新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、NEDO創薬加速支援事業の一環として、医薬品候補化合物をコンピュータシミュレーションにより探索する「IT創薬」の研究開発を進めていた大阪大学蛋白質研究所の中村春木教授らの研究グループが、基盤技術の開発・実証に成功したと発表した。

今回の研究成果は、5月26日開催の「バイオグリッド研究会2012(公益財団法人都市活力研究所)」で、共同研究者の産業技術総合研究所の福西快文主任研究員によって紹介される予定だ。

近年、製薬企業の研究開発費は増加の一途をたどっており、有望な医薬品候補化合物の発見につながる新たな技術開発が求められている。このため、NEDOは2008年より創薬加速支援事業をスタート。日本の強みである世界最高レベルのタンパク質構造解析技術、分子間相互作用解析技術、計算科学技術を組み合わせることで、「IT創薬」という新しいアプローチの有効性を実証し、研究開発費を抑えた効率的な医薬品候補化合物探索を可能にする基盤技術の開発が進められているところだ。

しかし、従来のコンピュータシミュレーション技術では、十分な効果を持ち、なおかつ医薬品となり得る化合物の取得は困難とされていた。そこで今回、中村教授らは独自に開発を進めてきたコンピュータシミュレーション用の基本ソフトウェア「myPresto」に改良を加えることにより、従来に比べて100倍以上高い効果を示す医薬品候補化合物の取得を可能にした次第だ。

細胞膜上には「膜タンパク質」と呼ばれる一連のタンパク質群が存在しており、これらは重要な創薬標的といわれている。myPrestoは、これら膜タンパク質の生体内における複雑な立体構造を精緻に予測できるため、膜タンパク質に特異的に結合する医薬品候補化合物をシミュレーションにより高精度に探索することが可能となった。

このシミュレーション技術は、膜タンパク質の1つである「μオピオイド受容体」(画像1)を対象とした鎮痛・鎮静薬の候補化合物の取得により実証された形だ。μオピオイド受容体は、モルヒネなどの麻薬性鎮痛薬の作用点として知られており、生体内では、脳から神経伝達ペプチドの「エンドモルフィン(EM-1)」が分泌され、μオピオイド受容体に結合して鎮痛効果を発揮する。

画像1。μオピオイド受容体のモデル構造

オピオイド受容体には、μ(ミュー)、δ(デルタ)、κ(カッパ)というサブタイプが存在するが、モルヒネなどの既存の麻薬性鎮痛薬は、サブタイプ選択性が低いこと、神経伝達ペプチドとの作用機序の違いなどに起因する麻薬依存性、便秘、呼吸抑制などの副作用を示す。

従って、副作用の少ない麻薬性鎮痛薬を開発するためには、EM-1と類似の作用を持つ化合物の取得が必要だといわれてきたのである。

EM-1は、細長く柔軟性に富む分子で多様な立体構造を採り得る得るが、ペプチド分子の採り得る複雑な立体構造を調べ尽くす手法は確立されていない。そこで、高効率の計算手法(マルチカノニカル分子動力学計算:McMD in myPresto/Cosgene)により網羅的な立体構造の探索が行われた結果、適切なEM-1の立体構造を得ることができたというわけだ(画像2)。

画像2。McMD法により探索したEM-1の立体構造多型

次に、高速・高精度のタンパク質-化合物ドッキングソフト「myPresto/Sievgene」を用いて、μオピオイド受容体のタンパク質立体構造にEM-1をドッキングし、μオピオイド受容体-EM-1複合体モデルを作成。

そして、2000万個以上の低分子化合物の分子モデル構造をデータベース化し(myPresto/LigandBox)、これらの化合物から、EM-1に類似した化合物(化学構造は異なるが、生理活性が類似している化合物)が選び出された。

myPresto/MD-MVO法では、μオピオイド受容体-EM-1複合体モデルを基に、通常使われている化学構造式の類似性ではなく、μオピオイド受容体に結合したEM-1分子の体積と電荷を考慮することによって、EM-1分子とよく重なり、μオピオイド受容体の「リガンド」(受容体に特異的に結合する物質で、受容体との高い親和性を持つ)の結合ポケットに収まる化合物を選び出すことが可能だ。

この結果、IC50(50%阻害濃度)値として1μMより強い活性を示す複数の低分子化合物(画像3の赤丸)を取得することに成功。これらの化合物は画像3に示す通り、EM-1との化学構造の類似性が低いものだった。

画像3。EM-1との類似度/活性値IC50(nM)

今回開発されたシミュレーション技術を用いて鎮痛・鎮静薬の候補化合物を探索したところ、従来のコンピュータ手法で得られる化合物に比べて100倍以上高い効果を示す化合物を取得することができた。

今回の成果は、さまざまな医薬品候補化合物の探索においても有効であり、「IT創薬」が実用段階に入ったことを示すものといえると、研究グループはコメントしている。