaka T et al Cancer Science2013

次に、耐性と感受性のがん細胞で、有意に遺伝子発現量が異なる遺伝子群を数理的方法によって推定。こうして推定された遺伝子群から「The Connectivity Map」を利用して、遺伝子発現を逆転させる、すなわち抗がん剤耐性を感受性にリプログラミングさせる、少数の薬剤候補(9つの既存薬)を推定したのである。最後に、薬剤候補の内、実際に耐性を感受性に転換させる薬剤を実験的に検証し、ribavirinが発見されたというわけだ(画像6)。

今回の研究の成果は、薬剤発見のみならず、ドラッグ・リポジショニングによる汎用の薬剤探索プロトコルの提案であるため、以下のような多方面への発展が期待されるとしている(画像7)。

  1. ribavirinの前立腺がんに対する治療への利用。すでに須田年生教授、大家基嗣教授により臨床試験を検討中
  2. ribavirinのほか臓器の悪性腫瘍での有効性の検討
  3. ribavirinの標的分子探索、および薬効メカニズムの解明
  4. 他臓器悪性腫瘍での薬剤探索。大家基嗣教授らの研究チームが腎臓がんにおける薬剤耐性がん細胞の薬剤探索を検討中
  5. 他疾患における薬剤抵抗性細胞を感受性細胞へとリプログラミングする薬剤の探索
  6. 抗がん剤耐性の分子メカニズムの解明
  7. iPS細胞がん化 ‐がん幹細胞 ‐抗がん剤耐性の関連性の解明

画像6。左から何も施していないがん組織、docetaxelを投与したがん組織、docetaxelとribavirinを投与したがん組織(リプログラミングにより退縮している)。(c) Kosaka T et al Cancer Science2013)

画像7。「薬効リプログラミング」の発展